第二十話「狐烹るる時は」
「お、お前……っ! 何を怖がってるのさ‼ お前は僕を守ることが仕事なんだから、さっさとこいつらを喰っちゃってよ‼ じゃないと、僕が酒吞童子様に怒られちゃうだろ‼」
稲荷の圧に怯えながらも、薄氷は目の前で同様に怖気付いている妖怪に悪態を吐いた。怒鳴られた女郎蜘蛛が薄氷の命令に反応し、甲高い奇声を発しながら東雲達に向かって突進して来る。
「稲荷様」「此処は我らが」
東雲を庇うように立っていた稲荷の前に、右京と左京が背を向けて立ち塞がった。左京は稲荷と東雲を守るべく槍を横に倒して庇う体勢となり、右京は刀を構えて女郎蜘蛛に向かい走り出した。
「……ったく、大天狗の件でさえ確かめなきゃならねぇことが山ほどあるってのに……! 余計なことで時間を食ってる場合じゃねーんだよ‼」
不満を爆発させるように叫び、狐特有の脚力で二メートル近く飛び跳ねると、右京は刀の刃先を逆に向け――反りのある棟側で、女郎蜘蛛を頭部から殴打した。
「ぎゃあああああああああ‼」
棟打ちを喰らった女郎蜘蛛は悲鳴を上げ、地面へと倒れ込む。響く振動は大きく、広範囲の地面を揺らした。
「……『悪念』に囚われて、同じもん抱えてる奴らだけで一つに纏まってるから辛ェままなんだよ。さっさと解散しやがれっての!」
右京が普段――狐姿の時に咥えている『鍵』は、数ある由来の一つとして『御魂を身に着けようとする願望の象徴』を表していた。そんな彼の鍵が変化した刀は、悪念を斬り、心願成就の神徳を与えてくれる。
叩きつけられた女郎蜘蛛は、平安時代に酒吞童子・荒魂へと向けられた想いが叶うことなく憤死した女性達の悪念が集まって妖怪化したものであるからして――祓われたその瞬間こそ、彼への想い故に引き剥がされる痛みを伴った。
しかし、浄化されて一体化が解け、個々の霊体となった女性達は皆何処か安堵した表情を浮かべて涙を流し、各々が黄泉……または冥界へと旅立ってゆくのであった。
「成仏……って言葉ではないよな、神道だから」
「彼女らの信仰対象にもよるがな。何にせよ、御霊は安らかになったようじゃ」
「良かった……」
悪念に囚われていた女性達が解放されたことで、自分が受けた穢れの負荷も多少は減ったようだ。――東雲は一先ず胸を撫で下ろしたが、拭い切れない異質な気配は今も残っていた。
(……何でだ? まだ何かが居る気がする……。体調も、完全には良くならないし……)
東雲が怪訝な顔で考えていると、薄氷が溜息を吐いた。
「はぁ……。やっぱりこんなものじゃ、しのぎにもならないかあ」
「いい加減、無駄な抵抗はやめたらどうだ」
「薄氷、もうやめろよこんなことは……!」
「ま、いっかぁ。……じゃあ、こいつらならどう? 僕の傑作なんだけど」
左京に続き、右京が薄氷の悪事を辞めさせようと声を上げたが、当人は聞く耳を持とうとはせずに懐から一つの硝子玉を取り出した。表面こそ透明だが、目を凝らしてよく見るとその内部はどす黒い煙のようなものが充満している。薄氷が嘲笑して硝子玉を地面へと落とせば、それは音を立てて粉々になった。と、同時に――。
「ぎゃおおおおおおん!!!」
割れた硝子玉の中から、三つの頭を持つ獣が重低音の叫び声を上げて姿を現した。
「この三頭獣も、荒魂様の住まう『大江山』のとある場所に封印させてもらってたんだけど……そろそろ必要かもしれないと思ってさ。使用したくて出す許可をもらいに行ったら、『使ってええよ』って言ってくださったものだからお言葉に甘えたんだよ。コイツらも、もう千年以上は人を食べていないからね。きっと腹ペコだ」
「な、何だこのケルベロスみたいな獣は……」
「けるべろす?」
東雲が呟くと、彼の前に立っていた稲荷が少し振り向き尋ねた。
「異国の神話に出てくる冥界の番犬だよ。でもコイツらは……犬、なのか?」
目の前に現れた三頭獣は、東雲が仕事で調べたことのある異国の番犬とは所々違う点が見られた。確かに三つの頭で、犬のような姿をしている。しかし、首と胴の間には雑な縫い目があり、生まれつき頭が三つあったとは言い難い。加えて、耳や尾、細長い手足にこの目鼻立ちはまるで――。
「⁉ コイツら……狐か⁉」
「ご名答~、流石は東雲くん。コイツら、元はバラバラだったけどあまりにも仲違いするもんだからさ。酒吞童子様配下の『 熊童子』様に手伝ってもらって、僕が一つにまとめてやったんだ。特に蘇芳、橡――お前達が一番よく知っている奴らだよ」
「……?」「何言っ――」
「‼」――三頭狐を見た二匹は顔面蒼白となり、言葉を失った。
「何と惨いことを……!」稲荷の顔も歪む。
「ど、どういうことだ……?」
「東雲よ……薄氷はの、青鈍とその取り巻きだった二匹の体や霊魂を縫い合わせ、一体の妖狐へと改造したのじゃ」
「⁉」
東雲は目を見開き、改めて三頭狐を見つめた。
「何で……」
過去――薄氷と悪友関係にあった右京は下唇を噛み締め、体を震わせて叫んだ。
「何でそんな所まで落ちぶれちまったんだよ‼ 薄氷!!!」
「……何で? 君が言ったんだよ、蘇芳。『お前は一匹じゃ何も出来ない臆病者だ』って」
「⁉」
「だから……だからだよ! 独りぼっちになってからも、僕が人間達への復讐を止めなかったのは全部……! 全部、お前がそう言ったから‼ 僕だってやれば出来るんだって、お前に証明してやったんだ!!!」
「――っ‼」
困惑する右京を他所に、薄氷が怒りとも悲しみとも取れる感情を剥き出しにしながら身振り手振りで続けた。
「ねぇ、蘇芳……――ほら、見てよ。僕って凄いでしょ? 優しいでしょ? お前を貶めようとした青鈍達に、僕が代わりに報復してやったんだから‼ 昔、人間達に復讐してやった時みたいにさ。『お前の悪知恵は凄いな』って……僕のことを褒めてよ‼」
『お前こそ、一匹じゃ何も出来ない臆病者だろうが!』
「――」
絶望に包まれた表情で、右京は呆然と立ち竦むことしか出来なかった。しかし――。
「呑まれるな右京! お前のせいじゃない‼」
「! あ、ああ……」
左京が腕を引いて叫ぶと、右京は我に返った。自身の頬を両手で叩いて気合いを入れ直し、薄氷と三頭狐を睨み付ける。
「チッ、この優等生が……!」
もう少しで上手くいきそうだったのに!――そう呟いた薄氷は蘇芳を引き戻した左京に対し嫌悪感を抱いて舌打ちしたが、策があるのか薄気味悪い笑みを浮かべた。
「まぁ、でも……早くしないと、この近辺の人間は皆軽く食べられちゃうかもね。近くには車道も歩道も、民家だってあるしさ。――ああ、そうそう。言っておくけど、青鈍達はもう自我もなくしちゃった化け物だから、説得なんて無意味だよ。痛みを教えて躾けた僕の言うことしか聞かないんだ」
ケラケラと笑いながら、薄氷は「食事に巻き込まれちゃ敵わないから、僕は隠れて見物しておくよ」と告げ、自身を透過させて姿を眩ませた。
三頭狐が威嚇の声を上げると、女郎蜘蛛同様に地響きが起こった。今にも突進してきそうな体勢で唸り、先頭に立つ右京と左京を睨み付けている。――暫くの睨み合いが続いたが、初めに声を発したのは右京だった。
「青鈍……お前らのことは気に食わなかったが、その姿には同情するぜ。苦しいだろ、直ぐに解放してやるよ」
「ふっ……蘇芳、同胞を殺そうっていうの? 人間が君を殺めたように、君も人間みたいに彼らにとどめを刺せるのかな?」
姿を隠した薄氷の声が、周囲で反響する。
「……俺を、誰だと思ってんだ……! 左京‼」
「ああ、分かってるさ!」
右京は刀の柄を握る力を強めると、左京に目配せした。互いが同時に動き始め、右京は三頭狐の方へと駆け出す。一方の左京は、自身が持つ宝珠槍の石突部分を地面に突き立て、人差し指と中指を立てて祝詞を唱えた。
「掛巻も恐き稲荷大神、夜の守日の守に守幸へ賜へと恐み恐みも白す――」
祝詞に反応し、槍の『穂』下に付いている宝珠が光り出す。左京は稲荷に目配せし、その場から四方に走り出した。東雲の側に、稲荷が歩み寄る。
「東雲は私を抱っこして宝珠槍まで連れて行ってくれ」
「え、ああ……。……何をするんだ?」
「まあ見ておれ。此処から決して離れるでないぞ」
「分かった」
東雲が自分を抱き上げて頷いたのを確認すると、稲荷は平安装束の袖を後ろに靡かせて両腕を見せ、両手を斜めに重ねて宝珠に翳した。
「天狐、地狐、空狐、赤狐、白狐、稲荷の八靈――五狐の神の光の玉なれば」
「……‼」
稲荷が唱えると、宝珠の光は更に強くなる。――と同時に、左京が四方で結んだ『印』が発動し、中心部の宝珠槍を囲むように光を放ちながら五芒星を描いてゆく。
「これは……五芒星⁉ まるで陰陽師みたいだな……」
「京では名の知れた陰陽師――『安倍晴明』の母親である『葛の葉』が、私の眷属だったことまでは東雲も知らなかったようじゃな」
「え⁉ 陰陽師と稲荷信仰って関係があるのか⁉」
「正しくは、血筋……眷属の話よ。ちなみに、『葛の葉』の姉は結の母である『憂ノ枝』じゃ」
「えええ⁉」「ふふっ」
東雲の反応に、稲荷は笑いが堪えられないと言った様子で思わず噴き出した。
「其方はやはり、想像通りの反応を見せてくれるのう……。ふふふっ」
「あの~……稲荷様、世間話はそのくらいでそろそろ結界を……」
左京は、中央である東雲に抱き上げられた稲荷の元へと戻って来た。
「おや、すまぬ左京。そうであったな」
左京の苦言を聞き、本来の目的を思い出した稲荷は息を大きく吸い込んで再び声を発した。
「稲荷五柱――我、宇迦之御魂の加護元、祓い、清め、神ながら守り、幸えんことを……‼」