14 普通の宿屋
14話
「ちょ、ちょっと待ってくれぬか!?」
ワシの顔はかつてない程に青ざめていたと思う。
まさかの大ピンチに、ワシは成すすべがなかった。
どうしてこうなってしまったのか……。
時を少し戻そう。
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ワシ等は買い取りの件が一段落し、冒険者ギルド会館を出た。
日は落ち、あたりは薄暗くなってきておる。
もうこんな時間なのか。
「あの、レイヴァリア様——本当にいいんですか?」
金貨の入った皮袋をしっかと抱きしめ、セレナ殿が言った。
金貨100枚を持って帰るのは流石に危険と判断し、とりあえず普通の皮袋に入る金貨20枚を、セレナ殿は受け取った。
残りはギルドで保管しており、いつでも引き出せるとのことじゃ。
冒険者になると、ギルドの『銀行』を利用できる。
Eランク冒険者であるセレナ殿が、その銀行機能を使ったってことじゃな。
ついでに言うと、ワシのランクはDランクじゃ。
ギルドマスターの言う通りになったわけじゃな。
ま、どうでもいいがの。
「――言ったじゃろう。あの熊畜生に迷惑をかけられたのはセレナ殿であって、ワシではない」
ワシの言葉に、弟子であるエルミナ殿がうっとりとした表情を浮かべる。
「さすが師匠だな! 大金を他人にポンと譲るなど、普通はできないぞ?」
猫のアビーをギュッと抱きしめ、エルミナ殿が言った。
うむ。
もっと尊敬するがよい。
だがちょっと待て。
最後に聞き捨てならないことを言いおった。
『普通はできない』——じゃと?
「エルミナ殿」
「何だ師匠?」
ワシは大きく息を吸い込んで、言った。
「よく考えてみよ。御母堂の為に危険な目に遭ったセレナ殿と、ただ熊畜生に腹が立ってうっかり殴り倒しただけのワシでは、どちらが金を受け取るべきじゃ?エルミナ殿がワシの立場なら、どうするのじゃ?まさか、金を独り占めをするような非道な真似はするまい。ワシは弟子を信じておるからな。しないじゃろ?しないと言え!さぁ言うのじゃ!さぁさぁさぁ!」
「ど、どうしてそんなに早口なのだ?——でも、確かに、私が師匠の立場なら、私もセレナ殿に——」
「じゃろ?じゃろ?つまりワシの行いは当然じゃし、普通のことなのじゃ」
「しかし、だからといって全部は——」
「くどい。もうその話は終わったのじゃ。ワシが普通と言ったら普通なのじゃ」
「ふぅ……わかったわかった。とにかく師匠は普通なのだな。確かに『普通の善行』と言えなくもない」
「うむ、わかればよい」
「しかしなんなのだ、師匠の『普通』へのこだわりは——っていうか、今、宿に向かっているわけだが、師匠は金を持ってるのか?なんなら私が融通しても——」
「カカカ。ワシを誰だと思っておる?弟子から金を借りるようなみっともない真似ができるか」
「誰だと思ってる、と言われると、非常に返答に困るのだが、そもそも師匠は何者なのだ?その年齢でその強さ……さらに、その見た目といい、その喋りといい。——ワワワ! そ、そんな睨まないでくれないか。師匠は普通だ!普通の変わった人物だ!それでいいだろう?」
「うむ、わかればよい」
「あ、レイヴァリア様!あそこです!あそこがギルドオススメの宿——『猫の尻尾亭』ですよ」
セレナ殿が指差す先にあるのは、高級でもなく、低級でもない、いわゆる普通の宿——それが『猫の尻尾亭』じゃった。
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「私はセレナ殿を家まで送ることにする。大金を持ったまま一人で歩かせるわけにはいかんからな」
「うむ、任せたぞエルミナ殿よ。——それと修行は怠るでないぞ?」
「今日の試合をひたすら繰り返す——だな?実際に剣を握り、実際に動き、空想の師匠に勝ち越せるようになるまで毎日続けよう」
「うむ、励むが良い——では、な」
「では、また近い内にまた会おう、師匠」
「あの、レイヴァリア様……このお金でお母さんの薬も買えるし、治療もできます。本当に、本当にありがとうございました!」
「カカカ。よいよい。セレナ殿のおかげで『普通の生活』とやらを完璧に理解できたからのう。それくらい安いものじゃ」
「それじゃ、失礼します!」
そうして二人は去って——
「む?ちょっと待つが良い」
ワシの言葉に、エルミナ殿の背中がビクっと跳ね、足を止めた。
「――アビーをどこへ連れて行くつもりじゃ?」
続けてワシが言うと、アビーを抱えたままのエルミナ殿が振り返って、ペロリと舌を出した。
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そして冒頭のシーンに戻るわけじゃ。
「つまり、お嬢ちゃんは、お金は持ってないけど、この宿に泊まらなくちゃいけない、ってことだね?」
「金ならあるのじゃ!ほらほらほら!」
ワシは《無限収納》から取り出した金貨をジャラジャラとカウンターの上に出した。
これは、女神殿からいただいた『一生遊んで暮らせる額の金貨』全部だ。
「あのね、お嬢ちゃん。こんなオモチャのお金もらってもしょうがないの。うちは慈善事業をやってるわけじゃないんだから」
「そ、そんな……ではワシはどうすれば……」
いかん。
泣きそうじゃ。
こんなことならば、格好をつけずに少しでも金を受け取っておけば——いや、そんな無粋な真似は死んでもできん。
無様をさらすくらいなら野垂れ死んだほうがマシじゃ。
じゃが、宿屋の人の言う事ももっともじゃ。
客は金を払って宿に泊まる。
宿は金を受け取って客をもてなす。
それが普通なのじゃから。
ワシはカウンターの上のオモチャ金貨を回収して、女将さんに頭を下げた。
「迷惑をかけたな……。すまなかったのじゃ——行くぞ、アビー」
人とは——世間とは冷たいものじゃ。
我慢できずポロポロと涙がこぼれる。
なんと情けない……。
おのれ女神殿め。
使える金貨の種類くらいちゃんと把握しておくがよい。
トボトボと立ち去るワシの背中に、女将のクソデカため息が聞こえた。
「ハァァァ――お嬢ちゃん、ちょっと待ちなさい」
振り返ると、女将さんが指でチョイチョイとコイコイした。
「さっきの硬貨を一枚渡しなさい」
ワシは急いでインチキ硬貨を取り出し、女将さんに手渡した。
「食事は朝晩二回。部屋の掃除は自分でやること。あと朝方と夕方の忙しい時間は店を手伝うこと」
ワシの眼の前がパッと明るくなった。
「まさか——泊めてもらえるのか!?」
「客としては扱わないよ?」
「かたじけない、かたじけない!女将さん、いやさ、女将様!」
今のワシは流しているのは、感謝の涙じゃ。
人とは、世間とは、こんなにも温かいのじゃ。
こうしてワシは普通の宿屋に泊まることができたのじゃ。
全て予定通りじゃ。
カカカ。
さすがワシ。
余談だが、ワシが女将さんに渡した金貨は白金貨といって、国家間の取引に使うような硬貨であり、一枚金貨1000枚の価値があることにワシと女将さんが気付くのは、先の話である。つまり女神殿の言った『一生遊んで暮らせる額の金貨』とは嘘ではなかったのである。女神殿よ、疑ってすまぬ。