第56話 「死の舞踏会 その②」
「……クロード」
ゾルデが名を呼んだ瞬間、双剣を握る手に力が籠もる。
「ようやく来たか……待ちくたびれたよ」
クロードは椅子に深く身を沈めたまま、気だるげに笑った。
よく見ると、髪は乱れ、目の下には濃い隈が出来ている。
浮き出た血管が紅く脈打ち、皮膚の下で何かが蠢いている。
――吸いすぎだ。
明らかに、自身の許容量を超えている。
理性で辛うじて押さえ込んでいるだけの、暴走寸前。
「王の血を継ぐ者。紅月の姫。そして、忌まわしい狩人……」
クロードの視線が、一人ずつ舐めるように移る。
「ようやく始まる。お前の血を奪い、姫を娶り。すべてを清算するんだ。
フッ……フフ……クハッ、ハハハ!」
喉を鳴らし、壊れたように笑い出す。
空気が歪む。
あまりの異様さに、誰も踏み込めなかった。
――その時。
クロードの傍らで、一人の女性がゆっくりと立ち上がった。
疲弊しきった顔。それでも、凛とした気品が残っている。
この屋敷の当主――ヴァルツ家の女主人だ。
「大丈夫ですよ、クロード様。すぐにこの者どもを追い返しますから」
慈しむように、彼の頭を胸元に抱き寄せ、そっと撫でる。
そして、こちらを見据え――
「ここは由緒あるヴァルツ家。その当主の許可なく、誰が屋敷に踏み入ってよいと?
今すぐ、立ち去りなさい!」
堂々とした、迷いのない声だった。
「悪いが、その願いは聞けねぇな。これ以上、不幸な者を生み出させない。
そいつを殺すぜ」
ゾルデが一歩、前に出る。
「ならば――私がこの方をお守りする! どうか、お逃げ下さい。クロード様!」
当主は懐から短剣を抜き、両手で握り締め、クロードの前に立つ。
ただの人間。しかも、戦いとは無縁だったというのは一目で分かる。
それでも、身体が前に出てしまう――そんな無謀さ。
「……やはり洗脳か。ノア、いけるか?」
真っ当な判断能力を失っているとしか思えない。
魅了による洗脳状態は間違いない。
「あぁ――《絶対魅了》!」
意識の奥へと潜り、紅く染め上げられた心をほどいていく。
「――よし、解除できた! さぁ、早くこっちへ!」
一瞬、当主の瞳に正気が戻る。
そして、彼女は――こちらへ駆けた。
長い、長い呪縛からの解放。
救えた。間に合った。
俺は手を伸ばし、彼女を引き寄せる。
「よかっ――」
刹那。
腹部に、冷たい衝撃。
視界が白く弾ける。
「……っ?」
何が起きたのか、理解するより早く――
「――ノア!!!!!」
ゾルデが、当主を弾き飛ばした。
「どう……して……」
当主は涙を流しながら、血に濡れた短剣を握っていた。
「私は、クロード様を愛しているのです」
震える声。それでも、言葉は明確だった。
「洗脳などではない……彼を守るためならば、私は……」
――本気だ。
そうか、この人は本当に愛してしまっていたのだ。
この大量殺人鬼を。
「リゼン!! ――ノアを治療しろ! バルバルは二人の盾となれ!」
「了解!」
「おう!」
ノアと共に、すぐさま距離を置き、リゼンは最上位治癒魔法。
癒光聖奏を詠唱する。
バルバルは破戒槌を手に、二人を守るよう配置に付いた。
「ノア! まさかと思うが、その位で死なないだろうな!?」
「ごめーん、油断したぁ。すぐ治すから、それまで頼む~~!」
俺は、情けない声を上げることしか出来なかった。
穴があったら入りたい。
「さぁ……次は、どなたがお相手ですか!」
涙を流しながら、刃を構える当主。
その背後で――
「……お前は、下僕のくせに何を勝手な真似をしてるんだ?」
椅子から、ゆらりと立ち上がったクロードは、一瞬で背後に立っていた。
牙が、当主の首筋に突き立つ。
――ジュル。
生々しい吸引音。
喉が、満足げに鳴る。
「――テメェッ!!!!」
ゾルデは激昂と共に、神速の剣を放たんと動いた。
――とんっ。
当主を盾にして突き出した。
ゾルデは慌てて止まり、その身体を受け止めた。
「何を怒っているんだい? 王である、僕を守るだなんてのたまい。
あろうことか、僕の贄の血を無駄にしたんだよ?
当たり前の、罰じゃないか」
血に濡れた口元で、平然と笑う。
――理解していない。
どれだけの想いで身を挺したか、どれだけの犠牲を払おうとしているのか、何ひとつ。
その事実に、吐き気がするほどの嫌悪が湧いた。
「それにしても……本当に僕の魅了をかき消すとはね。
はらわたが煮えくり、気が狂いそうだよ……ハハッ」
髪の毛を掻き上げながら、嗤う。
しかし、その眼は獣のように鋭く、殺意に満ちていた。
「まぁ、いいさ。これから血と共に力も奪うのだから。
そして――愛しの我が、姫よ!」
クロエへ、視線が向く。
「すぐに、この邪魔者どもを血祭りにあげるから、しばし待っていておくれ」
まるで、口説き文句のような口調。
次の瞬間。
クロエの全身から、血のオーラが噴き上がり、とてつもない速度で地を蹴った。
「――お前えええぇ!!!!」
強化された拳が唸る。
虚を突かれたクロードは、その一撃で壁へ叩きこまれた。
「よくも、ノアさんをっ……絶対に許さない」
声は低く、震え。
クロエはかつてないほどの怒りに支配されていた。
万が一にも、これでノアが死んだらと思うと、涙が零れそうになる。
しかし、それを必死に堪え、今はこの悪の根源を仕留めることを優先した。
「……なんてことをするんだい。どうやら、君は教育が必要なようだね」
パラパラと崩れた壁から、クロードは立ち上がる。
その頬は痣となり、唇を切り血を垂らしていた。
「貴方の教育など不要です! 私にはノアさんがいるので!」
クロエは拳を鳴らし、断言した。
「そうか、生意気な小娘だ。――来い、カトレア!!!」
クロードが、影に命じる。
姿を現したのは、前に交易都市で襲撃してきたボブカットの女だ。
「姫の調教は後でじっくり行う。他を片付ける間、お前は姫の相手をしていろ。
殺すなよ?」
「……承知しました」
その命令に、カトレアは深く頷いた。
「――クロエ。そっちの女は任せたぞ。俺は、クロードとやる」
「はい! すぐにやっつけて、援助しますからね!」
「はっ、頼もしいな。じゃあ、行くぞ!!」
こうして――
“死の舞踏会”は、幕を上げた。
◇◆◇
クロエとカトレアは、示し合わせるようにゾルデとクロードから距離を取った。
あの二人の邪魔をしないため、そして自分たちが巻き込まれないためだ。
向かい合い、品定めする。
行動は同じでも、考えることは違う。
クロエは、いち早く目の前の相手を処理して、援助に向かいたい。
一対二にするだけで、状況は圧倒的有利に傾く。
昔の、何もできなかった自分とは違う。
今は、自分も戦力だと胸を張れる。
右手に握るのは、初めて自分で金を払い、手に入れた一本の刀。
軽く、素直で、癖がない鉄剣だ。
だからこそ――使い手の意思を、そのまま刃に映す。
ゾルデに勧められた、一振りである。
対して、カトレアが考えているのは――。
「殺すな……か」
クロードに最後に付け加えられた一言。
その言葉を、何度も反芻する。
目の前にいるのは紅月の姫と呼ばれているが、半分は人間の半端者だ。
なのにクロード様は、この小娘にご執心だ。
たしかに可愛らしいのは認める。
だが、女としての色気や魅惑には欠ける。
それでも、あの方はこの娘を見る。
――それが、許せない。
こいつの血を吸い尽くせば、私が次なる“姫”になれる。
そうすれば、興味を失われた自分を、再び見てくれるはずだ。
「ねぇ、お姫様。この大量の死体が、なんだか分かるかしら?」
「――? おしゃべりに付き合うつもりはありません!」
言い終わるより早く、クロエが踏み込む。
床を蹴る音が一つ。次の瞬間には、間合いの内側だ。
「ここにいるのはね、全て私と同じ、クロード様の眷属よ」
キン――ッ!
クロエの刀と、血で形作られた剣がぶつかる。
衝撃が手首に返るが、刃はブレない。
「あの方に限界まで血を注がれ、耐え切れずに死んだ者の末路」
話しながらでも余裕が感じられ、的確にクロエの斬撃を捌いている。
だが、クロエも食らいつく。ゾルデ仕込みの、無駄を削ぎ落とした連撃だ。
「長年共にした仲間たちが、次々と倒れ、血を吸われるのを――
どんな気持ちで見ていたと思う? どれだけ恐ろしかったと思う?」
感情が荒ぶるとともに、カトレアの血剣が肥大化する。
威力は増すが、動きが荒くなる。
それでもなお、長年研鑽を積んでいたカトレアには遠く及ばない。
血の力だけは簡単には覆らない、技術の差がそこにはあった。
「でも、私は耐えた! 彼の血に適応し、選ばれた!
次は、貴方の血を下さいな? 今度もきっと耐えて見せるから」
横薙ぎに振られる大剣を、クロエは紙一重で躱し、返す刃で袖を裂く。
「……貴方は、可哀想な人ですね」
「――なんですって?」
「貴方は今、幸せなんですか?
あんな主に、心から尽くしたいと思えるんですか?」
技術的な差があろうとも、恐れずに踏み込み、刀が相手の喉元を掠める。
「知った様な口をきくなよ、小娘が!」
「私は知っています!」
カトレアの怒号に対しても、クロエの声は震えない。
「力でも、恐怖での支配でもなく! 互いに尊重し、認め合う喜びを!」
ノアさんが教えてくれたんです!
だから私は、あの方になら――全てを捧げてもいい!」
真っ直ぐな瞳。
かつて自分も、クロード様のためならばと、心からそう思っていた。
だが、いつからか彼は変わってしまっていた。
「――ッ!!」
脳裏をよぎるのは、
クロードから向けられる、冷たい視線。
期待も、慈しみもない、使い捨ての道具を見る眼。
あの眼を向けられるたび、自分に何の価値もないのだと。
呼吸すらままならないほど、胸を締め付けられる。
「うるさい……うるさい!!」
カトレアの血が噴き上がる。
肥大化していた大剣は、さらにその力を増し、制御を失ったように暴れる。
まるで、濁流のような血の刃を無理やり形成すると、横薙ぎに振るわれた。
「これで、消えろ!」
「――ッ!」
クロエはその刃を、正面から受け止める。
だが、刀が悲鳴を上げる。
刃が軋み、衝撃が全身を貫く。
耐えきれず、身体が宙を舞った。
壁を突き破り、夜気の中へと叩き出される。
瓦礫の中、膝をつく。
それでも、刀は折れていない。まだ振れる。
クロエは、頭から流れる血を拭い、立ち上がった。
――まだまだ、ここからだ。
自分はもう、あの頃のように一人ではない。
《サンライズ》の一員なのだ。
そのプライドが、彼女に不屈の闘志をもたらしている。
◇◆◇
一方その頃――
ゾルデは、十六年に及ぶ復讐の終着点を、ついにその眼前に捉えていた。
「……ようやく、ようやくこの時が来た。
お前に復讐できる日を、俺はどれほど待ち望んだか……」
双剣――《雷哭》を握ると、刃に沿って雷光が唸りを上げるように迸る。
「――あの夜の続きと行こうか」
ゾルデは、感情を押し殺した低い声で言った。
「しつこい男だね。
君はまだ、そんな感情を引きずっているのかい?
人間という生き物は、実に愚かだ。その愚かさこそが、身を滅ぼさせる」
クロードは、ゆっくりと手を掲げ、血の剣を形作る。
そして、溢れた血が鎧のように身に纏っていく。
その剣と鎧は、圧倒的な美貌を誇る彼が持つには、あまりにもいびつで、不格好な代物だった。
それでもなお、全身から溢れ出す紅のオーラは、これまで見たこともないほど膨大だ。
互いの魔力と気迫がぶつかり合い、空間そのものが、びりびりと震えた。
「リリー。今ここで、あの日の誓いを果たす」
――死の舞踏会は、まだ序曲にすぎない。
――ノアの役立たず。
年末のせいか、ブックマークが徐々に増えていて嬉しいです。
高評価も、よろしくお願いします。
それではみなさま、良いお年を。




