第39話「ゾルデ・グリムアント」
ゾルデは、陰鬱とした子供だった。
ハッシュベルト国の南端、ムダス鉱山。
国境を連なる《雷獣山脈》の麓。
山肌を奔る雷光が、獣が走るように見えることから名付いた場所だ。
ここでは、落雷と魔物被害が日常だった。
その厳しい土地に魔鉱石の鉱脈があったせいで、鉱山にはいつも叫び声と怒号が満ちていた。
鉄と火薬の匂い。石が擦れる音。喉を痛める粉塵まみれの空気。
ゾルデはそこで、子供ながら奴隷として売られて働かされていた。
体重より重い石をひたすらに運び続ける。
逆らう奴は殴られる。怠ける奴も殴られる。真面目に働いてても……気に喰わなければ殴られる。
余計なことを考えず、感情を表に出さず、ただ黙々と働く。
それが賢い生き方だと、そう覚えてしまった子供だった。
頭が良く、身体も頑丈で、耳も鼻も鋭かった。
そうでなければ、こんな環境で子供ながらに生き残れるはずもない。
大人たちの会話を盗み聞き、言葉を覚え、読めもしない新聞を眺めては、形を覚えようとした。
すべては――いつか、この場所から抜け出すため。
そんなゾルデが、少女リリーに出会ったのは偶然だった。
彼女は鉱山主の娘だった。
白いドレスが岩粉だらけの坑道には、あまりに似つかわしくない。
何の苦労も知らないで育てられた、無知な女。
だが、奴隷たちを足蹴にする大人たちですら、その少女にこびへつらい、頭を垂れた。
羨ましいとも、憎いとも思わなかった。
ただ、別の世界の生き物だと思っていた。
しかし、リリーは違った。
同年代の汚れた子供が黙々と働いているのを見て、興味がわかないはずもない。
平気で話しかけてきた。
なんとも、うっとおしい女だった。
「どうして働いているの?」
「疲れないの?」
「学校には行かないの?」
ゾルデはひたすら無視した。
するとリリーは憐れむような目で、
「言葉、分からないの?」
と問うてきた。
頭に血が上った。
「お前がウザいから無視してるんだよ」
言った瞬間、リリーは目を丸くし、そして――笑った。
それからだった。
暇さえあればリリーは鉱山へ来て、ゾルデについて回った。
無視する俺に対し、一方的に外の世界の話をした。
やれ学校での生活がどうだの、屋敷での生活がどうだの……。
興味がない振りをしていたが、その話の全てが新鮮だった。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は沢山のことを話してくれた。
大人たちはゾルデを疎ましく思ったが、鉱山主の娘のお気に入りに手を出せる者はいなかった。
やがて、心を許し始め、ゾルデも次第に言葉を返すようになっていく。
身分は違えど、初めての“同年代の誰か”を彼は得た。
リリーは要らなくなった本を持って来てくれた。
分からない言葉や文字を教わる。時には甘い御菓子なんかも持って来てくれた。
初めて食べたその美味しさは感動的で、思わず立ち上がってしまった程だ。
リリーは、そんな様子を見て嬉しそうに笑った。
彼女が世界の中心になっていく。
身分は違うと分かっている。それでも、儚い恋心のようなものを覚えたのはその頃だった。
だがそんな日常は、彼女の無垢な何気ない一言で終わりを迎える。
――ある日、リリーは言った。
「私がお父様に言って、助けてあげようか?」
その瞬間、胸の奥を稲妻が走ったようだった。
たしかに“救い”の言葉だったはずなのに――そうは捉えられなかった。
対等だなんて思ってない。
それでも、彼女にだけは憐れまれたくなかった。
見下された気がして、情けなくて、恥ずかしくて、心が烈火のように荒れた。
リリーを嫌いになったわけではない。
ただ、弱者と断定されたようで、どうしようもなく今の自分に腹が立った。
彼女からしたら、そういう風に映っていたのだと。
その夜、ゾルデは鉱山を脱走した。
武器になりそうなツルハシと、わずかばかりの食料を盗んで逃げた。
逃げた先は夜の森――つまり、魔物の巣窟だ。
どこにも帰る場所などない。
行く当てもない。
それでも行った。
あの場所にはもう戻れなかった。
泥水をすすり、死骸の肉をかじり、生きるためだけに戦い続けた。
やがて、ひとりの初老の男に拾われる。
奇跡的なまでの偶然だった。
――《マグナ・グリムアント》。
そう名乗る彼は、世界中を旅をしながら暮らすSランク冒険者だった。
マグナは厳しかった。
甘えは許さず、手加減もしなかった。
だがその厳しさが、ゾルデには心地よかった。
剣の振り方、魔法の使い方、戦術、生き延びる術――
あらゆる知識と技術を叩き込まれた。
長い逃亡と修行の果て、二人はハッシュベルト国の首都 《アストリア》へ辿り着いた。
ゾルデはそこの冒険者ギルド《ドラゴニア》で冒険者となる。
マグナはその姿を見届けるように、ふっと姿を消した。
行先も告げずに……そこからはまた一人になった。
それ以降、ゾルデは勝手に《ゾルデ・グイムアント》を名乗るようになる。
彼のことを師匠であると同時に、父親のように思っていたのかもしれない。
ソロ冒険者として一年でBランク。翌年にはAランク。
十九歳になる頃には史上最年少でのSランク冒険者に上り詰めた。
怒涛の快進撃は国中を騒がせた。
大人になり、《雷帝》の異名を得た頃には、もう誰も彼が元奴隷だとは知らなかった。
大金を稼ぎ、仲間もでき、自由も手にした。
そんなある日。大貴族が、とある夜会に出席するために護衛としてゾルデを指名した。
Sランク冒険者を連れていくというのは、それだけで彼らのステータスの証明だ。
報酬も良いし、大貴族相手に気に入られて悪い気もしない。
仲間たちからも羨ましがられ、断る理由などなかった。
――そこで、リリーと再会した。
一目見て分かった。
成長した彼女は、とてつもなく美しかった。
柔らかい純白の髪がまっすぐ背に沿い、歩くたびに光の帯が揺れる。
唇は淡い紅、肌は透き通るように明るい。
清らかさと艶やかさが同居し、人目を奪うという表現すら足りないほど。
ゾルデが知る頃の、いたいけな少女の面影はもうない。
思わず、時を忘れて見とれてしまう。
しかし、鉱山主だった父の姿も隣で見えた。
まるで心に突き刺さったままの棘を抉られたかのようだった。
奴隷時代の記憶が一斉に蘇り、息が詰まる。
だが依頼中であり、この場から逃げられなかった。
冷や汗が伝う。
大丈夫だ。あれから何年経った?
気づく訳がない。とうに忘れているはずだ。
あの頃とは違う。俺は成長したし、あのボロボロの薄汚い少年ではないのだから。
平静を装い、護衛を任されたSランク冒険者として立ち居振る舞う。
護衛していた大貴族が、リリーの元へと近づいていく。
俺は伏し目がちについていく。
向かい合った瞬間、彼女は目を大きく見開いた。
「そんな……嘘……ゾルデなの?」
――甘かった。
リリーは一瞬で俺に気づいた。
零れ落ちる涙。
隣の大貴族など眼中にない様子で、俺へ泣き付いた。
俺は周囲の視線を気にして、大慌てで彼女の手を引き、会場のバルコニーへと連れ出した。
◇◆◇
人込みは苦手だった。
大勢の人がいる会場から一歩。
夜風があたるバルコニーに出ると、爽やかな空気に満ちていた。
思わず手を引いてしまったが、慌てて放す。
月光に照らされた彼女は、静謐な美女そのもので。
俺は思わず、また見とれてしまった。
言葉を失っていた俺に、リリーは多くを語ってくれた。
かつて、始めは物珍しさで鉱山に通っていたが、
段々とゾルデの芯を持った部分に憧れを抱き、惹かれていたこと。
身分ではなく、リリー自身を見定めようとするゾルデの聡明さを尊敬していたこと。
ゾルデと比べると自分はひどく薄っぺらい人間に思えて、劣等感を抱いていたこと。
――ゾルデの役に立ちたかった。
でも自分に出来ることなんてたかが知れている。
自分にとって身分の高さというものに価値はなかったけれど、
奴隷という立場がゾルデの枷になっていることは知っていた。
だから、「助けてあげようか」なんて言葉が口を突いて出た。
劣等感の埋め合わせと、ゾルデに好かれたい一心だった。
それから貴方が逃げ出したと知って、自分の大きな間違いに気づいた。
とにかくゾルデが無事なのかが気がかりで、夜も眠れなかったこと。
一度だって忘れたことはないと、精一杯伝えてくれたのだ。
ゾルデはそれを聞いて、戸惑いの方が大きかった。
見下されていると傷ついたのは、自分の早とちりだったのだと知って、簡単に救われてしまった。
ゾルデもまた、リリーへの思いを正直に語った。
酷く拙い言葉で……ただ、誰よりも正直に。
それから、二人はこれまでの時間を取り戻すように逢瀬を重ねた。
しかし、彼女は貴族の令嬢で、ゾルデは冒険者だ。
どんなに惹かれようと、結ばれないことは理解していた。
リリーの父親にも会いにいったが、いかにSランク冒険者となれど元奴隷。
認めてはくれなかった。
しかしそんなゾルデの苦悩を払拭したのもまたリリーだった。
親に別の相手と結婚させられそうになったリリーは、すべてを捨てて家を出てきたのだ。
二人はそうして駆け落ちした。
駆け落ちした先では、二人で家を借りた。
彼女が暮らしていた屋敷からすれば、質素な小さな家だ。
不自由な暮らしだっただろうに、彼女はいつも笑顔だった。
そして案外逞しかった。
労働なんてしたこともないくせに、いつの間にか近所のパン屋で手伝いを始めていた。
血なまぐさいことなんて知らないだろうに、俺が怪我をすると手当ての仕方を覚えてきた。
彼女は自分を薄っぺらい人間だと言ったけれど、俺はそうは思わなかった。
彼女は強く、美しかった。
俺はそんな彼女を愛していた。
一生をかけて守ることを誓い、彼女もまたそれを受け入れた。
金髪の吸血鬼に出会ってしまったのは、そんな幸せな日々の最中だった。
――《魅惑の夜候クロード》。
上位吸血鬼が使う魅了は、ただの人間に抗う術はなかった。
積み上げてきた愛も信頼も、すべてを一瞬で書き換えてしまう程の力。
そして、あの惨劇の夜は起こった。
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