第18話「一人の幸せ、分ける幸せ」
夕暮れ時、街の外で一人の男が焚き火を囲み、料理にいそしんでいる。
火の魔石の赤い灯りが揺らぎ、巨大な寸胴の底から静かに泡が立つ。
そこには実に豊富な具材が用意されている。
水晶蟹を殻ごと叩き割って鍋へ沈める。
続いて、モール湖でとれた白身魚たち、薄切りにした霧蛇肉を加える。
湖と森の旨味を、ゆっくりと水へ引き出していく。
玉ねぎ、ニンジン、香草などを刻み、潰したトマトと一緒に鍋に落とすと、水面が赤く染まる。
最後に、サフランに似た香草を指でつまみ、ひらりと散らす。
淡い黄金色がゆっくりと広がり、赤色と混ざることで、夕焼けのような温かみのある色へと変わるのだ。
名付けて――《モール湖の夕焼けブイヤベース》。
これだけでは終わらない。
数匹の魚の鱗を落とし、串で刺し、塩を振って遠火で焼く。
霧蛇肉を薄くスライスして、しゃぶしゃぶ用に準備しておく。
今日は昆布を手に入れたので、カニ出汁と合わせて、贅沢しゃぶしゃぶを楽しむのだ。
朝から何も食べていないので、すでに腹ペコだ。
時間をかけて料理していたため、もう待ちきれない。
「――では、いただきます!」
スープで木椀を満たし、口へ運ぶ。
甲殻の甘味、魚の清らかな旨味、香草の香り――それらが舌の上でひとつに重なる。
なにも言葉はいらない。
食レポするまでもなく、美味いのは伝わるのだ。
おかわり。……おかわり。
夢中で木椀にすくっては食べる。
それでも寸胴で作ったから、まだまだ底は見えない。
実は今日は米も用意してある。最後のブイヤベースの汁に米をいれて、締めにリゾットまでやるのだ。チーズにスライサーまで買ってある。IQ300の俺に抜かりはない。
◇◆◇
焚き火の赤が、夜に丸く滲んでいた。
ひっそりと立ちのぼる湯気と、魚と甲殻の甘い香り。
そこへ、草を踏む足音が四つ。
街へは入らず、闇の中からこちらへどんどんと近づいて来る。
「こんな所で料理してる変わり者がいると思えば――ノアじゃねぇか!」
知っている豪快な声、アンクルさんだった。
後ろに三人の仲間。疲れているはずなのに、みんな鼻をひくつかせている。
この美味そうな匂いに釣られて来たようだ。
「アンクルさん!どうも、夕飯中でして……」
「夕飯って……なんだよその巨大な鍋は。お前、一人で食う量じゃねぇだろ」
心臓が一瞬跳ねる。
(さすがにヤバいか? いくらなんでも大食いでは誤魔化せない量だよな)
「そ、そうだ! 食べきれなくて困ってたんですよ。少しどうですか?」
「いや、そういう意味で言ったんじゃねぇんだが……催促しちまったみたいだな、悪い」
そう言いながら、アンクルさんは薪のそばに腰を下ろす。
仲間三人も、それぞれ木腰を落ち着けて椀を取り出した。
食べる気満々で、すでに目が期待している。
「じゃあ……どうぞ。熱いので気を付けて」
寸胴からブイヤベースをよそり、ひとりずつ手渡す。
一口目。
同時に響く声。
「うめぇぇぇ! なんだこの濃厚さ!」
「具にカニ入ってね? まさか、水晶蟹……? これ水晶蟹だよな!?」
「俺、こんな美味い料理食ったことねぇぞ……!」
胸がじんわり温かくなる。
誰かが幸せそうに食べてる。それを見て、俺の胃じゃなく心が満たされていく。
(料理を褒められるって、こんなに嬉しいのか?)
気分が良い。アンクルさんには世話になったことだし、ここで恩返しといこう。
「おほん。実は霧蛇のしゃぶしゃぶもありまして。今切りますね」
「霧蛇? ってCランクだろ。
噂じゃひとりでモール湖行ったって聞いたが、本当だったか」
収納指輪から霧蛇肉を出すと、仲間の一人が低くつぶやく。
「うわっ、リング持ち……マジか」
うん。それに関しては聞こえなかったことにしよう。
「霧蛇はこちらに隙を見せてたもんで。あと水晶蟹は脚一本だけで、倒してませんよ?」
変に疑われないように、先手を打っておく。
「なに!? 自分で取ったのか?……てっきり、市場で買ったのかと思ってたぜ」
「水晶蟹はBランクだろ、すげぇ危ねぇじゃねぇか。無茶すんなよ」
完全に墓穴を掘ったようだ。買ったことにした方が良かったか……。
アンクルさんたちの声音が、少しだけ厳しくて優しい。
とりあえず、霧蛇肉を薄く切り終えた。
「この昆布とカニ出汁で、しゃぶしゃぶしてください。塩をちょっと付けるとさらに美味しいです」
みんなで出汁の鍋に箸を入れ、頬張る。
再び、歓声という名のうなり声。
「……はぁ……お前は神か……」
「うまっ……これ蛇肉だよな?」
その反応に、思わずちょっと笑った。
これでも十分満足しただろうが、とっておきを出すとしよう。
「じゃあ最後に……」
米をザラザラとブイヤベースの残り汁へ投入し、かき回す。
濃く深い甘い香りが立つ。
待ちきれずに、生唾をごくりと飲む四人。
キラキラと期待した目が、焚き火より明るい。
汁を吸って、ふっくらと米が膨らむのを確認。
全員の木椀によそってやる。
待ちかねて手を伸ばして来るが、それを制止する。
これは、まだ完成ではないのだ。
チーズの塊をスライサーを使って剃り落としていく。
パラパラとチーズの雪が降る。
その様子を、信じられないものを見たかのように、目を見開く四人。
「――では、どうぞ」
完成したチーズリゾットを一口。
四人の表情がとろける。
もう「美味い」以外の言葉が出てこない。
世界が静かになって、代わりに幸福だけが残る。
俺もひとくち。
(……うん。これだ)
あまりの美味さに、胸の奥からため息が出る。
気づけば、火の揺らぎを眺めながら、空を見ていた。
星が、静かに瞬いている。
初めて、誰かと囲む食卓。
食べる量は減っているのに、何倍も胸に広がる満足感。
――分け合うって、こういうことか。
焚き火の音が心地よい。
寸胴の湯気に混じって、孤独がふわりと空に溶けていった。
ぼっち飯を卒業。
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