変身っ!~『移ろい気味な空模様』より~
『天才』という言葉が嫌いだった。
努力をせずに成功した者がこの世にいるのだろうか。輝かしい生を歩む人は、他人には分からない修練を積んでいるはずだ。
俺はそう信じていた。
だから、『天から与えられた才能だね』と安易に褒めることなどできない。
「あの人のいないこの世に、何の未練があろうか」
それなのに、初めてスクリーンに映る彼女を見た時。
『天才』という言葉以外に、彼女を褒める術を見つけることができなかった。
「それとも、貴方が埋めてくださるのかしら? 私の、空虚な心を」
瞳が映る。その妖しい輝きが深淵に引き込んでいく。
この後、彼女に笑いかけられた男は連続殺人という泥沼にはまり込んでいく。
その気持ちが、自分は警察官だというのに、分かる気がしてしまった。
これが『天才』と称されるアイドル女優、美空の実力なのか。
そう感動していたというのに。
「あー、この時鼻が痒くて大変だったんだ。変な顔になってませんか?」
隣に座るご本人に気の抜けた声で解説されては、脱力するしかなかった。
日当たりの良い、落ち着いた空気が流れる喫茶店は今日も閑散としていた。
年配の老紳士が一人でやっている店だ。流行のオシャレな感じは微塵もない。
しかし、その空気こそが彼、天宮大地の好むものだった。
「ぶつぶつぶつ」
目の前で少女が一人、ソーダ水に向かって呟いている。眼鏡が少々曇っていて、彼女の表情が見えない。
正直言って、怖い。
「……不満は口に出した方が良いぞ、美空」
名前を呼ばれて、少女は顔を上げた。頬が膨らんでいる。相当、ご立腹のようだ。
「私、確かに何でも良いって言いましたけど、よりによって何でサスペンスなんですか。こういう時ってラブロマンスとかじゃないんですか? あんな怖い映画で良い雰囲気になんてなりませんよ」
彼女はどうやら「デート」というものに拘りを持っているらしい。それなら言ってくれれば良いのに、と大地は思う。
大地と美空では一回り年齢が違うのだ。それに加えて、大地は女性のことは全く知識がないと言っていいほどに疎い。彼女が望むような状況を提供してあげる自信は無い。
「君が絶対に見てねって言ってたから選んだんだけど」
「いったい、いつ?」
大地は黙ってカウンターを指さした。そこではマスターが小さなテレビを覗き込んでいた。
辛うじて画面が見える。マスターは黙って音量を上げた。
『今度の映画では一人二役に挑戦しました。面白いから、絶対に見てくださいね!』
そこには満面の笑みで記者に答える美空の姿が映っていた。
「……確かに言いました」
「だろ?」
今度は彼女が脱力して項垂れた。
「アレはリップサービスですよ。私自身は怖くて見たくありませんよ」
改めて、彼女の名は雨乃美空。『美空』名義で女優業、『misora』として歌手をしている。最近ではバラエティにも出演している、いわゆる芸能人というやつだ。
ただ、大地は正直にいって彼女のそういった方面での活躍はよく知らない。そもそも、テレビ等娯楽にあまり興味がないのだ。
「面白かったぞ? アレなら、前二作も見ようかなって思える」
それでも、今日の映画は楽しめた。オカルト要素満載の事件を科学的に解明する小説が原作となった『内海研究室の事件ファイル』、通称『内研』の三作目だ。主人公の助手役、遠野香澄として彼女は一作目から出演している。
今作では主人公と彼女の出会いの事件が描かれていた。そして、過去に起こった殺人事件の首謀者、飯田翔子が彼女と瓜二つということで、新たな事件が起こる。
前述の通り、美空は一人二役だ。活発行動派な女子高生と、若くして妖しい魅力を持つ女性。
はじめは「うわー、本当に美空が演ってるんだ」という思いで見ていた大地だったが、すぐに脳はスクリーンの彼女を香澄と翔子という人物に処理した。美空は、映画という世界で命を生み出している。そう、感じた。
これなら、友人が熱を入れて彼女を応援するのも分かる。大地の中には、これまでの美空の仕事が気になる純粋な自分がいた。
「えー。大地さんに昔の演技見られたら私窒息死しまーす! 今日だってギリギリのところで我慢してたんですから」
メガネが外れそうになるくらい、勢いよく立ち上がって彼女は吠えた。昔、とは言っても2、3年前だ。ただ、今の彼女の年齢からすれば、感覚的に相当昔なのかもしれない。
15歳、現役の中学生だ。これで、幼く見えるという設定でありながらも大学生役をやっているのだから大したものだと大地は思う。
彼女は化粧と演技で10歳は歳を重ねることができる。デビューの頃は小学生、と言っても誰も信じてはくれないだろう。
ちなみに年齢は公表していない。美空と出会ってから、大地は彼女の年齢を推測する友人達の姿が滑稽で仕方がなかった。
「わかった。それなら、こっそり見る」
「だから、みちゃダメなんですってば!」
怒鳴りながら、どうしてこんな展開になったのだろうかと美空は自答する。
昨日、相手側のキャンセルで突然今日の予定がぽっかりと空いた。事務所の人は苛立ち、美空に対してはひたすら謝っていたが、当の本人は喜んでいた。最近、決まった休みがもらえない。急とはいえ、暇ができたのは嬉しいことであった。
大地にメールを送ってみる。美空は機械が苦手だから、最近ようやく携帯電話を連絡用以外に使えるようになった。とはいえ、相手はもっと機械オンチだからなかなか返信をくれないのだが。
しかし、予想外に早く返信が返ってきた。そして、その内容はもっと予想外だった。
――俺も明日は非番だから、どこかで会わないか?
思わず吹き出した。彼から誘われることなんて初めてだ。どういうことだろう。
自然と胸が膨らむ。それから妄想と計画を繰り返した。
(色々と考えたんだ、今日の服装。大地さんと並んで恋人っぽく見られるには、大人っぽいのでいこうとか)
視線を下げる。そこにあるのは用意したスカートではなく、使い古した稽古用のジャージだ。
舞い上がっている美空の噂を聞きつけた叔母兼事務所社長に目立つ格好はNGを出されたのだ。普段、コンタクトをしている目にも眼鏡をつけている。それも、黒い縁がとても目立つ代物だ。
これじゃ、どう転んでも「歳の離れた兄に、都会を案内してもらっているお上りの田舎娘」。デートにすら思われない。事務所からすれば、大正解なコーディネートなのだろうが。
(メガネさえすれば、バレない自信あるんだけどなー)
普段の彼女には芸能人だ、というようなオーラは全くない。本職のモデルには及ばないものの、容姿もスタイルもレベルが高い。それなのに目立ったことはない。本名で活動しているというのに、学校では先生以外誰もが彼女と『美空』を同一視しない。
そもそも、学校は休みがちで旧友には不登校と思われているのかもしれない。
「美空?」
「は、はい」
少々考えこんでしまったようだ。気づけば、訝しげな表情で大地が美空を眺めている。
「話、聞いてた?」
「ごめんなさい……」
この、事あるごとに考え込む癖はどうにかしたいものだと美空は思う。今日のように思案事なら、まだ良い。問題なのは絵空事でも同様だということだ。
「まぁ、いいや」
美空の話を聞かない加減に大地もしばらくの付き合いで慣れたのか、流して話を続ける。
「前に君が言ってたろ。格闘技習いたいって。俺はさすがに無理だけど、オヤジがいつでも時間作ってくれるってさ。ただし、条件として一度顔を見せろって」
「もしかして、今日呼んだのってその為ですか?」
「ん? そうだけど」
美空は力尽きて、テーブルに額を打ち付けた。年代物のそれが大げさに鳴き軋むのに、大地は目を丸くする。
なんて思わせぶりな人なのだろうか。美空は恨み言の一つでも言いたくなる。
確かに格闘技を習いたいと言った。今の自分では本当の意味で表現できない役をもらったからだ。
しかし、彼女の思いとは裏腹にスタッフ側もスポンサー側も、下手すればこれから見てくれるだろう視聴者でさえも、彼女にそこまではもとめていないかもしれない。
現在放映中の前作が視聴率低迷の憂き目にあっている。シリーズのテコ入れとして、外部の血を入れるための役割が美空。話題性も含めて。つまり、現場は美空自身をもとめているわけではない。あくまでも、映画畑で人気のある女優「美空」が欲しいのだ。
とはいえ、一年も同じ人を演じられる機会など滅多にない。そんな長い間、「私じゃない誰か」に変身し続けられると聞くと心が騒ぐ。
故に、自分でできることは全力でやり通したいのだ。
「大地さんは教えてくれないんですか?」
しかし、そういった高い志以外にも邪な理由があった。
題して『大地さんと二人っきりで手とり足とり大接近』作戦。大地も自分の好きなことをしていれば気が緩むだろう。そう、企てた。
「言ったろ? そもそも、普通に休みないんだから。君も俺も」
その目論見は、物の見事に打ち砕かれた訳だが。
(うう、誕生日まであと僅かなのに何にも進展してないよー)
美空は彼と出会ったばかりの頃を思い出し、頭を抱えた。
――ほら、こっち!
巡視中の彼は、人の群れに飲まれていた美空を力強く引き寄せた。その時の手の大きさを、昨日のことのように覚えている。
この人を手放してはいけない。美空は生まれて初めての感情に戸惑いつつ、口走った。
「私と、結婚してくれませんか!」
今思い出すと、顔から火が出てくるような痴態だ。自分でもなぜそのようなことを言ってしまったのか、未だに分からない。ただ、それほど大きな衝動だったのだ。
幼い頃に両親を亡くし、家族というものに飢えていた。その全てを埋めてくれる存在、そう大地のことを認識した。
彼は少し考えた後、恥ずかしさに頭が沸騰している美空をさらに動揺させる返事をする。
――分かった。
彼の眼差しは、真剣だった。
――君の瞳を見てれば、真面目だって分かる。そういうのに、大人だとか子供だとかないから。
戯れ言だと切り捨てず、彼は真っ直ぐに美空を見つめて答える。あまりにも真顔で、美空はどんな顔で聞いていれば良いのか戸惑う。
――でも、俺も法律を守る側の人間だから。ちょっと今は無理だな。君、おそらく16歳になってないだろ?
この台詞には驚いた。美空はこの時、本当の年齢を言っていない。仕事中の出来事だったから、ずっと大人の演技をしていた。
演技中にそれが見破られたのは初めてのことだ。
――だから、16歳になった時。まだ気持ちが変わっていないようだったら、その時にもう一度返事をするよ。
それからしばらく付き合って分かったことがある。天宮大地は度が過ぎるほどに真面目で純粋なのだ。
人の好意は素直に受け取ってしまう。だから、美空が16歳を超えていれば、あの時点でゴールしてしまっていた。
それではいけない、ということが今の美空には分かる。
(本当にそばにいてもらうには、大地さんを私に惚れさせないと!)
美空は誓った。16歳の誕生日までに、必ず大地の心を手に入れるのだと。
結果は言わずもがな、なのだが。
「しかし、必要かね。君に格闘技って」
今もこうして、勘が鋭いくせに、美空が悶々と考え事をしていることには気づかずにマイペースに話を続ける。美空は落胆の嘆息をし、前を見た。
「必要なんですよ。今度の役作りに」
「でも、『変身物』だろ? 俺も小さい頃は見てたけど、女の子がそんなに動いている記憶はないがな」
中に入るって言うなら話は別だけど、と彼は笑った。
こうして時々、満面の笑みで笑う。子供みたいで可愛いと、美空は思う。
「戦う場面は多くないんですけど、それでも必要なんです。『彼女』になるには」
一人の人間には過去を積み重ねた今がある。それが美空が役を自分のものとする時に意識することだ。
『彼女』は幼い頃から親元を離れて戦士としての教育を受けていた。孤独は、立場は違えどすんなりと入ってきたが、問題になるのは戦士としての気概の部分だ。
時代が時代、自分の性格から考えても戦う為に必要な想いを想像することは難しい。だから、なかなか『彼女』の心をつかむことはできないのだ。
「やっぱり、動きを知っているか知っていないかって大きな違いで。稽古が始まるまで時間がありますし、自分の中でつかんでおかないと……あっ」
ここで、自分が語りすぎていることに美空は気づいた。大地は暖かい眼差しを彼女に向けている。
「ご、ごめんなさい」
「いや、やっぱりプロだなと思って」
そこまで力を入れる彼女に、大地も作品が気になった。まだ、放映されるのは先の話だそうだが楽しみなことに変わりはない。
友人に頼んで、録画しておいてもらおうと大地は一人頷く。
「それって、どんな役をやるんだっけ?」
単純に大地と話をしていることが楽しい美空は花が咲いたように笑った。
「聖戦士ナイトセイバーのリリィっていう子です。久々に同世代の女の子が演れるんですよ」




