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稲荷さま滞在奇譚  作者: 墨染
肆ノ章:玉の狐と鍵の狐
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第一話「未練の花」

 六月下旬――五月と比べると気温がぐっと上昇し、夏日が増えてきた。今年は初旬から梅雨入りしたらしく、湿った空気も相まって暖かい(どころ)の騒ぎではない。

 人々は、口を揃えて言った。


 「蒸し暑い……」

 ついこの間まで肌寒いと羽織っていた長袖も、今では湿気のべたつきを感じると脱いでしまいたくなる。――東雲は、小言を垂れながら差し込んだ鍵を回した。ガチャリと掛かる音を聞き、今一度取っ手を引いて鍵が掛かっているのを確認すると、外気の湿度に眉間の皺を深くしながら歩き始めた。

 「雨は嫌いか?」稲荷が隣で問うた。

 「雨っていうか、湿気が嫌だな」

 カビも生えるし。――そう言ってはいるが、東雲はしっかりと稲荷の手を繋いでいた。どれだけ苦手な梅雨独特の暑さであっても手を握ることはやめない東雲に、稲荷は嬉しさを噛み締めるのだった。


 「おはよう、東雲くんに稲荷ちゃん」

 「おはようございます」「おはよう、つばめ!」

 東雲達がアパートの階段を下りると、大家である(つばくら)が打ち水を行っていた。

 「まだ六月だっていうのに、昼間にはもう暑くなってしまうから困ったものね」

 「雨が降って止んだかと思えば、あっという間に夏みたいな気温ですもんね」

 「東雲くんは、今からお仕事なのね」

 「はい。稲荷を預けてから行ってきます」

 「つばめは、この後何をするのじゃ?」

 「私は庭の草むしりをしてから、お花にお水もあげなくちゃ。……あ、そうそう。ちょっと見てほしいものがあるの」

 燕はそう言って、日陰に置かれてあった水入りの小瓶を持って来た。そこには一輪の花が差し込まれている。

 「綺麗な花ですね。これは……」「菖蒲(あやめ)の花じゃな?」

 「そうなの。四月頃からかしら……毎月、誰かが扉前に一本のお花を置いていってくれるんだけど」

 「へぇ」「つばめはそれが嫌なのか?」

 「いいえ、素敵なお花だから勿論嬉しいけれど。でも一体誰が……」

 お礼を言いたいが、誰がくれたのかも分からないので伝えようがない。――そう言いながら困った様子の燕に対し、東雲と稲荷の脳裏には一匹の白狐が浮かび上がる。一人と一柱は互いに目配せし、苦笑した。

 (……左京だろうな、間違いなく)



 伏見稲荷大社に稲荷を預け、東雲はいつものように『京都モノノケ出版』へ出勤した。

 ゴールデンウィークでの嵐山は完全に小旅行となってしまいネタ探しこそ出来なかったが、大年の強さや、彼の家族に関連する神々について詳しく知ることが出来たのは良い収穫だったと言っても良いだろう。

 稲荷を通して、大年の家族のことを記事にしても構わないか確認を取った時――彼は相変わらず、近場に居る動物を経由して東雲宛てに手紙を送ってきた。今回は、白い狛鼠(こまねずみ)だった。

 「大豊(おおとよ)神社にて、大年様からの使いでやって参りました!」

 時期はゴールデンウィーク明け頃だったが、意気揚々と告げてきた狛鼠の神社から察するに、大年はまだ京都に居るのだろう。


 数週間前の出来事を思い出し、クスリと笑って東雲はパソコンを立ち上げた。

 「何や、楽しそうやな東雲くん」

 「え、そうですか?」

 「おん。前より明るなった感じするし」

 揖宿(いぶすき)がそう言うと、パソコンの横から顔を覗かせた井上達も東雲を見た。

 「……確かに、角が取れたって感じ?」

 「ゴールデンウィーク明けでも思ったけど、東雲くん最近雰囲気変わったよね」

 「そう、なんですかね……? 自分じゃ分からないですけど」

 「アルバイトの頃から知ってる私達がそう言うんだから、きっとそうなのよ」

 「何か良い感じだね、僕らも嬉しいよ」

 井上と森野が自分のことのように喜んでくれたので、東雲は何だか照れくさくなって頭を掻いた。

 「ふふ。一体、誰のお陰なんやろなあ……?」

 盛り上がる東雲達の背後で、揖宿は意味有り気に呟いた。



 同時刻――稲荷山。

 本殿から二十分程歩き、標高二百三十三メートルの稲荷山の中でも麓に近い場所にある熊鷹社(くまたかしゃ)。参拝客によって奉納された(おびただ)しい数の蝋燭が燃え盛っている。そんな異様な雰囲気の末社(まつしゃ)向かいにある売店も併設した茶屋に、右京と左京は居た。


 「お前……まだそんなチマチマしたことやってんのかよ」

 「なっ、……! ……これでも、結構進歩した方だと思うんだが……」

 「まだ昭和の気分で居んのかよ。今は平成だっつの」

 普段から何でも器用に(こな)している左京が、右京に対して「相談」を持ち掛けたのは本日早朝のことであった。

 珍しく自分を頼ってくる相棒に、表向きでは悪態を吐きながらも内心悪い気はしなかったのだが――蓋を開けてみれば、中身は彼にとって最も興味の無い『()()()()の恋愛相談』だったので、右京は非常に後悔していた。

 とはいえ、受けてしまった相談を今更無かったことにも出来ず。話だけでも聞いて、後は適当にそれらしい回答をすればいいか――と、初めは軽い気持ちで、比較的朝方は人の少ない麓の茶屋にて詳細を聞いてみたのが間違いだったようだ。

 拗らせ過ぎた燕への想いを抱く左京に、右京は改めて絶句した。


 「……前も言ったが、左腕のお前がそんなんじゃ他の白狐達の士気が下がるんだよ! 燕が参拝に来てもお前は全然動こうとしねぇし。だから諦めるために必死で気持ちを殺してんのかと思えば、差出人不明の花でアピールだァ⁉ マジで意味が分かんねぇ‼」

 「うぅ……」

 三月末。東雲の拠点とするアパート大家が、過去に左京と駆け落ちまで考えた女性――燕だったことは、周囲も既に把握している事実だ。しかし、あくまで一度は終わった恋である。加えて、今の自分が置かれている立場を考えればこそ、感情に任せて動けるほど、左京も若くはなかった。

 「……分かってるんだ、未練がましいってことは」

 葛藤の末、その月に伏見稲荷大社内で咲いた花を一輪だけ拝借し、燕の住む部屋前にそっと添えることにした。

これは、彼の未練とも言える彼女への想いの証であった。


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