第九章 暴かれる秘密
日常は、静かに流れていた。
レナとの夜が明けても、美由紀の生活は変わらなかった。
むしろ変わらなかったことが、不自然なほどだった。
慎とは、これまで通りの距離感を保っていた。
触れそうで触れない、絶妙な温度。
慎の目には、優しさと、どこか迷いのようなものが混じっていた。
美由紀は、それを見て安心すると同時に、わずかな罪悪感に苛まれていた。
(わたしは“何者”として、慎に会っているんだろう)
レナの手で開かれた世界は、美由紀の中で確かな“居場所”になりつつあった。
けれど、慎と過ごす時間が“嘘”になったとは思いたくなかった。
**
ある日、思いがけないことが起きた。
慎が、美由紀のスマホ画面を偶然覗いてしまったのだ。
ほんの一瞬。通知に浮かんだ、レナからのメッセージ。
「あなたの“痕”、まだ綺麗についたままかしら?」
言い訳の余地もない言葉だった。
「……これは、どういう意味?」
慎の声は、怒りではなかった。
けれど、静かな問いかけほど、美由紀を追い詰めたものはなかった。
「ごめん……慎。わたし、全部話すね」
その夜、美由紀は慎にすべてを打ち明けた。
女装に目覚めたこと。
レナという存在。
そして、自分が“何をされて、何を求めてしまったか”。
語る声は震えた。
恥ではない。
理解してほしいという、必死の願いがこもっていた。
慎は、黙って聞いていた。
どんな表情か、目を合わせることができなかった。
長い沈黙のあと、慎は言った。
「……俺には、正直わからないこともある。
でも……美由紀、お前が苦しんできたことだけは、今わかった」
「……うん」
「俺はさ、お前が“誰”であっても、隣にいたいって思ってた。でも……それは“知らなかった”から言えたことかもしれない。今みたいに、全部知ったあとでも、同じように言えるかどうか……正直、自信ない」
その言葉は、優しさだった。
けれど同時に、美由紀の心に、小さな裂け目を生んだ。
「そっか……ごめんね。ありがとう、話を聞いてくれて」
**
その夜、美由紀はひとりで帰った。
スマホの画面には、またレナからの通知が灯っていた。
「ようこそ、“本当のあなた”の世界へ」
画面を閉じながら、美由紀は深く息を吸い込んだ。
(愛されることだけが、すべてじゃない)
(わたしは、わたしを生きるために、ここにいる)
次回:第十章「選びとる名」
「てつ」としての過去、「美由紀」としての今。
どちらかを消すのではなく、どちらも抱きしめたまま、美由紀は“名乗る”ことを選ぶ。
本当の名前にたどりつくための、小さな決断の物語。