第六話「白狐 vs 鴉天狗」
東雲と稲荷が去った境内では、稲荷の眷属である白狐達と鴉天狗達の睨み合いが続いていた。
「いいのかねぇ、人間なんかに預けちまって」
銀将は呆れた顔で言った。
「元はと言えば……お前らが稲荷様を狙ってこなきゃ、こんなことにはなってねぇんだよ‼」
刀で応戦中の白狐――右京が眉間に皺を寄せて吠えた。
「はっ、人間のガキに大事な主人を預けるなんてこと……俺には到底出来ないね。右京、お前って右腕のくせに馬鹿なんじゃねーの?」
銀将は右京を煽り、嘲笑った。
「んだとこの! その翼叩き切ってやる‼」
「上等だコラ! その毛皮剥いでやらぁ‼」
互いを罵倒し、再び剣と刀で激しくぶつかり合う。その衝撃に違和感を覚え、右京は顔を顰めた。上から押さえつけてくる剣は重く、異常なまでの圧迫感もあった。加えて、この馬鹿力――。
間違いなく、銀将は神通力を使っている。――そう確信した右京は吠えた。
「お前! 卑怯だぞ‼」
「俺たちは大天狗様より任務を仰せつかってるんでね」
「任務だァ……⁉」
「そうとも。俺達はただ、それを遂行しているだけだぜ!」
鴉天狗達を統括しているのは、鞍馬山に住む大天狗だった。その右腕である銀将の言葉に、左腕の金将も攻めの姿勢を崩さないまま続いた。
「神使は神の護衛時か、主の命令無くしては神通力を使えない……だったか?」
右京の同胞――稲荷の左腕である左京が、槍を回して金将の攻撃を受け止めた。
「……ああ。生憎、我々白狐の神通力は強力なのでね。お前達に大怪我をさせてしまうかもしれないだろ?」
「ほう、良い挑発だ。気に入った」
左京の言葉に、金将はにやりと笑った。
(……さて、困ったな)
誤魔化すつもりで強気な発言をしたはいいが、白狐達にとって不味い状況であることに変わりはなかった。左京の頬に、一筋の汗が流れる。
金将が言った通り、神使は主人の許可なく神通力が使えなかった。神に奉仕する身である以上、好き勝手は許されないのである。
(神通力さえ使えれば、こんな奴ら一瞬で蹴散らしてやるのに……‼)
左京同様、右京の内心も穏やかではなかった。
二匹が仕える主の稲荷は、とても温厚だ。今でこそ、心身共に退行していることもあってか、高飛車な部分が見え隠れしているが、本来ならば喧嘩や揉め事を好むことはない。白狐達は稲荷の意思を理解して慕っているからこそ、それに倣うのである。……右京の独断で言えば、喧嘩は万々歳だったようだが。
しかし今回ばかりは、そう安易な思考ではいられなかった。神通力により、いつも以上に鴉天狗達の力が強くなっている。重力の負荷が更に大きくなったことで、右京の刀を持つ手が震え始めた。
「くぅ……!」
次第に耐えきれなくなり、中腰となった右京は小さく呻き声を上げた。それを聞いた銀将は、笑みを深くして自身にかけている体重を更に加えていく。
「俺達の勝ちだな! 稲荷は貰ってくぜ‼」
「誰が……渡すかよ! この、野郎……っ‼」
右京が歯を食いしばった、その瞬間――。
バシュン!
鋭い音が、この場に居る全員の耳に響いた。
一瞬のことだったが、地面に刺さったものがぼんやりと見える。右京と銀将が武器を交えながら右を向き確認すると、剣と刀の間を矢が通ったのだと分かった。
これには、銀将も眉間に皺を寄せた。翼を広げて右京から距離を取ると、矢が放たれた場所を凝視する。
「あいつは……」
「紫苑か!」
右京が安心した表情を見せた。
そこには白い着物に浅葱色の袴といった、神職の装束を着用した青年の姿があった。左の前髪横には金色のメッシュが入っており、肩程まである本紫色をした髪を後ろで一つに括っている。
社務所の斜め前に佇み、弓を構えている「紫苑」と呼ばれたその青年は鋭い視線を逸らすことなく、二匹と二羽を見て告げた。
「此処は神聖な場だ、弁えてくれ。でなければ、俺は二本目を放たなければならなくなる」
紫苑の言葉に銀将は小さく舌打ちをすると、剣を鞘に納めた。
「はぁ……拍子抜けしちまった。兄貴、今日は帰ろうぜ」
「いいのか、銀将」
それを聞いた金将は、左京の槍と交えていた錫杖を離した。
「紫苑が来ると勝ち目ねーってことくらい、俺にだって分かるさ」
翼を羽搏かせて二羽は空へ上昇すると、地上に居る二匹に向けて叫んだ。
「次こそは容赦しねぇ! 稲荷は必ず連れて帰るからな‼」
「誰が渡すかバァ――カ‼」
右京は刀を振り回しながら空に向かって罵倒した。
べえ、と舌を出して遠くなってゆく二羽を見ながら、紫苑と呼ばれた青年が右京と左京に歩み寄った。
「あいつらはまだ諦めてなかったのか」
「紫苑、助かった! ありがとう……!」
「稲荷様が幼くなられてから、ずっとこうだ」
左京は礼を言い、右京は不機嫌な様子で呟いた。
「……力の半減した今がチャンスだとでも思ったんだろうよ」
元より、稲荷と大天狗――神道と仏教は土俵こそ違って見えるが、『神仏習合』という言葉通り、互いの存在はこの日本において遥か昔に受け入れ合い許容し合ってきた。本来、争う必要などないのである。……ではなぜ、稲荷を襲うのか。
そこには、金将・銀将の主――大天狗にとって、重要な問題が深く関係していた。