06.血
空気を読んで立ち去るべきか、それともようやく会えたのだから起きるまで待ってご挨拶をするのが正解か…。
いや、雨が降っているこの状況に放置するなんてできない。
殺されるかもと警戒しつつ、できるだけ音を立てないよう近づく。
顔は青ざめ、雨か汗か分からないものが頬を伝って流れ落ちていた…。
「―――っぐ…!」
「(様子が…)」
「うぅ…ッ!」
くぐもった悲鳴にも近い声に私の身体まで強張る。
悪い夢……いや、これは例の「魔力過剰症」の…?
「あの…」
「ゲホッ! ゲホッ!」
思わず手を伸ばした瞬間、激しく咳き込む。
何度も何度も咳き込み、息も満足にできないようで荒い息遣いを繰り返す。
こういう時、自分は何をしたらいいのだろうか…。
悩んで固まっているとさらに激しく咳き込み、とうとう赤黒い血まで吐き出した。
「だっ大丈夫ですか!?」
血は雨によって流れていくが、彼は依然として血を吐き続けてその場が真っ赤に染まっていく。
見たことのない光景。体験したことのない状況。
どうしたらいいか解らず震える手で彼の肩に触れ、擦ってあげることしかできない。
この行為に意味がないのも解っているけど何かをしたかった。
「ぅあっ…!」
早くレイ達が戻ってこないか周辺を見回すもまだ誰も戻って来ない。
大きな声でも出して誰か呼ぼうかと思った瞬間、擦っていた手を力強く握り締められた。
反射で振り解こうと抵抗するも強すぎる力で離れることはできない。
掴んだのは勿論アレス大公殿下。
「あの…大公殿下。だ、大丈夫でしょうか?」
「……」
先程まで咳き込んでいた彼は、今にも気を失いそうな目で私を見つめる。
真っ赤な目に背中がゾクリと震えた。怖い。
「…た、大公殿下…?」
「手……にぎっ……」
「え?」
「ぐ、う…ッ! ―――ッはぁ…た、のむ」
それだけ私に伝えると手を離さないまま再び目を閉じてしまった。
あんなに苦しそうに咳き込んでいたのに徐々に落ち着いた表情に変わる。
「シルお嬢様ぁ!」
「レイ!」
「え!? 何で殿下が…?」
「ともかく運べる人を呼んでくれる?」
✿
「はぁ…。ようやく姿見せたら離さないまま眠るなんてぇ…。お嬢様が風邪でも引かれたらどうするつもりなんですかねぇ?」
「気にしないでレイ。そこまで弱くないわ」
「ダメですぅ!」
あれからレイが大公家の騎士団とロッツを呼んで来てくれた。
騎士団の一人に背負われ、手を放そうとしたけど強い力で逃がしてくれなかった。
仕方なく手を繋いだまま大公殿下の寝室へと入り、雨で濡れた身体を拭かれる。勿論私も一緒に。
いくら拭いたとは言え、濡れた服のままベッドで寝るのは風邪を引くのでは?血で汚れているし…。一瞬でもいいから手を離してもらいたい。
きっとロッツ達もそう思っている。でも無理に離そうとすると強い力によって引き止められ、いい加減痛くて諦めた。
ベッドの横に椅子を置いてもらい、私もレイに服や髪の毛を乾かしてもらう。
「寒くないですかぁ?」
「大丈夫。レイも忙しいでしょ? もう仕事に戻っていいよ」
「私の仕事はお嬢様のお世話できるから気にしないで下さぁい。それよりもう夕方ですけどぉ…そのぉ…どうしますぅ?」
「うーん…」
普段の訪問だったら夕方になる前に帰宅している。
でも今日はこんな状況だし、何より離してくれない。泊まるという選択肢しか残っていない…。
「(婚約者とは言え私はまだ未成年だからお父様は絶対に怒るだろうね。それじゃなくても大公殿下のこと嫌っているのに、いきなり泊まるってなったから驚きと心配と怒りで騎士団を連れてきそうで怖い)」
何度か声をかけて声をかけたけど起きそうにないし、離れようとしなければ手が重なっている程度しか触れていない。
なのに逃げようとすると寝ているにも関わらず素早い動きで握り締められ動きを止められる。
「(怒られるのは嫌だけど仕方ないよね)レイ、アティルナ家に状況の説明と泊まることを伝えてくれる?」
「解りましたぁ! ロッツさんにお願いしておきますねぇ!」
「それと、今日は絶対に迎えに来ないで明日の朝に迎えに来て欲しい。とも付け足しておいて」
それはもう念入りにお願いね。
そう言うと彼女は暖かい紅茶とお菓子を置いて元気よく寝室から出て行った。
さっきまで賑やかだったのにレイがいなくなるだけで静寂が訪れる。時計の音と雨が窓を叩く音。そして僅かに聞こえる大公殿下の寝息。
いくら婚約者とは言え、人様の寝顔を見るのはいけないのでは?
まるで人形のように整った顔に、思わず見惚れてしまう。
雑念を捨て、レイが用意してくれた本を片手に開くけど、片手では読みにくい…。読めないこともないけど、目が覚めるまでの辛抱だね。