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第十章 選びとる名

鏡の中の自分が、静かにこちらを見返している。

髪を整え、まつげをなぞり、リップを引いたあとでも、そこに映る姿は、どこかまだ“仮の存在”のようだった。


(これが、美由紀――ほんとうの“わたし”?)


問いに答える者はいない。

けれど、この問いを抱えることそのものが、美由紀にとって重要な“儀式”だった。


慎との距離は、今も揺れていた。

互いに言葉を交わさずとも、傷つけてしまったという実感だけが、空気の中に残っていた。


**


「名前って、不思議ね」


レナは、昼のカフェでそう言った。

夜しか知らなかった彼女が、昼の陽射しの下にいることが、新鮮だった。


「“てつ”を捨てたい? それとも、美由紀だけじゃ満たされない?」


「……どっちも、わたし。だけど、どっちにもなりきれないまま、ここまで来た」


レナは、笑わなかった。ただ、静かに言った。


「じゃあ、あなたが“名乗る”番ね。与えられた名前じゃなくて、自分で選ぶの。あなたが、あなたを呼ぶための名前を」


**


その夜、美由紀はひとりでノートを開いた。

そこには、これまでの“わたし”が並んでいた。


・てつ

・美由紀

・M(レナに呼ばれたときの、仮の記号)

・彼女(慎が口にしたことのない呼び方)

・わたし


それぞれの名に、感情が宿っている。

誇り、苦しみ、羞恥、願い。


名前とは、生き方だ。

誰かに与えられたものではなく、自分で選ぶことが、人生の舵を握ること。


ノートの一番下に、美由紀は新たな文字を記した。


「美由紀」


そう。やはりそれしかなかった。


誰にも押しつけられず、誰かの理想に寄りかからず――

自分が、自分を肯定するために、必要だった名前。


**


翌日、美由紀は慎に連絡を入れた。


「話したいことがあるの。今度は、逃げずに聞いてほしい」


カフェで再会したとき、慎の顔にはまだ戸惑いがあった。

けれど、美由紀の目をまっすぐ見返してくれた。


「……慎。わたし、美由紀として、生きていく。もう“てつ”じゃない」


「……そうか」


「あなたに嫌われても、理解されなくても、これは“わたしの選択”だから。後悔はしない。

でも、もし今のわたしを、どこかで受け止めてくれる気持ちがあるなら――それだけは、ちゃんと伝えておきたかった」


慎は、コーヒーを一口飲んで、短く笑った。


「難しいな、ほんとに。でも……そういう“ぶつかり方”をしてくれるなら、またちゃんと考えるよ。俺も、自分を」


「ありがとう。ほんとうに、ありがとう」


**


帰り道、風が頬をなでた。


名前を選ぶことは、自分の人生を引き受けること。

それが、美由紀にとっての“生まれ直し”だった。


これからどんな人と出会うのか。

どんな自分と向き合っていくのか。

それはまだわからない。


けれど、美由紀はもう“誰かの視線”のためではなく、自分のために生きていく。


鏡の前で、もう一度呟いた。


「美由紀。わたしの、名前」


続編構想:『わたしであること ― 名前を越えて』

次の物語は、美由紀が“選んだ名”で新しい人々と出会い、愛し、傷つき、そしてさらなる自己と対峙する新章へ。

次は“自分の居場所”をつくるための挑戦が始まる――。

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