最後の金曜日
金曜日。
いつも通りの朝。いつも通りの通学路。
変わらない学校、変わらない自分。
そんな日常が、きっとずっと続くと思っていた。
……思っていた。
夢がいなくなった。
夢が消えてしまった。
夢のお母さん曰く、ここ最近ずっといないのだと。
学校が終わるチャイムを背に、私は一目散に走りだした。背中のスクールバックが嘲笑うようにカタカタと音を鳴らす。もともと体力が少ない私は、走り出して一分も経たないうちに息が持たなくなった。酸素を取り込もうと必死に呼吸を続ける。自分の息がうるさい。心臓の音がうるさい。
嫌な予感が止まらない。全身の毛がぶわっ、と逆立ち、背中に冷や汗が流れる。走っているのに、前に進んでいかない。もどかしささえ覚える。私の足がどこにあるのかわからない。ちゃんと足についてる? 特有の、浮遊感に襲われる。体が火照るのがわかる。全身から熱が放出されていくような感覚。
ぞっとするくらいの曇り空。そういえば天気予報で降水確率が高かった気がする。……傘を持ってこればよかった。段々と雨が強くなっていく。耳元を通り抜ける風の音が大きくなっていく。遠くでごろごろと雷がなっている。
ざわざわと内蔵がひっくり返るような不快な感覚を味わう。今までに体験したことのない感覚だ。これ以上はだめだと自分の中の「なにか」が告げる。けどなぜか帰りたくなかった。帰ってはいけない気がした。
……あれ、私、なんで走ってるんだっけ。
そうだ、夢を探してたんだ。
夢を……探して……?
「朱里ちゃん」
ふと、背後から声をかけられた。ぴたり、と足が止まる。急に止まった反動で今まで蓄積された疲労がどっと押し寄せる。もう動けない、直感的にそう感じたが、それでも。
……それは、聴き慣れた声だった。ころころと耳の中で転がって印象づけられるような、優しい声。求めるように無我夢中で、声の主を探して振り返る。
「……夢…………」
夢がいた。
視線の先には、夢が立っていた。
私と同じようにびしょ濡れで、相変わらず学校の制服で、穏やかな笑みを浮かべて。
「うん、夢だよ」
私の声に笑顔で答える。拍子に、髪の毛先から水滴が滴り落ちた。
「夢、探したよ。帰ろう?」
ぱしゃぱしゃと、打ち付ける雨でできた小さな水たまりを足で踏みつけ、夢に駆け寄る。「帰ろう」。咄嗟に出た言葉だったけど、どこに帰るのか自分でも分かっていない。そもそもなぜ夢がここいるのかも分かっていない。けどそれは自分にとって些細なことだった。
「……ううん、帰らない。」
私の提案を、やはり微笑んだまま首を振って、穏やかに拒絶する。駆け寄ったはずなのに、夢と私の間には距離がある。近付いているはずなのに、離れている。どれだけ歩みを進めても、距離は縮まらない。。夢は変わらず穏やかに笑うだけ。
「……というか、かえれないよ。」
もどかしさを覚えながら夢のもとへ行こうと努めていると、そんな声が降ってきた。
帰らない?
どういうこと?
「気付いてたんじゃないの? 本当は――」
ザアアァァ……。
うるさい雨音が夢の言葉を遮る。
聞き取れなかった。――……いや。
聞き取りたくなかった。
知りたくなかった。
気付きたくなかった。
信じたくなかった。
信じられなかった。
……夢が、死んでるなんて。
◇◇◇
「このクラスの夢さんが行方不明になりました。何か知ってる人はいますか?」
■曜日の帰りの会。担任の先生は、重い表情でそう告げた。教室中に沈黙が漂う。反応に困っているもの、不安がるもの、心配そうにするもの。誰もが口を閉じたその空間に溶け込むように、私はいた。
……やけに雨音がうるさい日だった。
ブーッブー、とスマホが細かく震える。雨に濡れるのも構わずに、ポケットから取り出す。母からの電話だった。
「……もしもし」
母親の声が聞こえる。すすり泣きのような、震えた声。
――夢ちゃんが見つかった。
夢が死体で発見された。
母はそう言った。
夢が死んだ。夢がいなくなった。
……そういえば、月曜日、夢の母親がそんなことを言っていたような。
気がした。
気がしただけだと思う。
雨音は鳴りやまない。
四方八方から吹き付ける強風のせいで、立っていられないほどだった。それでも夢をまっすぐ見据える。夢は変わらず笑っていた。雨も風も、関係ないと言いたげに。
「夢……」
「朱里ちゃん」
私の呼びかけに、夢の言葉が重なる。
「朱里ちゃん……変わらないものなんてないんだよ」
―――――――――――――……………………………。
アマオトが、とまった。
世界から音が消えた気がした。
いつも通りの朝。いつも通りの通学路。変わらない自分。
夢と一緒に笑う、夢と一緒に遊ぶ。そんな日常が、きっとずっと続くと思っていた。
夢と一緒の毎日がずっとずっと、ずーーっと、続くと思い込んでいた。
二人で一緒の今日が、明日もきっと続くって、信じていた。
……けど。続かなかった。
明日は今日の延長線なんかじゃ、なかった。
「ありがとね。私は楽しかったよ」
夢は笑っている。穏やかで、どこか悲しそうな儚い笑顔を浮かべて。
それは夢なりの謝罪だったのかもしれない。
変わらなきゃいけない。
この世界に変わらないものなんてないから。
「ごめんね、夢。……ばいばい」
いつものように「またね」といいかけて、もう私たちにまたはないことに気付く。
夢は、私の言葉に対して無言だった。
驚いたような、安心したような、そんな複雑な表情――、
「……うん、さよなら」
されど、一瞬。そんな表情を浮かべたのは数秒にも満たない間だった。
彼女は吹っ切れたような顔でサヨナラを告げた。
段々と夢の姿が薄くなって、背景に溶けていく。
それは夢の幽霊なのか、はたまた私の幻覚だったのかもしれない。
けど、彼女のおかげで私は変われた。
言葉を、夢を、忘れないように、大切にかみしめる。
「……さよなら」
さよなら、夢。
◇あとがき
読んでくれてありがとうございました。
テストプレイなのでしばらく経った後、本垢にて公開する予定です。
テンポ感が恐ろしいです。
初めての短編小説で、文章とテンポと流れ全てがおかしいですが温かい目で見てくれると幸い……。