第5話「目覚める力」
夜明け前の森は、湿った冷気に満ちていた。
吐く息が白く、木々の間から遠い山並みがかすかに光を帯びている。
道などない。それでも、ただ遠くへ行かねばならなかった。
袋に入っていた、水も干し肉も食べ尽くしてしまった。
――空腹には慣れている。
この状態でも、数日は飲まず食わずでも生きていける。
だが、傷を完全に癒すためにも、何かを口に入れたかった。
(とにかく、今はヴェルナーの領地から出なくちゃ……)
ここは追っ手がくるため危険だ。
目指すは、隣国キャメル。
リリスの話では、豊穣な土地であり、街も発展していて穏やかで暮らしやすい国だという。
吸血鬼被害の多いこのハッシュベルト国より、警戒されずに生きやすいはず。
そこに着いたら、決して吸血鬼の混血であると悟られないように生きていく。
人の血を必要としない俺なら、きっと可能だ。俺は人として生きたい。
その時、草の陰で何かが蠢いた。
――魔物だった。
うさぎに似ているが、黒い毛並みに大きな身体。おまけに鋭い角が生えている。
(びっくりした……魔物か。悪いが、食材にさせてもらう)
俺は短剣を取り出すと、投げナイフの要領で放つ。
それは見事に、一角うさぎへと突き刺さる。
(モフモフしてて可哀想だけど、背に腹は代えられない)
そのまま短剣を抜き、皮を剥いでいく。
頭は食え無さそうなので角ごと捨てる。内臓もゴッソリと抜いて捨てた。
血が指先を濡らしたが、それを舐めたいなどとは微塵も思わない。
それよりも、新鮮な赤身肉の方にそそられる。
ただの肉と化したうさぎを手に思う。
――しまった。先に焚き火の準備をするべきだった。
仕方ないので、剥いだ毛皮の上に肉を並べ、慌てて薪を集める。
火打石を入れてくれたリリスには感謝しかない。
火の準備が出来たら、いよいよお楽しみだ。
といっても、鉄板も何もないので枝を短剣で削って肉を串焼きにしていく。
ジュウッっと油が落ち、煙が立つ。
良い匂いだ。
思えば、焼き立ての肉を食うのは初めてだ。
乾燥させた干し肉くらいしか食べた記憶はない。
今から、この肉すべてを俺が食っていいんだ!
ガブリとかじりつく。
――美味い!
焼いただけだが、肉本来の旨味が舌の上で弾けた。
獣と人間の違い。その一つは、きっと“料理”だ。
ただ焼いただけだが、俺は獣ではないんだと実感する。
……そのとき、何かが流れ込んだ。
言葉にならない感覚。
世界の音が、急に近くなる。
風の音、草の揺れ、鳥の羽ばたき――全部が、耳の奥で重なり合っている。
いつのまにか、スキル『超聴覚』を獲得している。
俺には持って生まれた『血神ノ紋章』というスキルしかなかったはずだ。
初めての現象に息を呑む。
恐らく、『超聴覚』はこの魔物のスキル。
奪った……?
いや、“取り込んだ”のか。
『超聴覚』によって、遠くの獣の音まで聞き取れる。
「なんだよこれ……まさか、狩って食ったからか?」
俺の生まれながらに持つ ユニークスキル『血神ノ紋章』にそんな力があったのだろうか。
正直、今までろくな飯を食ってないだけで、実はあったのかもしれない。
何はともあれ、他の魔物も倒して確認する必要がある。
(食べた相手のスキルを取り込める? だとしたらチート過ぎるだろ……)
事実ならば、俺はこれから一気に強くなれる可能性がある。
一人で生きていくためにも、力が欲しい。
(この音……何匹か近づいて来てるな。血の匂いを嗅ぎつけた狼かハイエナか?)
丁度良い――次の獲物が向こうからやって来た。
聞こえてくる唸り声。
俺を取り囲むように姿を現した、5匹の灰色の狼。
ははっ! ゾルデとあの吸血鬼を見た後じゃあな。まるで子犬じゃねぇか。
「『血神ノ紋章:凝晶武装』――ほいっ、ほいっ!」
血で作り上げた短剣を次々と投げ、灰色の狼を沈めていく。
あのゾルデという狩人から喰らったせいか、投げナイフの印象がこびりつている。
にしても、この位の魔物なら弱いな。みんな一撃だ。
もしかして俺って、投げナイフの才能があるのかもしれない。
うさぎ肉を食ったおかげで、力が湧いて身体が軽い。
――うん、うん。俺が弱いわけじゃなかった。アイツらがやばかっただけだわ。
すでに死に絶えた灰色の狼を見て思う。
さてと……では頂くとしますか。
◇◆◇
狼肉は、固くて不味かった。
食える部分も少ないし、筋張っている。
うさぎ肉とは比べるべくもない。
しかし、やはりスキルは取り込めた。
『超嗅覚』――もともと鼻は敏感だったが、明らかに感度が増している。
土や樹皮の匂いすら嗅ぎ分けられそうだ。
敵を倒すたびに、その力が微かに自分の中へ沈んでいく感覚。
「……スキル、か」
その単語を口にしてみる。
面白い。俺はもう自由だ。
この調子で魔物から力を奪いまくるのも楽しいだろうな。
吸血鬼の“奪う本能”が、俺の中にも確かに息づいている。
この馬鹿げた力は、本当に吸血鬼全員が持っているのだろうか?
ふと、転生した俺だけの力なのでは――という考えがよぎる。
まぁ、考えたところで答えはでないか。
焼き肉を頬張りながら、空を見上げた。
陽光が木漏れ日のように肌を照らす。
東の空――太陽はすでに登り始めていた。
スキルを新たに習得すると、スキル名や簡単な使用方法が感覚で理解できる。
『血神ノ紋章』に関して、ノアは最初、血を操る能力ということしか理解できていませんでした。
しかし、スキルには練度という物が存在し、修行によって技の種類、使用速度、威力や効力は増していく。
硬血や凝晶武装といった様々な技は、ノア自身が牢屋内で考えて習得していったもの。
もちろん、戦いの中で咄嗟に作り出した技も存在します。血を霧状にしたのも、その一つです。
一角ウサギ:Dランク。跳躍力を利用した、一角での突きが強力。 刺さった後に抜けなくなって、たまに死ぬ。
ヴァルクル:Cランク。灰色狼。一匹一匹ならDランク相当だが、必ず群れで行動するためCランク扱い。血の匂いに敏感で、ハイエナのように集まり死肉を漁る。森の掃除屋の異名を持つ。




