01.本
昨晩、生々しい悪夢を見た。
やけにリアルで実際に体験したことのあるような…とても鮮明な悪夢。
赤い目をした男性が憎しみいっぱいの目で私を睨みつけ、そして………。
ブルッ!と震え上がる身体を抱きしめると、少しだけベッドが揺れた。
先程までとなりで寝ていた次男のテュールお兄様は朝の鍛錬だと言って出て行った。
そっと触れるとまだほんのり暖かく、こっちが現実だったことを思い出させてくれて安堵する。
「のどかわいた…」
ベッド横に用意されている水差しに手を伸ばし、少し温くなった水を飲み干す。
お兄様が一緒に寝てくれたお陰か、二度寝しても悪夢を見ることはなくぐっすり寝ることができた。
それでも鮮明に残る悪夢に気分が悪くなる…。何であんな夢を…。
「あれ…?」
飲み干したコップを置こうとサイドテーブルに目を向けると、見たことのない少年の肖像画がおかれていた。
「…悪夢じゃない……し、知ってる…」
また激しい動悸が襲ってくる。
それと同時に頭の奥に鈍器で殴られるような痛みまで…。
「そうだ…ここは本の中の話だ…」
物心ついた頃からこの世界に違和感があった。
幼い頃から何度も既視感に襲われていた。
誕生日プレゼントは内緒にされていたのに絶対に当ててしまうし、初めて見た使用人やお兄様の友達、お父様やお母さまの交友関係にある方々の名前も知っていた。
前に大雨が降った翌日、土砂崩れが起こるから峠の道を使わないほうがいいと進言したところ、実際に土砂崩れになったし、今年は日照り続きになるから水源を確保したほうがいいとも進言した。
半信半疑ながらもお父様は私の話を信じてくれて誰も死ぬことはなかった。
お父様は私のことを「天才だ」と褒めてくれて私もそうだと思ったけど。
予知能力があると思った。でも違った。私は知っていたんだ。
ここはいつ読んだか分からない本の中の世界だ。
子供向けの本だったことは覚えているけど、タイトルも詳細もあまり覚えていないのに断言できる。
私は悪役の妻、シルフレイヤ・アティルナだ。
本の中のシルフレイヤは黒髪に碧眼を持つルードラ帝国の五大侯爵家令嬢の一人で、悪役であるアレス・セヴァイス・ルードラに殺される人間。
五大侯爵家の中でもっとも古い歴史を持ち、帝国の軍事部門を司る家門で代々皇帝の剣として戦ってきた。
次男のテュールお兄様は長男フォルセティお兄様を支える為の教育を受け、フォルセティお兄様はお父様と同じく帝国第一騎士団に所属し、アティルナ家の後継者として日々学んでいる。
お父様は帝国第一騎士団の団長として国を守りつつ侯爵家のお仕事もしつつ、お母様はそんなお父様を支えながら侯爵家の内政を治めている。
「そんな立派な家族を持つ私が悪役…アレス様と結婚して、しかも一緒になって戦場で殺りくを楽しみ…そして殺される…」
本の中のシルフレイヤはアティルナ家の末っ子長女として幼い頃から大事に育てられたおかげで、大人になると帝国一、二を争う美女となる。
黒く長い髪の毛は夜を連想させ、透き通った碧眼は穏やかな湖畔を思わせる。
色白なことも相まって儚げで美しい容姿だけど、夫である悪役アレス同様残虐な性格だった。
「なんの本で、いつどこで読んだか分からないけどこれだけは言える」
思い出したきっかけは、昨日私の10歳の誕生日を迎えた際、お父様から婚約者のことを聞いた。
それまでは解っていた内緒の誕生日プレゼントに嬉しく喜んでいたけど、最後の最後にそこに置かれている肖像画を見た瞬間、息が詰まった。
初めて見たという婚約者に恐怖を感じ、気分が悪くなってそのまま寝てしまい…そしてあの夢…。
それまでは私は本当に天才で、未来予知ができると天狗になっていたのだけど本の内容を知っていただけ…。
おまけにリアルかと思うほど生々しい夢の内容…。これはもう…なんていうか夢通り…本の通りになってしまうかもしれない。
ハッキリ覚えているのは、本の主人公は現皇帝の息子であるロキ皇太子だ。
確か小説の最初は普通の皇太子ほのぼの物語りだったと思う…。
他に兄弟はおらず、愛されて育ち、困難に立ち向かいながら……えっと…忘れてしまったけど最後は暴走した叔父であり、皇帝の弟であり、私の未来の旦那様であるアレスを倒して終わった、と思う。
それは恋愛小説ではなく、どちらかというとテュールお兄様が好きそうなロキの勇敢な物語りだったと思う。
「はぁ……。これからどうしよう…」
ちらりと窓の外をのぞくといつもと変わらない青い空が目にうつる。
アレスはその本の最後の敵となる。
元々アレスは酷い「魔力過剰症」を患っており、魔力を定期的に発散しないと暴走した魔力によって自我を失い、最終的には狂人となってしまう。
その狂人となったアレスによってサクッと殺されるのが本の中の私の役割。
できれば……というか絶対に死にたくない!殺されたくない!そもそも戦場にも出たくない!
「婚約破棄してくれないかな…」
しかしこの婚約破棄は簡単にできない。
アレスは「魔力過剰症」により戦場から離れることができない。そしてついた渾名が「軍神アレス」。
敵国からは「死神」だの「化け物」だのと恐れられているが、常に勝利を持ち帰るアレスは帝国内では英雄だ。
そして皇帝の弟であり幼くして「大公」の爵位を持つ大貴族。
そんな相手の妻となる人間もふさわしくなければならない。
帝国には三大公爵家も存在するが、残念なことにすでに令嬢達には婚約者がいたり、年齢が離れすぎていたりと適任がいない。
次に五大侯爵家には、
「何故か女の子は私しかいない…」
勿論傍系となればたくさんいるが、相手は帝国唯一の大公殿下。
一つ下の爵位である伯爵家には未婚の令嬢は多いけど、彼女達は彼を恐れている。
私は生まれたときから軍と密接な関係にあるし、自分自身も剣術を習っているから抵抗はないが、他の令嬢からしたら少し怖い存在にあたる。
おまけにお父様は帝国第一騎士団の団長を務めており、アレスは帝国第二騎士団の団長。
アレスの婚約者にはピッタリというわけだ。
「それでも私は死にたくない…。でも婚約破棄はできない…。ううん、せめて私が戦場に出なければ殺されないのでは?」
本の中のアレスは他人に興味がないうえ、一定の人間を信用していない。
そんな彼に女の私がどうやって一緒に戦場に出たかは書かれていなかったし、二人の関係がどれほどの仲だったのかは分からない。
だってあの本の主人公はロキだ。悪役の詳細なんて書かれていない。
これからどうやって彼と関係を築いていけばいいのだろうか…。
幸い彼は今15歳の少年だ。婚約者となったからには近々顔合わせを行うだろう。
それなら今のうちに会って仲良くしておけばいいのでは?いくら悪役だとは言っても10歳の女の子を無下に扱ったりは……しないよね…?
肖像画を見る限り綺麗で格好いい男の子だけど、性格は気難しいって書かれていたような気もする…。
それなら一定の距離を置いて仮面夫婦として過ごしていくのが一番?自分のするべきことはして、戦場には出ないようにする。
確かシルフレイヤはアレスと一緒に戦場に出て、そして戦場で殺されたわけだしね。
「大丈夫。多分、きっと大丈夫」
「シル?」
「きゃっ!」
「大丈夫か? さっきから声はかけてたんだけど…」
「テュールおにいさま…」
ずっと考え事をしていたらいつの間にか鍛錬を終えたテュールお兄様が戻って来た。
いつもだったら自室で汗をサッと流して、私に声をかけて朝食に向かうのに昨日のことがあって迎えに来てくれたのかな?
だったら嬉しいなぁ…。
私と同じ碧眼が少しだけ揺れるのが見えた。
まだ動揺しているし、受け入れきれてないけど……。
「大丈夫です、おにいさま。すみません、幼子のように取り乱してしまい申しわけございません」
「お前はまだ10歳だろ! んなこと気にするな」
「ですが…」
「俺も兄さんも気にしてねぇから。むしろもっと頼れ! それじゃなくてもお前は俺達を頼ったりしねぇで寂しいんだから…」
怒っているようなイラついているような拗ねているような…。
そんな表情で一気にまくしたてたが、そこまで言うと我に返ったのかいきなり黙り込み、恥ずかしそうに視線を反らした。
「……でしたら、食堂まで抱っこして連れて行ってくれませんか?」
「ああ! 可愛い妹のためならそれぐらい任せろ!」
嬉しそうなお兄様につられ、ようやく私も笑うことができた。