65 おうじさま
65話
窓の外に現れた猫は、すぐに姿を消した。
もしかしたら、誰か助けを呼んでくれるかもと、考えたところで、フッと笑う。
猫が助けてくれる、だって?
バカバカしい。
そんな奇跡があるなら、そもそもレオン達は孤児になんてなっていないだろう。
つまり、救いなんてないってことだ。
「ん……うーん」
レオンの後ろから声が聞こえた。
まずい。
ミリナが目を覚ました。
レオンが心配した通り、縛り付けられたことに気付いたミリナは、大声で泣いた。
「うわぁぁん!うごけないよー!うわぁぁぁぁん!こわいよー!」
ダメだ!
もし、誘拐犯に聞こえたら、どうなるか!
レオンは深く息を吸うと、努めて意識して、できるだけ静かな声を出した。
「大丈夫だよ、ミリナ。ほら、僕が一緒にいるからね」
「……レオンたん?ヒック」
「そうだよ。泣かなくても大丈夫。これはただの遊びなんだ。このまま静かに待っていたらお姫様役のミリナを、王子様が助けに来てくれるからね」
レオンは言いながら、胸が苦しくなった。
こんな嘘をついてなんになるのか。
この先どうやってミリアを騙して続ければばいいんだ。
助けなんてこないのに。
「ミリナはおひめたま?んと、んと。おうじたまはレオンたん?」
「僕?僕は……王子なんかじゃないよ。僕なんか……」
「ん……あ、あれ!?」
続けてユリが目を覚ました。
「あ、ユリたん、おはよー!」
「え!?ミリナちゃんなの!?え?え?どういうことなの?」
「お、落ち着いてくれ、ユリ。今は王子様とお姫様ゴッコをしてるんだ。ミリナにそうやって説明したところなんだ。だから大きな声を出しちゃダメだ」
「え?レオンくん?」
「いいから、静かに。息を大きく吸うんだ。ほら、スーハースーハー」
「わ、わかったなの。静かにするなの。スーハースーハー」
かしこい子だ、とレオンは思った。
ユリはミリナより大きいとは言え、まだ5歳だ。
本当は泣きたいほど恐ろしいだろう。
——一番年上の僕が弱音を吐いてどうする。
先のことはわからなくても、今できることを全力でやろう。
自分にできることは、命がけでゴッコ遊びを続けることだ。
ギィ……。ゴツゴツゴツ。
上からドアの開く音が聞こえ、続けて重いブーツの足音が聞こえた。
まずい。
犯人の顔を見たら、殺されてしまう。
レオンはとっさにそう思った。
「今から、我慢大会をするよ?王子様が来るまで目を閉じていた子が優勝だ。優勝賞品は、前にレイヴァリアちゃんが持ってきてくれたおいしいクッキーだよ」
「あのクッキー!?ミリナ、クッキーたべたい!」
「優勝した子にはクッキーを好きなだけあげるよ。じゃあ、ユリもいいね?——はい、目を閉じて」
「は、はいなの。目を閉じたなの」
「ミリナもとじてるよ!ぜったいにあけないもん!」
ゴッゴッゴッ。
足音がレオンの眼の前で止まった。
「おうじたま?ミリナ、おめめあけていい?」
「ダメだ。この人は王子様じゃない。絶対に見ちゃダメだ」
「はは……。王子様ねぇ」
頭上から聞こえたのは、どこか神経質そうな男の声だった。
「なるほど、俺の顔を見たら殺されるって思ったわけだ。賢いな、お前。——だがな?」
ボグッ!
男のブーツがレオンの腹にめり込んだ。
「……っ!」
レオンは声を出さなかった。
レオンの耳元で男が囁いた。
「俺は王子様じゃねぇって?じゃあなにか?俺は生まれついての悪党って言いてぇのか?」
レオンは声を出せなかった。
一度でも口を開くと、叫びだしそうだった。
「ふざけんな!ふざけんな!ふざけんなよ!この色男が!」
一発二発三発と、ケリを入れられた。
「俺はな、本当は善良な人間なんだ。ロギスの野郎にそそのかされなきゃ、今頃はシルビアと仲良く冒険者をやってたんだ。そんな俺を悪党呼ばわりだと?」
レオンの髪をつかみ、男が囁いた。
「いいだろう。お前が俺を悪党って言うなら、その通りにしてやろうじゃねぇか。目を開けるなよ?目を開けたら、次はあのガキ共だ。ヒヒヒ」
レオンの髪を乱暴に放し、男が言った。
「ゲーム開始だ」
そこからは地獄だった。
ゴッ。ガッ。ボグッ。グチャ。
何度も腹を蹴られ、顔を殴られ、足を踏みつけられた。
おそらく、肋骨も、足も、腕も、骨が折れている。
だがレオンは声を出さなかった。
胃液を、血を吐き出しても、声だけは出さなかった。
「すげぇ!すげぇぞ!ほんとに声をださねぇんだな!大した根性だぜ!ヒヒヒヒ!」
「レオンくん!」
「レオンたん?」
二人の声が遠くから聞こえる。
男は再びレオンの髪を持ち上げ、言った。
「ほら、どうした王子様。お姫様達が心配してるぞ?」
レオンは朦朧とする意識の中、湿った声で、命がけのゴッコ遊びを続けた。
「だ、大丈夫……。ぼ、ぼら……目をあげじゃ……グッギーが……もらえだい……よ」
レオンの言葉を聞いて、男はわざとらしいほど大きなため息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁぁ……。しらけたわ。はいはい、お前はかっこいいよ。
お前らの中じゃ、どうせ俺は悪党なんだろ?
じゃあ、悪党らしく、こう言ってやるよ」
シャ。シャ。
おそらく剣が鞘から抜かれた音が二つ。
「じゃあな、王子様。あの世でもカッコつけてろ」
男の言葉が意味するものを、レオンは理解した。
——さようなら。みんな
せめてエレナとユリは助かりますように。
覚悟を決めたレオンが全てに別れを告げたとき——
ドカン!
爆発音のような轟音が鳴り響いた。
「な、な、な、なんだテメ……ブフォッ!」
ゴッ!ゴシャ!
鈍い音がして、続いてなにかが壁に激突する音がした。
「レオン殿! くっ! なんと酷いことを!」
知らない女の人の声だった。なぜ僕の名前を?
「いま治してやる。——《再生》!」
女の人が言うと、レオンの体が温かいなにかで包まれる。
あれだけ痛くて苦しかったのに、今ではポカポカと、ただただ気持ちがよかった。
恐る恐るレオンが目を開けると、そこにいたのは——女神様だった。
金の髪に、黄金の瞳。絵本を読んで想像していた通りの女神様を見て、ああ僕は死んだんだな、とレオンは思った。
いつの間にか、拘束は解かれ、レオンは女神様に抱かれていた。
なんだか良い匂いがする。焼き立てのお菓子みたいに甘い匂い。ここが天国ってところだろうか。
「よく頑張ったな。もう大丈夫じゃ。みんな無事じゃぞ」
女神様はそっと僕を床へ下ろし、笑みを浮かべた。
まるで万物に祝福を与えるような柔らかい笑顔は、この世のものは思えないほど美しく、そして優しかった。
少し冷静になってきたレオンがよく見ると、女神様は20歳ほどだろうか。いつか孤児院に来た5歳の少女、レイヴァリアに、なぜだかよく似ていた。
いや、それよりも……みんな無事って言った?
死んでるのに無事とは? ここは天国だよね? どういうことだろう。
右手を見る。
切り落とされたはずの、親指がある?
触るとちゃんと感覚もあった。ほら、やっぱり死んでるじゃないか。
「もう、おめめあけてもいーい?」
ふいにミリナの声が聞こえた。
え? ミリナ? と思い慌てて後ろを見ると、そこには目を閉じたままのミリナとユリがいた。
縛られていた二人の手足は解放されており、両手で目を覆っている。
ミリナとユリが、どうして天国に?
いや、まさか……僕は生きてるの? それともミリナ達も殺されたの?
女神様が言った。
「ああ、開けてよいぞ?」
ミリナが顔を覆っていた手を外し目を開けると、眼の前の女神様を見て首を傾げた。
「おうじたま? おうじたまは、おんなの人だったの?」
ミリナの言葉に、女神様は一瞬驚いたような顔をして、すぐに笑顔に戻った。
そしてミリナの頭を撫でながら言った。
「王子様? なんじゃ。お主は王子様を待っておったのか」
女神様は続けて、カカカと笑い、言った。
「王子様なら、ずっとここにおったぞ? お主たちの側に、ずっとな」
女神様が僕の方を見てウインクをした。
その顔はまるで小さな少女のように見えた。




