第55話 「死の舞踏会 その①」
ヴァルツ家は、代々続く名家である。
当主であった父が急死し、
次期当主として名を告げられたのは――
まだ十四歳だった、一人娘の私だった。
泣いている暇など、なかった。
私は学んだ。
貴族としての振る舞いを、政治を、金の流れを、人の裏表を。
この家を、私の代で終わらせるわけにはいかなかったから。
生真面目で、責任感ある性格が、完璧を求めた。
幸い、私は才女と呼ばれており、そういった才能があった。
そして――望まぬ評価だが、美貌も後押ししてくれた。
十八歳になった頃には、夜会に出れば必ず誰かが声をかけてくる。
甘い言葉、未来の約束、家同士の利。
選ぶ立場は、こちらにある。
それは恋ではない。
ヴァルツ家の行く末を決める取引だ。
淡い夢など、見るつもりはなかった。
――あの日までは。
金髪の、美しい青年だった。
月光を纏ったような気品。
微笑まれただけで、胸の奥が熱を帯びる。
声が――
耳ではなく、脳に直接流れ込んでくるようだった。
《クロード》と名乗ったその男に、私は、瞬く間に心を奪われた。
家柄も、立場も、理性も。
どうでもよくなった。
他の貴婦人も、彼に心酔しているのが見てとれた。
そんな彼に、私は選ばれたのだ。
嬉しかった。
彼に血を吸われ、その正体が吸血鬼だと知ったあとも、その喜びは消えなかった。
怖いはずなのに。
拒むべきなのに。
心が彼を求めてしまう。
クロードは屋敷に住み始め、私の生活は夜へと塗り替えられた。
カーテンは常に閉ざされ、昼の光は追い払われる。
代わりに、夜が甘く、重く、満ちていく。
彼が連れてきた従者の女たちを、私は全員雇った。
彼女たちの正体もまた、吸血鬼なのだろうとは思った。
彼の望む調度品、衣装、酒、香。
湯水のように金を使った。
頭に霧がかかり、正常な判断が出来ていない自覚はある。
この家が潰えてしまうという危機感も。
このままでは――ヴァルツ家が滅びる。
そう思うのに。
彼が一言囁けば、全てがどうでも良くなった。
それでもこの家を守り続けられたのは、辛うじて残った理性と才能のおかげだろう。
死なない程度に、定期的に血を吸われる日々。
彼の言われるがままに、招待状を送り舞踏会を開いた。
それは、夜会などではない。
――彼のための、狩場。
新たな若い女性を見つけるための場所。
気に入られた者は、夜の闇に消える。
たまに、血を吸い過ぎて死人が出るようになり始めても、その生活は変わらない。
路地裏に投げ捨てられた死体は、どれほどの無念だったろうか。
そういった話が耳に入るたびに、心が痛む。
私はクロードの共犯なのだ。その残虐に、手を貸し続けている。
彼と出会ってから――二十年。
今日ついに、彼は兵士二人を目の前で殺害した。
やってしまった。
この血塗られた生活が、ついに終わるのだと理解した。
胸に広がるのは、後悔か。
――それとも安堵か。
最近、吸血鬼を探し回っている噂は知っている。
間違いなく、居場所が割れた。
ヴァルツ家もこれで地に落ちる。私の代で家名を汚してしまった。
幸いにして、もうじき日が暮れる。
きっと彼は、ここを去るだろう。
最後に、私を殺して……。
それでいい。
この長い夢が、
この罪が、
この愛が――
ようやく、終わるのなら。
◇◆◇
俺たちは、兵士に先導されて走った。
石畳を叩く足音が、やけに大きく響く。
胸の奥で、心臓が暴れているのが分かる。
到着した屋敷では、すでにアウグスト総帥が陣を敷き始めていた。
兵士たちが周囲を取り囲み、近隣の家々へ退去を命じる怒号が飛び交っている。
ただならぬ空気だ。
綺麗な街のこの一角だけが、戦場と化そうとしている。
「おぉ! ゾルデ殿たち。――こちらですぞ」
総帥がこちらに気付き、手招きした。
「遅くなった。状況は?」
「現在、屋敷の包囲網を構築中です。周辺住民の退避も進めています。
内部の状況は不明ですが、連絡の取れない兵士二名は……生存の可能性は低いかと。
ヴァルツ家の当主は女性で、昼間の目撃情報もあります。人間のままでしょう。
推察通り、魅了による洗脳状態と思われます。可能であれば、救出を――」
「――了解した。突入は俺、リゼン、バルバル、ノア、クロエの五名で行わせてもらう。
応援が必要になった場合は、即座に信号弾を上げる」
「しかし……いくらなんでも、五名はあまりに少数では!?」
「いや――下手な増援は、魅了によって“敵に変えられる”可能性がある。
同士討ちは避けたい。ここは専門家の俺達に任せてもらおう」
一瞬の沈黙の後。
「なるほど、了解しました。――ご武運を!」
さすが、ゾルデだ。
俺とクロエが、吸血鬼であることを知っているメンバーで揃えてくれた。
フレイヤには申し訳ないが、彼女も俺たちの正体を知らない。
血液魔法を使えない縛りは、最上位相手ではキツイ。
先ほどの理由ももっともなので、ベストな選択だった。
「ゾルデさん――私も、共に戦わせてください!」
しかし、フレイヤだけが突入出来ないのは納得いかないのだろう。
彼女は声を上げた。
「お前は総帥と共に外を守れ。いつ吸血鬼が屋敷から逃げるかわからん。
もちろん、周囲からの襲撃も十分あり得る。こっちの仕事も重要だ」
ゾルデは、有無をいわせぬ雰囲気を纏っていた。
「でも……いえ、分かりました。私も、出来ることをします」
フレイヤは唇を噛み、下がる。
「――では、突入を開始する!」
掛け声と同時に、ゾルデの全身を雷光が走った。
俺たちも魔力を纏い、身体強化を開始する。
外から照らされ続ける屋敷へと向けて、庭を駆ける。
玄関前に辿り着くと、一息おいて、ゾルデが扉を蹴破った。
――暗い。
異様なほどに暗い。
足元を辛うじて照らす程度の灯りしかない。
「闇を照らせ――《ルミナス》!」
クロエの詠唱とともに、剣先から淡い光が生まれる。
――くんっ。
俺は、思わず鼻を鳴らした。
この屋敷には、血の匂いが染みついている。
「血の匂いだ! ――こっちだよ!」
濃厚な鉄の香りが、鼻腔を刺す。
新鮮で、大量の血の匂いだ。
匂いの道しるべを辿り、扉を開ける。
そこは、広い会場だった。
夜会や舞踏会に使われていたであろう、大広間。
クロエの光が、ゆっくりと闇を押し広げる。
最初に見えたのは――
床に転がる、二つの影。
例の兵士だった。
首筋は裂かれ、血はすでに乾きかけている。
まるで、不要になった人形のように放り捨てられていた。
続いて、目に飛び込んできたのは――
おびただしい数の、派手なドレス。
その中身を見て、息が止まる。
カラカラに干からびた、女性の亡骸。
ミイラのようになったそれらが、無造作に転がっていた。
(……どれだけ、殺した)
背筋が粟立ち、喉がひくりと鳴る。
ここは、舞踏会場じゃない。
ただの――屠殺場だ。
おぞましい空間に戦慄し、言葉を失う。
そして、その奥。
闇のマントを纏った、金髪の男がいた。
月光のような肌。異様なまでに整った顔。
クロードが、疲れたように椅子に凭れ掛かけ、静かにこちらを見ていた。




