第47話 「ジークハルト」
十五メートルほど先。
木の陰からこちらを窺っていた“顔”と、目が合った。
赤髪の男?――そう認識した次の瞬間。
――ニコリ。
作り物めいた笑みを浮かべ、そいつは木の裏へと姿を消した。
(何だ今の……怖えええぇぇ!!)
音も、匂いも、気配すら感じ取れなかった。
ゾルデが目を閉じたままだということは、あいつですら感知できていない。
幽霊の類かとも思ったが、どうやら実体はあるらしい。
――間違いない。上位吸血鬼だ。
(……いるよな? まだ、あの木の裏に)
「ゾルデ! 敵だ!」
叫ぶと同時に、ゾルデが弾かれたように目を見開いた。
クロエとフレイヤも、さすがに気づいただろう。
これまでの吸血鬼と違い、匂いが異様に薄い。
力量も読めない。
だが、この気配の消し方だけで只者ではないと分かる。
――なら、まずは無力化だ。
話ができるかどうかは、その後でいい。
フレイヤがまだテントから出ていないのを確認し、血のオーラを全開にする。
黒鋼剣を抜き放ち、跳躍した。
(――いない!?)
木の死角を使って移動したか。
だが、遠くへは行っていないはず。まだ追える。
俺の視界に映らないように逃げたなら、進路は限られる。
魔力、熱、そして僅かな匂いや音を同時に追う。
「逃がすかよ……!」
鬱蒼とした夜の森を、影魔法で滑るように駆ける。
(見えた……! かなり速い!)
闇の靄を纏うように、距離を取っていく影。
「――《グローリア・パージ》!」
リゼンさんの血から得た光魔法。
影を払うための、純度の高い閃光が解き放たれる。
一瞬で、夜が昼へと反転した。
敵の逃走を阻むと同時に、追ってくるゾルデへの合図でもある。
背後で、双剣『雷哭』を構えたゾルデの気配が迫ってきた。
「これは奇怪な……光魔法を使う吸血鬼とは」
振り返った男は、やはり吸血鬼だった。
光に照らされ、姿がはっきりと浮かび上がる。
ニコリと笑うその表情は、同性ですら息を呑むほど整っている。
180センチほどの長身。揺れる赤髪。
白く覗く二本の犬歯が、彼が吸血鬼であることを雄弁に語っていた。
「いや、でも……昔もそんな同胞に会ったことがあるような……
う~む。どうにも思い出せませんな」
逃げる気を失ったように、その場で首を傾げる。
武器を構える素振りもない。
そんな状態の相手に、攻撃を仕掛けていいものか?
一瞬、躊躇が生まれ――だが、すぐに振り払った。
その全てを見透かすような瞳に射抜かれた瞬間、全身の細胞が警鐘を鳴らしたからだ。
(コイツは、間違いなく最上位だ!)
――ガキィン!
渾身の一撃が、何かで弾かれる。
見ると、男の手には血で形作られた小さなナイフがあった。
「私も耄碌したものです。血の扱い方をすっかり忘れておりました」
「ノア!! 無事か!!」
「おや、人間のお仲間もいらっしゃいましたか? ご安心を。私は人の血は吸いません。
どうか、見逃していただけると――」
「――《雷葬・断罪の舞》!」
言葉を遮り、ゾルデが蒼雷を纏って踏み込む。
双剣による、目も追えぬ連撃。
「これは……流石に……おっと、っと!」
まただ。
いつの間にか、両手には血のナイフが握られていた。
目にも留まらぬ速度で、血の武器を生成している。
それでもって、ゾルデの剣戟を捌き切る。
「ちょ、ちょっと……一度落ち着いて話しませんか?
私は王の後継者に挨拶に来ただけなのですが」
軽薄な口調とは裏腹に、その体捌きは異常だった。
警戒心が、さらに跳ね上がる。
好戦的には見えないが、その力は得体が知れない。
俺とゾルデは一瞬だけ視線を交わす。
それだけで意思疎通するには十分だった。
「――水弾! 水弾! 水弾!」
初級水魔法を両手から連射する。
避けきれないと悟り、男は闇のマントを纏った。
バシャリ、と水が弾ける。
「――紫電!」
見計らったかのように、一筋の落雷が落ちる。
「おや、おや……今度は水魔法? ふふっ、連携も良いですね」
直撃――したように見えたが。
残ったのは、脱ぎ捨てられた闇のマントのみ。
本体は、地面に張り付くような低姿勢でかわしていた。
「紅月の王子よ。私の名は《ジークハルト》。
今宵は、月が美しい。どうか剣を収めていただけませんか?」
穏やかな声。
俺たち二人を相手取って、今さら自己紹介とは余裕すら感じる。
自らは攻撃を仕掛けてこず、ひたすらに受け。
話し合いを求め、矛を収めるよう懇願する。
かつては俺もそうした。
それでも容赦なく切り刻んできたゾルデの気持ちが、今は少しは分かる。
得体の知れない生き物とは、こうも恐ろしいのか。
「――《雷葬・無明》!!」
恐ろしく速い、視認すら困難な一閃。
交易都市での女吸血鬼の首を落とした技よりも、さらに速い。
これが、万全な状態のゾルデか。
「ぐふっ……!」
それでも辛うじて防御したのだろう。
胸の前にクロスした両手には、切り落とされたナイフの柄を握っている。
それごと、ゾルデの一撃で焼き切られたのだ。胸には深い傷が見て取れる。
「うおおおおぉぉ!!」
すかさず、《血神ノ紋章・硬血》で強化した拳を叩き込む。
鳩尾目掛けて、全力の一撃。
その衝撃を受け切ることなど、出来る訳もなく。
くの字に身体を折り曲げて、そのまま遥か後方の大木へと身体をめり込ませた。
◇◆◇
《ジークハルト視点》
それは深い、深い眠りだった。
永い休眠の後、身体は鉛のように重い。
すべての関節が、固まってしまったかのようだ。
大きく伸びをするだけで、全身の筋肉が心地の良い悲鳴を上げる。
随分と寝てしまったようだ。……はて、ここはどこだったか。
頭にはまるで霞がかかっている。
吸血鬼とて、永劫の時を経れば耄碌もする。
眠る前の記憶が、どうにも思い出せない。
長いこと血も吸っていない。
乾き切った身体。
目覚めの後では、仕方のないことだ。
あとで魔物の生き血でも吸えば、マシになるだろう。
どうやら棺の中で眠っていたらしい。
見渡せば、朽ちた無数の棺。
埃の量が、その途方もない年月を物語っている。
部屋の階段を上り、外へ。
そこは、懐かしい吸血鬼の街だった。
山をくりぬいた超巨大空洞。天井を支えるように、何本もの石の柱が立ち昇り。
星空のように、壁は《光苔》が薄く発光している。
目覚めた街は騒がしい。
紅月の王が、新たな眷属を得た。 ――“王子”が誕生したのだと。
それと、もうじき訪れる《闇夜の宴》の話で持ちきりなのだ。
なんとめでたい。それは祝福すべきことだ。
一介の吸血鬼とはいえ、挨拶を欠くのは無礼というもの。
「――失礼。その王子とは、いったいどこで会えますか?」
王子の場所は、すぐに教えてくれた。
――キャメル国、首都ルミナス近辺。
聞き覚えのない地名。 だが、多くの者が向かっているという。
それ幸いとばかりに、私も同行させていただいた。
正確な場所までは分からないようで、そこからは単独で王子を探し回った。
ようやく見つけた王子は、人間と行動を共にしていた。
はて、いったいどういう風の吹き回しか。
意気揚々とやって来たが、困り果ててしまい。
どうしたものかと木陰から覗き見ていた。
人間がいるとなれば、いきなり挨拶に出たら驚かせてしまうだろうか?
そうして“六時間ほど”様子を見ていた。
それが、癇に障ったのだろうか。
気付けば追われ、剣を振るわれている。
どうにか剣を納めて欲しいが、先ほどから、まるで私の願いを聞いてはくれない。
取るに足らない私の話など当然か。
この雷魔法を扱う人間も、鋭い攻撃で襲い掛かって来る。
捌けないという程ではないが、この錆びついた身体では満足にはいかない。
しかも、連携までしてくる。思わず、将来有望な王子に笑みが漏れる。
だが、いつまでもこのままでは、さすがに殺されてしまう。
猛攻を退けつつ、霞がかかった頭で悩み抜いた末に思い至った。
そういえば、名乗っていなかった。
――それが原因だ。
納得、納得。
ようやく、腑に落ちた。
「紅月の王子よ。私の名は《ジークハルト》。
今宵は、月が美しい。どうか剣を収めていただけませんか?」
誠意を尽くしたつもりだったのだが。
ところが、雷魔法の人間が放った恐ろしい速度の一撃。
なんとか見えはしても、今の弱った血では耐えきれることは出来なかった。
全身を駆け巡る電流が、逃げ場を失い暴れる。
トドメとばかりに、王子の渾身の右ストレート。
内臓全てをかき混ぜるような、その一撃をもろに喰らい――。
気付けば一瞬、気を失っていた。
三途の川の向こうで、父と母が手を振っていた気がする。
それほどまでの、高圧電流と破壊的な衝撃。
だが――。
おかげで、頭の霞が晴れた。
「……あぁ、ありがとうございます。実に、気持ちがいい」
思考が澄み渡る。
尾を引く痛みすら、心地よい。
私は、笑っていただろう。
王子の健在ぶりが、ただただ嬉しかったのだから。
胸の傷を止血しつつ、王子たちへ感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
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