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第七章 あなたに触れられるとき

慎と会う日が、週に一度のリズムになっていた。

「てつ」と呼ばれることに、最初は胸が痛んだ。けれど、慎の隣にいるときだけは、その名前が少しだけ許せた。


彼は、美由紀の“中身”を、言葉にせずとも見つめようとする人だった。


「今のお前、いい顔してるな」


居酒屋の灯りの下で言われたそのひとことが、胸に染みた。

言葉では伝えていない。それでも、慎は“今のわたし”を受け止めようとしている。

それがどれだけ救いだったか、美由紀自身が驚くほどだった。


**


その夜、慎の部屋へ行った。


「今日は、ちょっとだけ飲みすぎたな」と笑う彼の隣で、美由紀は息を呑んだ。

慎の部屋は、思っていたよりもずっと生活感にあふれていて、そこに自分がいることが、なぜか不思議だった。


シャツの袖をまくる音。ソファに沈み込む身体。

慎は、美由紀の方を見て、ふと真面目な顔になった。


「……今、てつじゃなくて、美由紀って呼んでもいいか?」


その言葉は、胸の奥を突いた。

名前を呼ばれるということが、こんなに“存在”を肯定されることなのだと、初めて知った。


「……うん。呼んで」


「美由紀」


たったそれだけで、世界の輪郭が変わった気がした。


慎の手が、そっと美由紀の頬に触れた。


「……本当に、綺麗だよ」


それが“女として”の言葉かどうかはわからない。

でも、美由紀の心は、確かに震えていた。


唇が触れた瞬間、頭の中が真っ白になった。

抱きしめられるたび、“男の自分”が剥がれていくような錯覚に陥った。

触れられ、包まれ、少しずつ身体の奥が「わたし」になっていく。


でも――どこかで、恐れもあった。


(このまま抱かれたら、私は“誰”になるんだろう)


慎の優しさは、美由紀を“美由紀”として扱ってくれる。

けれど同時に、自分が本当に“女”ではないことを思い出させる。


レナの言葉がふいに浮かんだ。


「あなた、“支配されること”を欲しているのよ。優しさだけじゃ、満たされないって、きっと気づくときが来る」


慎の手は、あたたかくて、やさしい。

だけど、やさしさの奥で、美由紀の“深いところ”がまだ疼いていた。


「ごめん、慎……今日は、ここまででいい?」


美由紀がそう言うと、慎は何も聞かず、そっと頷いてくれた。


**


帰り道、夜風に髪が揺れる。


(わたしは、何を欲しているんだろう)


愛か、快楽か。

やさしさか、痛みか。

女として、抱かれることか、それとも――服従することか。


答えは、まだ出なかった。


けれど一つだけ、確かにわかっていることがあった。


わたしはもう、“てつ”では戻れない。

次回:第八章「レナの部屋で」

慎との関係に揺れる中、美由紀は再びレナに会いにいく。

そこで待っていたのは、“美由紀”という存在を試す夜。

揺らぎの中、彼女は快楽と痛みの境界線に触れてしまう――。

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