第22話「白の世界」
吹雪が、世界を呑み込んでいた。
白だけで塗りつぶされた斜面を、四人の影がよろめきながら下っている。
雪が顔に叩きつけられ、息を吸うたびに肺が凍るようだった。
「トラグさん、まだですか!」
「もう少しだ……この辺に洞窟があるはずだ!」
先頭を行くのはリーダーの男、Bランク冒険者のトラグ。
吹き荒れる雪を掻き分けながら、道を切り開く彼の背を、カノンたちは必死で追った。
女性魔術師ナリアが転びかけ、カノンが腕を掴んで支える。
サブリーダーのジョンは、ナリアの分まで荷物を背負い、最後尾から檄を飛ばす。
「とにかく足を止めるな!止まったら死ぬぞ!」
ナリアはCランク冒険者で、魔法の腕は良いのだが、体力には難があった。
彼女はとうに限界で、肩には雪が積もり、髪は氷の糸のように固まりつつある。
まさか、こんな吹雪になるとは誰も思わなかった。
《白鱗苔》の採取依頼が出たとき、場所に心当たりがあると、トラグが自信満々に言った。
険しい道のりだったが、確かにソレは見つかった。問題はそこからだった。
晴天だったにも関わらず、あれよあれよという間に、吹雪が吹き荒れた。
雪が積もっていき、今では視界は数メートル先すら怪しい。風が叫び声のように耳を裂く。
白の世界の奥で、ほんの一瞬――黒い影が見えた気がした。
(……いま、何かいた?)
カノンは思う。
だが、気のせいかもしれない。
今はとにかく、休めるところまで急がなければ。
(はぁっ、はぁっ……。早く火で温まらないと……死ぬ)
討伐依頼ではなく、採集依頼のため日帰りのつもりで来た。
日が昇る前から出立。2000m級の山を登り、《白鱗苔》を採取ししだい、下山する。
最低限の荷物を整えて、軽装にすることでスピードを重視したのが裏目に出た。
いや、この時期とは言え、こんな吹雪に見舞われる予兆など無かったのだ。
「よかった……っ! 洞窟が見えたぞ、急げ!」
リーダーの声に、歓喜する。
ようやく辿り着いた岩陰に、全員が転がり込むようにして逃げ込んだ。
決して深い洞窟ではない。それでも、外の風が遮られて唸るような音も遠くなる。
「よく耐えたな、お前ら! すぐに火を起こそう。凍えそうだ……」
「本当に良かった、さすがトラグだな。あの吹雪でも、迷わず洞窟に着くなんてな」
「トラグさん! ナリアさんの震えが止まりません!」
ナリアの唇は紫色に染まり、ガタガタと震え続けている。
しかし、中継地点にもなっているこの洞窟にも、薪など物資を置いてあるわけではない。
ここに来る道中に、トラグとジョンが枝を何本か折って少しだけ持ち込んだだけだ。
「――火球!」
カノンは、赤い火球を生み出す。
小さな火が、洞窟の壁を照らした。
「助かるぜ、カノン! うおっ……あったけえな!」
「うぅ……ありがとうカノン……」
このパーティーで、火魔法を使えるのはカノンだけだった。
心もとない量の枝は、雪で湿りきっているが、乾いたらしばらくは燃えてくれるだろう。
火球に温められ、薪も白い煙をあげて順調に燃え出す。
ポーチに残る硬い携帯食を分け合い。湯を沸かし飲む。
「お前も疲れてるだろうに、すまないな……」
火球を維持するのにも、魔力は消耗し続ける。
初級魔法とはいえ、カノンでは1時間と持続させるのも大変だろう。
身動きが取れないまま、日が暮れてゆく。
薪の方も一時間も持たない量だ。
魔力が尽き、薪がなくなったら……この火が消えたらどうなる?
この絶望的な寒さの中、いったいどれだけ耐えれるというのだろうか。
まず間違いなく、朝までには凍死するだろう。
カノンは一人、汗を滲ませながら粘り続けていた。
しかし、ついに限界を迎える。
だが大したものだ。彼は二時間近く火球を維持したのだから。
「ハァ……ハァ……すいません……限界です。薪に火を移します……」
すでに乾いていた薪に火を付ける。
暖かさがガクッと落ちる。
四人は小さな焚き火を囲む。
少しずつ、少しずつ、大切に薪をくべていく。
しかし、二時間もせずに最後の薪をくべることとなる。
段々と弱まる、か細い炎。
残ったのは小さな熾火。
洞窟に闇が満ちる。この暗闇では、互いの顔すら認識できない。
四人は寄り添い、互いの体温を確かめ合うように息を潜めた。
「……少し休んで……魔力が戻れば、また火を……」
カノンはうわごとのように口にする。
しかし、そんなすぐに魔力は回復するものではない。。
魔力切れは、気合ではどうしようもないことは、冒険者なら誰だって知っている。
まして、カノンは限界まで魔力を絞り出した後なのだ。
「すべて俺の責任だ。ただの採集依頼のはずが、とんでもないことになっちまった」
「助けがくるなんてことは……あるわけねぇよな……」
トラグの声は低く、掠れていた。
ジョンもBランク冒険者の端くれ、いかに絶望的な状況かは理解していた。
この状況で助けがくる可能性などない。
その言葉を最後に、誰もが言葉を発さなかった。
震える身体、漏れる吐息だけが、互いにまだ生きていることを教えてあっていた。
◇◆◇
――ノアは吹雪の中を走っていた。
遭難したカノンたちを捜索すると決めたあと、俺はすぐさま動いた。
まずは情報収集。彼らが《白鱗苔》採取のため向かった山の位置、想定ルート。
幸い、ギルド内ではその話題で持ちきりだった。おかげで耳に入る情報は多い。
店が閉まる前に、魔石の専門店で《灼熱石》を買えるだけ買う。
この石は魔力で熱を発する便利アイテムだが、ずっと使い続けられる訳ではない。
数度使えば効果がなくなる消耗品なのだ。
まだ生きているとしたら、きっと凍えているだろうから必需品だ。
俺は、かつて冬の森を彷徨っていた時に着ていた、アーマーベアの毛皮を羽織る。
ノミが居るのか着ると痒くなるが、防寒具としては優秀だ。
――準備は万端。
そこからは、ひたすら全力で山道を駆けた。
《血神の紋章》のスキルを使い、身体強化および自分の血流を早める。
筋力増強により、爆発的にスピードも上がるし、酸素の運搬能力も上がり疲れにくくなるのは実証済みだ。
その状態で、常時発動型の『真界感知』『感覚統合・色域』のスキルを用いて捜索をしている。
人間離れした視覚、聴覚、嗅覚に加えて、熱源や魔力の揺らぎまでも読み取る能力だ。
探知スキルとしてはこの上ない。
風に乗って、かすかに届く匂い。
間違いなく人と焚火の匂いだ。確実に近づいている。
(よし、見つけた! 良かった。まだ生きてそうだ)
だが、同時に異質な“何か”の存在にも気づいていた。
(……にしても、この吹雪はなんだ?)
吹雪の流れが、魔力で色づいて見える。
ただの天候ではない。
この吹雪そのものが“魔法”によるものなのだ。
(なんか、とんでもない怪物が潜んでるな……)
人では気づきようがないが、探知特化のスキルを持つ俺だから気づけた。
本能が危険を訴えている。
今まで出会ったことのないような、ヤバい存在感。
自然現象レベルの影響力を与える魔物。
だとするならば、間違いなくSランク以上だろう。
つまり、災害クラスの魔物だ。
食べて能力を奪いたいと思う反面、まだ俺が届く存在ではないと警鐘が鳴り続けている。
(超気になるが、まずはカノンたちを助けなくちゃ……)
雪の幕の向こうから、何者かの視線を感じる。
温厚というべきか、悪質というべきか。
この寒さで、確実に息絶えるのを待っているのだろう。
これだけの力があるならば、そんなまどろっこしい真似をせずに襲えばいいものを……。
そういう性格なのだろう。俺の存在にも気づいた上で、様子を伺っている。
(マジで、不気味な奴だな。姿すら見えない距離から、こっちを観察してやがる)
積極的に戦いを仕掛けてこないなら、好都合。無視させてもらう。
今は余計な戦いに構っていられない。
日が暮れて、すでに二時間は経過してしまった。
でも、やっとこ見つけたぞ――そこの洞窟にいるんだな!
岩肌の裂け目、わずかに熱源が漏れている。
微かに灯る命の光。
――ノアは雪を蹴り、洞窟へと飛び込んだ。
ガタガタ……ブルブル……。
ブックマーク……高評価……よろしくお願いしま……す……。




