第52話 「海」
店は港沿いにあった。
木造の平屋で、壁は潮風に晒されていい具合に色褪せている。
入口からしてもう反則だ。
炭の香ばしい匂い、潮の匂い、焼けた殻と醤油の香りが混ざり合い、食欲を刺激してくる。
店には炭火を並べた、大きな網焼き台がいくつもあった。
その周囲を囲むように席が並び、客は皆、生けすから素材を選んで注文し、好き勝手に焼いて食っている。
「ルミナスには、こんなシステムの店があるのかよ……最高じゃねぇか」
「凄いですよ! これ、まだ動いてます!」
「内陸では、確かに珍しいかもしれませんね。ですが、ここではこういった店は当たり前ですよ?」
他の客たちが焼いている良い匂いが、脳天を揺さぶるようだ。
最高だ……ここは楽園だ。
「今日は俺の奢りですので、好きなだけ食べちゃってください!」
「言ったな? 初めての食いもんばかりだ。遠慮はしねぇぜ?」
「なんだかんだ、ゾルおじには世話になってるからな。クロエもフレイヤも、沢山食べてね」
最高のパーティー。今日くらい恩返しさせてもらっても良いだろう。
俺たちは籠とトングを持ち、いざ出陣した。
そして、素材置き場に並ぶ魚介類を見て、俺は一瞬、言葉を失った。
デカい。
サザエは拳二つ。
ホタテは皿ほどのサイズがありそうだ。
エビもカニも当然のようにビッグサイズ。
しかも生きが良いったらありゃしない。
地球には無かった魔素の影響なのだろうが、これには感謝しかない。
「うおっ……このエビ、すっげぇ重い。こりゃ食いごたえがありそうだね」
「エビ? 何だそいつは? そんな気色の悪いやつ本当に食えるのか?」
「ふふふ。騙されたと思って、ゾルおじも食ってみな? 飛ぶぜ?」
エビもカニも、始めて見たら地球外生命体かと思うような、グロイ見た目をしている。
恐ろしく美味いのは周知の事実。
だが、内陸のハッシュベルト国出身のゾルおじとクロエが知らないのも無理はない。
(早く食べて、その美味さに震えるがいい……!)
四人はそれぞれ籠を手に、迷いながら素材を選び始めた。
網の上に置かれた瞬間、
ジュウゥゥ……ッ!!
という音が弾ける。
サザエの殻がパチンと鳴り、
ホタテの貝柱が白く締まり、
エビは殻越しでも分かるほど身が反り返る。
サイズがデカすぎて、すぐには焼けないのがもどかしい!
今すぐにでもかぶりつきたいのに、まるで焦らすように良い匂いを香らせている。
「もういいのか?」
「いや、まだだよ。しっかり火を通さなきゃ」
途中で、醤油を回しかけると、一段と香ばしい匂いを香り立たせた。
頭がおかしくなりそうだ。
食中毒になってもいいから、もう食ってしまいたいほど。
最初に焼けたホタテを一つ、殻ごと皿に移す。
ぶっとい貝柱を外し、熱々を頬張る。
「……う、うんまあああああぁぁっ!!!」
――醤油のしょっぱさと、ホタテの甘さ。
噛んだ瞬間、潮の旨味がじゅわっと溢れる。
「……はぁぁ……」
言葉が溶けた。
「なんだこれっ!! めちゃくちゃ美味ぇぞ!!」
「んんっ!! お、美味しいです!」
次から次へと焼いては、食べ、そして焼く。
クロエはエビを両手で持ち、
真っ赤な殻を剥ぐと、その身にかぶりついた。
「エビ……! お、おいひいです!!」
「醤油でも塩でも合うね!」
フレイヤは上品にサザエを箸で取り、
中身をくるりと引き抜く。
「うん! 苦味がなくて……肝まで美味しいですね」
ゾルおじは無言で白身魚をひっくり返し、
完璧な焼き加減で頷いた。
途中から酒を頼み始め、ビールを飲みながら食いまくっている。
「くそっ……どれもビールに合いすぎるな」
白く膨らんだ身を割ると、
湯気と共に立ち上る淡い香り。
塩でも、醤油でも、どっちでも勝てるやつだ。
そう。
この店――塩も、醤油も、標準装備。
ジパーン国から醤油を輸入しているの偉すぎる!
魚介類と醤油の相性は言わずもがな、最強の組み合わせだ。
俺はカニに迷わず醤油を垂らした。
かつて、水晶蟹を一日中食い続けた思い出が蘇る。
あの時はまだ、塩しかなかった。
「このカニも美味えぇぇ!! ほら、クロエも食べてごらんよ」
時間も忘れて、夢中で食い続ける。
この店は、網焼き以外にもメニューを注文できる。
アルコールはもちろん、アサリ汁やカニ味噌汁。
そして、気になるメニュー。
セイレーンホースを使った料理だ。
迷わず注文。
出されたのは、綺麗な赤身の肉だ。
「おおっ、これが……セイレーンホースか。どんな魔物か知らんけど、綺麗な色」
フレイヤによると、海棲の魔物で。
馬に似た体躯で、潮流を操ることで知られている。
細切りにされた肉に、卵黄がのっかり、特製のタレと和えてある。
まさに、馬肉のユッケみたいな食い方だ。
見た目だけで、美味いことがすでに伝わってくる。
「……うまっ!」
一口。
濃厚。
だが癖がなく、脂が舌に残らない。
卵黄と絡み、いくらでも入る。
「これ、美味いな! 絶対、ゾルおじも好きな味だよ?」
「本当か、一口分けてくれ。……うん! これも美味いな。もう一皿注文させてくれ」
ゾルおじはやはり気に入ったようだ。
さっそく、追加で注文している。
おや――この肉のおかげで《水魔法:中級》を習得したようだ。
目的の一つが、ようやく達成した。
水魔法は、この港街で最低でも中級。できれば上級まで習得したいと思っていた。
なんせ、ゾルおじの雷魔法とも、俺の氷魔法とも相性が良い。
これで戦い方の選択肢が増える。今までは《水弾》しか使えなかったからな。
この店では、Bランクのセイレーンホース以上の魔物は食えなさそうだ。
でも、まだチャンスはある。
滞在中に市場にも、当然出向く予定だ。
そしたら、もっと貴重な食材にも出会えると信じている。
魚介を使った料理と言えば――
干物、煮付け、鍋、揚げ物、燻製、なんでもありだ。
パスタ、カルパッチョ、パエリアなど……いくらでも思いつく。
考えるだけで楽しみだ。
店で食うのもいい。
だが、やはり自分で調理した物も食べたい。
そう――
これは、対クロード戦を見越した準備だ。
美味い物を食い、血を増やし、力を蓄える。
そう。これは非常に、大事なことなのだ!
「あぁ……食った食った……」
気付けば、殻の山。
高級食材であろうと、一切の遠慮をせず食べまくった。
小金貨が何枚も消えたが、何の憂いもない。
(なんてったって、俺は白金貨を持っているのだから!)
俺たちは、腹も心も満たされた。
店を出ると、いつの間にか日が傾き始めていた。
自然と足は、港の先――海辺へと向かう。
昼間とは違う、静かな色の海。
沈みかけた太陽が水面を染め、波がきらきらと光を弾いている。
そのあまりの美しさに、足を止めた。
「……綺麗」
クロエが、小さく呟く。
潮風に揺れる髪と、夕焼けに照らされた横顔。
しばらく、誰も喋らなかった。
波の音だけが、ゆっくりと耳に届く。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとうございました。ノアさん」
そう言って、クロエがこちらを見る。
柔らかくて、少し照れたような笑顔。
――胸の奥が、ふっと熱くなった。
言葉に出来ない、妙な感覚。
クロエの笑顔を見ていると胸がドキドキする。
苦しい感じではなく、むしろ、落ち着く。
けれど、その感情が何なのかは、よく分からない。
「こちらこそ……ありがとう、クロエ」
気付けば、自然とそう返していた。
一緒に笑って、
一緒に食べて、
同じ景色を見て。
ただそれだけなのに、
心のどこかが、確かに満たされている。
この時間が、少しでも長く続けばいい。
そんなことを、柄にもなく思ってしまった。
彼女がそばに居てくれるだけで、前に進めている気がする。
彼女が俺を頼ってくれるのが、どれほど心地良く、背中を押してくれているか。
最初、吸血鬼に狙われているのは、俺だけだった。
それなのに、クロエにまで血を分けて狙われ始めている。
巻き込んでしまったのは、すべて俺の責任だ。
だから、彼女のことは命をかけてでも俺が守る。
もう二度と、彼女が涙を流さずに済むように。
幸せに笑い続けられるように。
俺にはもう、失いたくないものが出来てしまった。
その感情だけは、はっきりと分かった。
夕日が完全に沈み、
夜の気配が、海辺を包み込む。
俺は、静かに拳を握った。
この力を、この平和な時間を守るために使おう。
そのためだったら、本当に俺がすべての吸血鬼を皆殺しにしてもいい。
この平穏を壊そうとする奴がいるのなら、この血の力で排除してみせる。
その覚悟だけが、胸の奥に確かに灯っていた。
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