2 死後の世界で女神殿と
「ぬッ!?」
尋常ならざる気配に飛び起き、跳ねた。
宙を舞いながら現状を把握する。
鎧もブーツもなく、まとっているのは白いひらひらした服のみ。
つまり——戦いに支障はない。
回転しつつ、練り上げた煌気で両拳と両足を武装した。
「シッ!」
着地と同時に白い床を蹴り上げ、異形の存在へと渾身の跳躍。
「死ね!」
『煌』によって最高硬度となった拳を叩き込む。
巨竜の防御障壁すら砕いた必殺の一撃じゃ。
ドガンッ!!
じゃが砕けたのは、光沢のある白い床だけじゃった。
「ちょちょちょっ! ちょっと待ってください! いきなり戦闘体制ってどういうことですか! 『死ね』ってどういうことですか!」
瞬時に背後へ移動した人物が、焦りの声を上げた。
「そのように剥き出しの煌を纏っておきながら、なにを抜かす」
「煌? ……あ、神気のことですか? すみません、最初だから威厳を出すためにちょっと張り切っちゃって。消します消します。はい、これでどうですか?」
言葉通り、人物から迸っておった威圧が、綺麗サッパリ消え去っておる。
「つまり、害意はないと?」
「ありません。というか、いきなり殺意全開で殴りかかるのは、普通にどうかと思いますけど?」
「む……申し訳ない。先ほどまで死ぬか生きるかの戦いだった故に……ん?」
煌気を纏った右手を見た。
巨竜との戦いで失くしたはずの右手が——ある?
それどころか、全身の傷が癒えている。
っていうか、シワシワだった手が、まるで10代のようになっておる。
「右手ですか? 綺麗にちぎれちゃってましたから、ここへ呼ぶときに戻しときました。
元の腕は消滅しちゃってたんで、材料は竜です。
彼女の躰が無駄にならなくてよかったです。
これぞ環境に優しいリサイクルってやつです。ハハハ。
あとついでに若返らせておきました」
——ザザザ。
全身から、血の気が引いた。
つまり命の恩人を——殺そうとしたのか。
「もももも、申し訳ないッ!!!」
ゴシャッ!!
硬い床に頭を打ち付けた。
いわゆる、土下座というやつじゃ。
師匠であるクソの塊みたいな性格の魔族に教わった、最上級の謝罪の意である。
「ワシは命の恩人になんてことを……! 申し訳なかったぁッ!」
ガンガンガンッ!!
頭を打ち付けるたびに、白い床に亀裂が広がっていく。
「や、やめてください! 私の住居を壊さないでくださーい! 許します! 許しますから、床を壊さないでぇ!」
‡
あれから女神殿と話をして、結論から言うと、ワシは地上へ戻ることとなった。
なんでも、ワシは神の試練とやらを突破したらしく、魂のレベルが神へと昇格するはずだったのだが、どうやら資格が少しだけ足りないらしい。
その資格というのは——『普通の生活』じゃった。
ワシは困惑した。
そもそもワシにとって普通の生活というのは常在戦闘のことであり、油断が死に直結する生活のことである。
女神殿曰く、それは『普通の生活』ではないとのこと。
なので地上へ戻り、『普通の生活』とやらを経験することとなったのだ。
‡
一通りの説明を受け終えると、「転移の間」という部屋に連れてこられた。
「ここから下界へ戻るわけですが……覚悟は、よろしくて?」
女神殿の言葉に、胸を叩き力強く答える。
「委細承知。恩人である女神殿のため、どんな過酷な環境であろうとも必ずや使命を果たしてみせます」
女神殿は、少し困った表情になった。
「いや、あなたが元いた場所以上に過酷な環境なんてありませんからね?
あそこに比べたら今から行く場所なんて……まぁいいでしょう。
あとは行ってからのお楽しみということで」
後半の女神殿の口調はどこか楽しげだった。
「では、始めます。そこへお立ちくださいな」
言われた通り、床に描かれた大きな紋様の中に立つ。
女神殿が呪文を唱えると、ワシの体が光を帯び——指先から粒子となって分解され始めた。
痛みはない。
不思議と恐怖心も、ない。
——静寂だけが、包み込んでいく。
「私からあなたへ名前を授けましょう」
女神殿の声が、やわらかく響く。
「あなたの名は、レイヴァリア——気に入っていただけるとよいのですが」
視界が、淡く揺らぐ。
「さぁ、我が使徒レイヴァリアよ。旅立ちなさい」
女神殿の手が、そっと差し出される。
「願わくば——この旅が、あなたにとっての福音でありますように」
光の粒が、さらにワシを包み込んでいく。
意識が薄れ——視界が溶けていく。
そのとき。
女神殿の言葉が響いた。
「最後に1つだけ……」
——?
「気がついてないと思いますけど——あなたって、相当な美人さんなんですよ?」
そして——ワシの意識は完全に光の中へ消えていった。