第69話 「神獣」
「――ってな訳で、俺は神獣と呼ばれる者たちを探す旅をしていたのさ」
おちょこを傾け、マグナはぐびりと酒を煽った。
「もう三十年にもなる。笑える話だろう?
未だ、何の成果も上げてねぇんだからな」
卓の上には、すでに空になった徳利が三本。
飲むペースは異様に早く、顔は真っ赤だが、舌は不思議とよく回っている。
「話は大体分かった」
ゾルデは杯を置き、鋭い視線を向けた。
「つまり、アンタがここにやって来たってことは……そういうことなんだな?」
「へへっ……まぁな」
マグナは肩をすくめる。
「これだけ大規模な魔物の移動。そう起きるものじゃねぇ。
それこそ――神獣クラスの化け物が動いたとなりゃ、別だがな?」
なるほど、と腑に落ちる。
ようやく話の全体像が見えてきた。
マグナは、人生を懸けて神獣を追っている。
そして今回、この異変の匂いを嗅ぎつけ、はるばるこの国までやって来た――そういうことだ。
「じゃあ、マグナさんは……明日にでも神獣探しに行くつもりですか?」
クロエが、少し緊張した面持ちで口を開く。
「この国の精鋭たちも原因究明に動いたそうですけど、結局は魔物が多すぎて撤退してる」
マグナの答えを待たずして、俺はそれが無謀だと遠回しに伝える。
神獣という存在は初耳だが、何かしらの異常な個体の存在は、すでに疑われていた。
だが、北部の大森林は雷獣山脈まで連なる魔境。
鬱蒼とした魔獣たちの楽園だ。この国の者たちも、神聖な場所と定めて迂闊に近寄らないらしい。
その上、普段は大人しい魔物すらも、気が狂ったように襲い掛かる始末。
とてもじゃないが、一人で踏み込んで良い場所じゃない。
「ここには辿り着いたばかりだが……すでに顔見知りの国王側近から、話は一通り聞かせてもらった」
マグナは杯を置き、少しだけ声の調子を落とした。
「この大騒動からすでに二週間近く。魔物の数も減ったし、動きは鈍くなりつつある。
明日にでも、俺は一人で調査に行くつもりだ。ここまで来て、逃げられたら目も当てられねぇからな」
おちょこ越しに、透き通った酒を眺める。
危険は承知。
それでも踏み込む覚悟は出来ているのだろう。
そもそも、そんな覚悟がなけりゃ、三十年も続けられるはずがない。
「だったら――俺たちも手を貸そう。良いだろ、ノア?」
ゾルデが即座に言った。
「そりゃ、いいけどさ。そもそも、神獣ってどの位強いのさ? 勝算あんの?」
肩をすくめつつ、俺は本音を口にする。
強くなるために、そんな魔物がいるなら是非とも喰いたい。
だが、そのために死んだり、大怪我を追う訳にはいかない。
Aランクの魔物だろうと逃げ出す相手、無謀な戦いなら却下だ。
俺たちの最優先事項は、あくまで“闇夜の宴”を防ぐことだ。
「まぁ、奴らにも格があるようだがな。
低く見積もっても、弱小国なら簡単に踏みつぶせるし、強国相手なら軍隊総出でようやく“勝負になる”ってところだ」
マグナは枝豆をつまみ、あっさりと言った。
……いや待て待て。
それ、俺たちだけじゃ勝てねぇだろ!
高ランクとはいえ、一冒険者パーティーで相手するのは間違ってる。
「そんな絶対強者たちが存在するとは――世界は広く果てしないですな!」
フレイヤが、何だか眼をキラキラさせて嬉しそうだ。
今の話、ちゃんと聞いてたか?
「私たちなら、何とかなりますよ! ね、ノアさん!」
「えっ――なる、かなぁ?」
クロエまで同調してくるとは。
そんな眩しい笑顔を向けられても困る。否定しにくい。
ゾルデもすっかりその気のようで、まんざらでもなく微笑んでいる。
いつの間にか、クロエもそっち側になってしまったようだ。
……まぁ、自信がついてきたのなら、良いことだけれども。
フレイヤの思考に毒されてないか、少し心配だ。
「まさか、ゾルデ――お前とまた一緒になる日が来るなんてな。
人生、何が起こるか分からねぇもんだ」
マグナはしみじみと、だが嬉しそうに笑った。
最初は仲が悪いのかと思ったけど、勘違いだった。
二人とも険悪というより、不器用なだけなんだ。
「……ちなみに、マグナさん」
俺は苦手な酒を一気に煽り、真剣な声で尋ねた。
「ずっと神獣について調べてたんでしょ。
どんなのがいるとか、今回疑わしいのがどいつとか心当たりはあるんですか?」
しぶしぶだが、俺も覚悟は決めるとしよう。
だけど、少しくらい心の準備をしておきたい。
敵の情報なんて、あればあるだけいいんですからね!
◇◆◇
そこからの話は、飲み慣れない酒がなくとも、頭が痛くなる内容だった。
マグナが三十年ものあいだ、人生を捧げて追い続けてきた存在――神獣。
それは単なる強大な魔物ではない。
現れるたびに、歴史ごと塗り替えてしまうような災厄そのもの。
討伐記録は存在せず、残るのは「被害報告」と「消えた地名」だけ。
まず語られたのは、彼が心酔するきっかけともなった魔物。
東側一帯を支配する大国――メリカイツ帝国の西部の街を一夜で滅ぼした。
《白冥狼王フェンリル・アルバ》
地図から街の名前を消した狼王は、あらゆる獣の頂点に立つとされる。
次に名が挙がったのは、伝説として語り継がれる有名な魔物。
ハッシュベルト国とジパーン国の国境――雷獣山脈。
その上空、常に渦巻く黒き雷雲を創り出している天災。
《天裂雷獅ヴァルガ・ストルム》
その落雷によって森林火災が耐えず、その山脈に木はろくに生えないという。
続いて語られたのは、季節という概念を踏みにじる怪物。
冬なき地に冬をもたらし、通り過ぎた後には氷河と永久凍土だけを残す。
《凍角神鹿ニヴルホーン・グラキエス》
特定の縄張りを持たない故、多くの土地を踏みしめ、多くの生き物を死に至らしめる。
キャメル国の海底に棲まうとされる覇者。
嵐も潮流も、この古龍の呼吸にすぎない。
七百年前、その死骸が浜に打ち上がったことで、伝説の刀が打たれたという。
《深海古龍オブスキュラ》
一説には、子供を産み落とした直後に死んだという説が濃厚で、今も次世代の覇者が海底に棲むという。
南方――大陸最高峰のポトト火山を縄張りとする天空の帝王。
その影が空を覆えば、昼が夜に変わる。
ポトト火山の噴火さえ、奴が住みやすい環境に変えるために起こされた竜害とされる。
《空帝竜アウレオルム》
噴火の周期と、こいつの活動記録が一致しているのは、もはや偶然ではない。
そして――大陸の地下。
山脈を砕き、平原を割り、川の流れすら書き換える、地殻そのものを這う大蛇。
大地震の原因ともされる、規格外の怪物。
《地殻穿蛇ナー・ガラジャ》
都市が一夜で沈んだ記録は、すべてこの名で片づけられている。
確認も取れない人類にとっては、ほぼ“言い訳”の存在だ。
最後に語られた名は、場の空気を一段、冷えさせた。
吸血鬼の始祖にして絶対王。
眷属を含めれば、人類史上もっとも多くの命を奪った存在。
俺たちが戦おうとしている、人間の天敵。
《真紅吸血王ヴァラキア》
他の神獣が「自然災害」だとするなら、
こいつだけは明確な「意思を持った悪意」だった。
――食い入るように聞き入ってしまった。
「ちょっと……自信がなくなってきましたね!」
フレイヤですら、額に冷や汗を浮かべて乾いた笑みを浮かべている。
彼女にも、そういう感性が残っていたようだ。
「神の領域まで到達した存在……それを、相手にするんですね……」
クロエの声にも、さすがに覇気がない。
冷静になって、意気消沈している。
「ってかさぁ……一匹、気になる奴が混じってたんだけど」
俺は、明らかに見覚えのある奴がいたので気が気じゃなかった。
全員の視線が集まる。
「《凍角神鹿ニヴルホーン・グラキエス》って奴……俺、倒しちゃったかも」
一瞬。訪れる沈黙。
空気が、凍った。
さっきまで語られていた“神話”が、現実に引きずり出された瞬間だった。
「あっ――あの時の、とんでもない魔石の角! まさか、そいつのか!?」
ゾルデが、弾かれたように叫んだ。
思い出しましたか。
そうです。
あの角の主です……。
キャメル国へ売り払って、小金貨1500枚に変えた奴です。
そこからはマグナの態度が一変。
今まで語り部だった男が、
今度は俺に徹底的に、問い詰めてくる。
遭遇場所。
戦闘状況。
討伐方法。
死骸の行方。
根掘り葉掘り聞かれたのは、俺の方だった。
最終的に、知らず知らずにとんでもない化け物を、ただの鹿肉だと思って食べていたことを知るクロエ。
顔面が蒼白に変わっていた。
――それに関しては、すまん!
フォローしようとしたが、言葉が何も見つからなかった。
俺も、そこまでの相手だとは知らなかったんです。
ついでに、俺の持つ魔剣が、《深海古龍オブスキュラ》の角から作り出した
アズラ深淵四刀の一振りだということも話した。
みんなの俺への視線が、相当引いている気がする。
(あれ、俺なんかやっちゃいましたか?)
この場に限って言えば――間違いなく、やっていた。
作中で始祖の名前はエルノワールと呼ばれています。
しかし、世間一般に知られている訳もなく、《真紅吸血王ヴァラキア》と呼称されています。




