10.困
「久しぶりだね、アティルナ公女」
「お久しぶりです皇帝陛下」
ゆっくり湯舟に浸かり、少し休んで新しいドレスに着替える。
その頃には皇帝陛下を迎える準備があらかた終わっており、あとは到着を待つだけ。
家族全員で陛下が乗った馬車をお待ちしていると皇帝陛下だけでなく、大公殿下までいらっしゃり今度は使用人全員の顔が真っ青になった。
殿下の顔を見たテュールお兄様が僅かに殺気をもらすと、それを察したセティお兄様とお父様の神経が鋭くなった。
不敬罪で捕まると思い、声をかけようとしたがお母様も気づいて三人に声をかけなんとか落ち着かせることに成功。
でもきっと皇帝陛下も気づいている。目が合った瞬間気まずそうな顔をしていたし…。
反対に大公殿下だけは私の顔を見るなり嬉しそうに微笑んでいた。
「(空気読めないのかな?)」
彼ほどの騎士であれば三人の殺気にも気づいたはずなのに、全く気にしていない。わざと気づいていない様子で陛下の横に素知らぬ顔で立っている。
気まずい雰囲気の中、アティルナ邸の自慢の庭園に案内し私と兄様達は挨拶もそこそこに下がろうとしたが、皇帝陛下によって引き留められ全員がその場に座った。
左右の隣にはお兄様が、真正面には大公殿下が…。居心地が悪くて退散したい。
「こんな朝早くから我が主にお会いできて光栄です」
「……本当にすまないアース…」
挨拶もそこそこにお父様が嫌味…いえ会話のきっかけを切り出すと、私達以上に居心地が悪そうな陛下がぎこちなく笑う。
だと言うのにその弟はずっとニコニコと私の顔を眺めている。
本の中の彼は戦争の英雄で、それ故に冷酷無比の残虐な方だと聞いている。
仲間であれば優しくはないけど大事にはしているらしいが、裏切者や敵には容赦がないと強く書かれていた気がする…。
それに病気のこともあって常に神経を張り巡らせ周囲を警戒している。笑顔を浮かべるなんてどこにも書かれていなかった。
なのに目の前の彼は大層ご機嫌で普通の好青年にしか見えない。病気に苦しんでいるようにも見えない。
私の記憶違い?いやでも現に昨日は苦しんで吐血していた。間違いないと思うのだけど…。
「ところで……怒らないでほしいのだが、…アレスがアティルナ嬢にプロポーズしたと…?」
ピキンと空気が凍った。
いくら私が14歳の子供でもこの場の空気は最悪だということを感じるほど凍った。
……あの、何故ずっと笑っていられるのでしょうかアレス様…。
「―――ええ、忘れられないプロポーズを受けたとお聞きしました」
「も、朦朧したとは言えアティルナ嬢には失礼なことをした。気分は悪くないか?」
「私はなんとも…」
「大公殿下が昔から病弱なことは存じておりますが、まさか娘に一晩中看病させるほどとは思っておりませんでした」
「それに関しても申し訳ない。アレス」
「大変失礼致しました」
「…。元気になられたようで安心しました」
「シルフレイヤ嬢の看病のおかげです」
空気が重たすぎます。
お父様は嫌味を言うし、陛下は陛下なのに一番申し訳なさそうですし、大公殿下はこの中で一番ご機嫌だし、それを見たお兄様達は睨んでいるし…。
「まさかこんな早く再びお会いできるとは思っていませんでした」
「先程ぶりです。本来でしたら約束を取り付けてからこちらに来る予定だったのですが、急いでお伝えしたいことがありましたので」
「急ぎ?」
「父上、丁度よかったですね。私達からも早めにお伝えしたいことがありましたね」
「いやちょっと待て、待ってくれ。その前にこちらから話したいことがある」
「なんでしょうか」
言い訳があるなら言ってみろ。と言わんばかりの空気…。
でも皇帝陛下は咳払いを一つし、先程とは打って変わって真剣な…鋭い目をしていた。
「今から話すことは他言無用だ。この話を知っているのは俺とアレスしかいない」
「解りました」
お父様の返事に私達も黙って頷き、陛下の言葉を待つ。
「俺と皇后しか知らないことだが、アレスは「魔力過剰症」を患っている」
私は本で知っていたから驚かなかったけど、お父様達は眉間にしわを寄せて暗い表情を浮かべていた。
「知っての通り「魔力過剰症」は稀に生まれる存在で、人間では到底扱えないほどの魔力量を持つ」
「ええ…。…我が家の先祖……初代がそうでした」
それは知らなかった…。だから暗い表情を浮かべていたのか。
「ここまで言えばわかると思うが、とてつもない魔力を持つ反面、地獄のような苦しみを受けなければならない」
「はい」
昨日の大公殿下の状態を見ただけでも身体が震える。
でも不思議な点がある。
常に魔力が暴走しているから今こうやって微笑んでいるなんてありえないはずなのに、どうして笑っていられるの?
私の思っていることが伝わったのか、大公殿下が上機嫌に口を開いた。
「どんな苦しみか、どんな症状かはご存じなので何も言いません。私はその苦しみから逃れる為、体内で暴れる魔力を戦場で放出しておりました。それだけでこの痛みや苦しみから逃れられるなら戦場は自分にとって聖地なのです」
「戦闘狂などと噂されてもこれが最善だったからな。だがそれもアティルナ嬢のお陰で解決できることが解った」
「え…?」
なんでしょうこの展開…。こんな展開、本にはなかったですよね?
いや脇役だったからそんな話が書かれていないだけで裏設定ではあったとか?
戸惑う私に大公殿下はニコリと微笑みながら近づき、足元に跪く。
テュールお兄様はまだしも、普段冷静で温厚なセティお兄様が嫌悪感を出していたけど物ともしない表情で私を見つめてくる。
「シルフレイヤ嬢に触れられるとその症状が吹き飛ぶのです。今まで感じたことのない安らかな時間を手にすることができます」
「…」
優しく手を取り、下から赤い目で私を捉えて離さない。
心臓が痛い。トキめいているとかそういうものではなく、先の見えない展開が見えて怖くてたまらない。
「俺も冗談かと思ったがここに来る途中、こいつは一度も苦しむ素振りを見せなかった。とは言えいきなりの訪問は申し訳ない」
「いえ…」
「まさにシルフレイヤ嬢は私の救世主です」
そんな目で見られてもどうしたらいいのか私には解らない。
救世主ってなに?それは本の主人公であり、この国の皇太子では?
「シルフレイヤ嬢? 手先が―――」
「我が主に対し大変申し訳ありませんが進言しても宜しいでしょうか?」
「ううん…あまり聞きたくはないがなぁ…」
「皇帝の剣である前に私はこの子の父親です。「魔力過剰症」に罹った者がどれだけ苦しいか初代の日記を見るだけで解ります」
「うんうん、そうだよな」
「だからその症状を緩和する娘を欲する気持ちも解ります」
「では!」
「これが4年前の話でしたら」
「だから俺は言ったのにっ…!」
「アレス殿下…いえ、トラキア大公殿下。あまりにも都合が良すぎませんか? 今まで音沙汰もなく娘を無視し続け「利用価値」ができたからと言って今更喜ぶとでも?」
王の剣である我が家は昔から皇族に一番忠実で有名だ。
だけど大公という地位を持ち、皇族である彼に怒りを表している。
「今までのご無礼大変申し訳御座いませんでした。これからは決してシルフレイヤ嬢…いえ、アティルナ嬢だけでなくご家族であるアティルナ家には失礼を犯しません」
「ッざけんな! 今更何を信用しろってんだよ!」
「テュッ、テュールお兄様!」
「アティルナ嬢、気にするな。あいつが悪い」
「ですがっ!」
「最後にチャンスをください。この先決してシルフレイヤ嬢を裏切ることも、傷つけることも、泣かせるようなことも致しません。貴方達家族のように慈しみ、大事に守ると約束致します。それでも彼女が「婚約破棄をしたい」と仰るのであれば私はそれに従います」
「だからッ!」
「どうか最後のチャンスをお願い致します」
真剣な声色、真剣な声で深く頭を下げる大公殿下に全員が黙り込んだ。
「―――少し宜しいでしょうか?」
そこに、今まで黙っていたお母様が割って入る。
お母様はいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべ、私を手招きする。
言われた通りお母様の横に向かうと、
「少しだけ私とお話しましょう」
二人だけのお茶会に誘われた。




