第57話 「死の舞踏会 その③」
(あぁ~……本当にザックリやられたぁ~)
黒曜蜥蜴の鱗を用いた軽鎧防具一式は、腹部までは完全に覆っていない。
クロードから眼を離すまいとしていたから、もろに喰らった。
幸いだったのは、短剣だったことと、相手が戦いに不慣れな素人だったことくらいか。
刺した後に捻られたり、返し付きのナイフだったら、もっとヤバかった。
いや、これでも十分に致命傷だけど。
それでも止血に専念して、リゼンさんの治癒魔法があれば数分で治るだろう。
吸血鬼の治癒力と生命力は折り紙付きだ。
(……にしても悔しい! 助けたと思った相手に、刺されるなんて!)
人の善意に付け込むなんて、鬼畜の所業だ。
腹部の痛みと、温かい血が流れる感触。
前世の最後に、腹を刺されて死んだ――あの嫌な記憶が、鮮明に蘇る。
「うわあああん……本当にぐやじいいぃよぉおおお!!」
決戦前に離脱するどころか、リゼンさんとバルバルさんの世話になるとは。
申し訳なさが込み上げて、再び情けない声を上げた。
これで何かあったら、大戦犯間違いなしである。
「はいはい、分かりましたから。ノア君は治療に専念してください」
呆れ声で、リゼンさんは治療を続ける。
(――頼む。ゾルデもクロエも、負けないでくれ。
せめて、俺が復帰するまで……耐えてくれ!)
自己保身と仲間への祈りをない交ぜにして、ノアは必死に願った。
◇◆◇
屋敷の外へと吹き飛ばされたクロエは、明確な焦りを覚えていた。
外壁を取り囲むように待機していた兵士たちの視線が、一斉に注がれる。
光魔法の眩しい光で照らされ、まるで舞台の上に立たされたかのようだ。
土煙の上がる屋敷から、ゆったりと姿を現すカトレア。
血の大剣を肩に担ぎ、獲物を見定めるように姿勢を低くした。
(――来るっ!)
それは、肌にまとわりつくような濃厚な殺意。
嫉妬、憎悪、執着と渇望――
あらゆる負の感情をのせた、一振り。
――ガンッ!
剣と剣がぶつかる鈍い音が、夜気に響いた。
重たい一撃に、喉の奥から短い息が漏れる。
相手の視線、姿勢。
力の籠り方、武器の持ち方、その角度。
死にたくないなら、目を逸らすな。見極めろ。
お前には、その“眼”がある。
ゾルデの教えが、静かに、しかし確かにクロエを支えていた。
経験と技量が格上の存在との、命のやり取り。
動きが洗練されていく。研ぎ澄まされていく。
(――ありがとうございます、ゾルデさん)
まだこうして立っていられるのは、彼の教えがあったからだ。
だが、カトレアを明確に上回る要素がない。
決め手に欠ける。
もっと、視るしかない。
思考や、ほんの些細な動きの変化を先取りし、さらにその先を読む。
この戦いに、完全に没入する。
「あらぁ? いいのかしら……
貴女の正体、そこの方にバレてしまってますわよ?」
――ハッ!
その一言で、集中が解け我に返る。
「クロ……エ……?」
振り向くと、そこに立っていたのは、フレイヤだった。
大剣を握りしめ、困惑と動揺を隠せない表情で、クロエを見つめている。
私は今、吸血鬼特有の紅のオーラを纏っている。
鉄剣にも、血による強化が施されていた。
そうしなければ、剣はとうにへし折られている。
「ちがっ……フレイヤ!」
分かっていた。
いつかは、こうなると。
だが、よりにもよって今。
見られてしまった。
正体を知られてしまった――!
頭が、真っ白になる。
やっと出来た女友達。
何よりも、嬉しかった。
一緒に戦い、一緒に食べて、一緒に寝た。
この街に来てからは、自室にも案内してくれて――
女の子らしい会話をしたり、服を見て喜んだり、化粧をしてみたり。
彼女と一緒だったから出来た。心を許せた。
どうしようもなく、楽しかった日々。
それが、終わってしまった。
彼女に今、正体を知られた。
嘘を付き、騙し、醜い正体を隠していたことを。
「……吸血鬼……」
そう呟いたフレイヤの視線が、鋭い刃となって、胸に突き刺さった。
◇◆◇
《怒りの神雷》を発動し、青白い雷光を纏ったゾルデは、人間とは思えない速度で動いていた。
「――《雷葬・断罪の舞》!」
双剣が凄まじい雷光とともに繰り出される。
クロードの全身を覆う分厚い血の鎧が、その斬撃をことごとく受け止めた。
斬り込まれた傍から、内側から湧きだす血が鎧を再生させていく。
「――チッ!」
速度で翻弄しても、この身体強化魔法は負担が大きい。
長引くほどに不利――それは分かっている。
「その醜い姿はなんだ!?
魅惑の夜候と呼ばれるお前が!」
安い挑発だった。
――だが、事実でもあった。
握る剣、纏う鎧。
その全てが歪で、不安定で、不格好だ。
容姿に絶対の価値を置くクロードにとって、耐え難い現実。
「……お前も、僕を馬鹿にするのか?」
恐ろしく冷たい声に、背筋が凍る。
「――《魅了》」
視線が合った瞬間、小さく呟かれる。
「……ぐっ!」
一瞬、意識の表面を撫でられる感覚。
心の中――殺意の水面を乱暴に掻き回されるような、不快な侵入。
「効く訳ねぇだろうがっ!!」
魅了は万能ではない。
理解と警戒、そして強い憎しみを持つ相手には通じにくい。
強靭な精神力を持つゾルデは、なおのこと。
「――《魅了》」
それでもなお、クロードは繰り返す。
掛かりはしない。
だが、ほんの一瞬――身体が硬直する。
クロードの右手が掲げられ、血の濁流が襲い掛かる。
「――《雷葬・黄泉返し》!!」
相手の技を受け流す、超高度な剣技。
力を逃がしつつ、距離を詰める。
「――《雷葬・無明》!!」
「――《魅了》」
――ビクッ。
ほんの僅かな乱れ。
隙と呼ぶには、あまりにも小さい。
だが、上級者同士の戦いでは、それが致命となる。
ドガッ!
軽く振るわれた右腕。
双剣を胸前で交差させ防ぐも、衝撃は殺しきれない。
ゾルデの身体が、壁際まで叩きつけられる。
態勢を立て直そうとする間もなく、
禍々しく肥大した左腕を振りかぶり、クロードが迫っていた。
「雷鏡――」
咄嗟に盾の魔法を展開しかけるが、間に合わない。
不完全な防御越しに、直撃を喰らった。
「……ぐあっ!」
だが、それで終わるはずもなく――。
巨人のような血の鎧が、その場所を無慈悲に殴り続けた。
◇◆◇
「僕は、昔から血の扱いが苦手でね……。
よく馬鹿にされていたよ」
煙の向こうへと、クロードは静かに語り出した。
「強い力を持っていたのに――醜い。不細工。歪だ。
皆がそう言って、笑ったんだ」
視線は、崩れた壁の奥。
隣室まで貫通し、瓦礫と化した空間。
「――だから、殺した。
許せるはずがないだろう? 僕は特別なんだから」
煙が晴れる。
そこにいたのは、
全身を血で濡らし、沈黙するゾルデだった。
服は裂けて赤黒い痣を浮かべた胸板が覗き見えている。
先ほどまで迸っていた雷光は消え、
空気を震わせていた雷鳴も、嘘のように止んでいる。
残ったのは、焦げた匂いと、生身の男。
「血を自在に操れなくとも、僕には並外れた魅了があった。
それに――これだけの血を受け止められる力もね」
視線を落とす。
そこにはもう、期待も興味もなかった。
「……もう、聞こえてないみたいだ」
そう判断すると、クロードは躊躇なく背を向ける。
次なる獲物を見据える。
治療を終え、立ち上がろうとしている存在。
見ているだけで神経を逆なでする、間抜けな顔。
たまたま、王の血を与えられただけで、自分を特別だと勘違いした小僧。
だが今は――
仲間を殺されたと知り、絶望の感情を剥き出しにしている。
「――ぞ、ゾルデぇええ!!!!」
悲鳴に近い叫び。
「クハッ……ようやく、良い顔になったじゃないか」
クロードは、一歩踏み出す。
自らの望む世界を創り出すために。
「さぁ――今宵、僕が新たな王となる」
――死の舞踏会は、今まさに最高潮へと踏み込んだ。
ノアの戦犯が確定した。




