第二十一話「千洋の皮は一狐の腋に如かず」
透き通るような声が聞こえ、皆がその先を見た。同時に、円となっていた周囲の人々が二手に分かれ、道が出来る。
「結!」
紫苑が真っ先に声を発した。
「もう入学式は終わったのか?」
「うん、さっき家に帰ってきたところ」
結――そう呼ばれた巫女姿の女性は、上部で括られた長くウェーブした臙脂色の髪を靡かせ、紫苑の元へと近付いて来た。透き通る程の白い肌に整った顔立ちで、どこか浮世離れした美しさがある。
「綺麗な人……」日比野が見惚れた様子で呟いた。
東雲だけでなく、老若男女を問わず周囲の人間さえも魅了してしまう程の容姿、仕草、声色。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花……とは、彼女のような人のことを言うのだろう。――この場に居る者全てが、そう感じているようだった。
「結ー‼」
稲荷は嬉しそうに名を呼んで駆け寄り、抱きついた。結はそれを優しく受け止め、同じ目線になるように屈むと小さく会釈をする。
「お久しぶりです、稲荷様。お元気にされていましたか?」
「うむうむ! ……しかし、わたしの身勝手で部下や友人らを困らせてしまった」
落ち込んだ様子で稲荷が言うと、結は穏やかに笑った。
「そうだったのですね。皆さんに『ごめんなさい』しましたか?」
「うむ! ……だが、わたしはまだ反省せねばならぬ」
「ふふ、次から気を付けましょう。皆さんが心配しますから」
「結もか?」
「勿論です。とても心配しますよ」
「あい分かった。以後、気を付ける」
稲荷の言葉に再び優しい笑みを浮かべると、結は立ち上がって東雲達の方へと顔を向けた。
「皆さん、此処での立ち話もなんですから……よろしければ、我が家にお越しくださいませ」
結がそう言うと、東雲と日比野は思わず顔を上げた。
「え、俺達が行ってもご迷惑じゃ……?」
「わ、私まで良いんですか⁉」
「迷惑だなんて。お二人とも是非いらしてください」
結が穏やかに伝えると、二人は不思議と安心感に包まれた。
「紫苑の妹さん、綺麗だなぁ」
「ん? ……ああ、まぁな」
(否定しない! 流石は美形兄妹……)
紫苑があまりにも素直に頷くので、東雲は思わず感心してしまった。この浮世離れした雰囲気の美形兄妹に対して興味を惹かれ、少しばかり深堀りしてみたい――と、東雲の中で欲が湧き上がる。
「二人とも、引く手数多だから大変だろ。あれだけ美人な妹さんだと、兄としても心配になるんじゃないか?」
「……いや、結が人から好かれてる分には別にいい。ただなぁ……あいつはちょっと特殊で、厄介なものにも好かれちまうというか……」
紫苑の表情が少しばかり暗くなるのを、東雲は見逃さなかった。
「特殊? ……ストーカーとか?」
「はは、いや。それも人だろ?」
「あ、そうか」東雲は思わず頬を掻いた。
「左京から聞いたんだが、由貴が悩まされている体質と結は少し似てるかもな」
「え、もしかして怪異に――」
「東雲、花枝、紫苑! 早く来ないと置いて行ってしまうぞ?」
東雲が言葉を発したのとほぼ同時に、稲荷が少し先から名を呼んだ。
「……ま、その話はまた今度だ。行こう」
稲荷達は結を先頭にして歩み始めていたので、紫苑が促すように東雲の肩を軽く叩いた。不思議に思いながらも、東雲はそれに続く。
暫くして――気が付くと稲荷を筆頭に右京と左京が後に続いて社務所の方へと向かっている。足を進めていると、先程まで先頭に居た結が歩幅を遅くして東雲と日比野の側へとやって来た。
「東雲さん、日比野さん」
「!」「ハ、ハイッ‼」
結の声に、名を呼ばれた二人は思わず心臓が跳ねる。
「お二人が、稲荷様を見つけてくださったと聞きました。本当にありがとうございます。……ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は神宮司 紫苑の妹の、神宮司 結と申します」
はじめまして。――そう言って深々と頭を下げる結の姿は、とても品があり美しかった。東雲と日比野は、咄嗟に声を上げた。
「あ、頭を上げてください……!」
「そ、そうです! 私は何もしていませんから……!」
元より自己肯定力の低い東雲と日比野からすれば、結はとても崇高な存在にすら見える。そんな彼女が、自分に向かって頭を下げている。――何だか悪いことをさせているような罪悪感に駆られ、二人は必死に首を横に振った。
(……ん?) ――ふ、と。東雲が目を凝らしてよく見ると、重ねられた結の左手薬指は、根本から欠損していた。ちらりと隣の日比野を見たが、動揺している彼女は気付いていないらしい。
『……あいつはちょっと特殊で、厄介なものにも好かれちまうというか……』
東雲は、先程の紫苑の言葉を思い出した。
もしかすると、彼の言っていたことと何か関係しているのかもしれない。しかし、流石にこの場で尋ねるのは野暮だろう。――東雲は、口から零れそうな問いをゴクリと飲み込んだ。
「……あいつら、結の持ってる力にまんまと当てられてるな」
「俺達だってそうだろう。……なにせ、結の母君はあの天狐様だからなあ」
「惚れない方が無理なんだよ」
「こればかりは、結本人が制御できる話じゃないからな」
少し進んだ先から東雲達を見ていた右京と左京は、誰にも聞こえない程度の声量で会話をした。
「……このこと、東雲は知ってんのかよ?」
「見るからに知らないだろう。……でも、この先――紫苑が東雲に話す機会があったなら、嫌でも知ることになるだろうな。……あの忌々しい事件のことも」
右京の問いに、左京は伏し目がちに答えた。
東雲はまだ、何も知らなかった。
紫苑と結が『異母兄妹』であることも、二人に人ならざる者の血が『半分』流れていることも。
結は狐の最上階級と呼ばれる天狐と人間の間に生まれた娘。……では、その兄を名乗る紫苑とは一体何者なのか。東雲は今後、この兄妹の抱えている闇や因縁と深く関わることになるのだが――それらは暫し先の話であり、今の彼には知る由もなかった。