9.もう引き返さない
色々と買い出しをして、二人は商会に戻って来た。
リリーは商会の一角に用意された部屋に戻る。薬草事典を開き、例の万能薬草を見つめた。
(下手をしたら……私もエディも、帰っては来られないかもしれない)
暗黒大陸がどんな場所なのか、二人は知らない。無事に帰って来られる人の方が少ない現状、リリーは今出来ることをじっと考えた。
真珠のイヤリングを外して見る。
エディはもしかしたら今の自分と同じようなことを思って、これをプレゼントしてくれたのかもしれない。
リリーはなぜか落ち着かなかった。今まで考えたこともない感情が湧いて来ている。
(もし、どちらか一方が死んでしまったら──)
とリリーは妄想し、急に悲しくなった。実のところ刹那的に生きて来た彼女が誰かを求める気持ちになったのは、母以外ではエディが初めてなのかもしれなかった。
扉がノックされる。
「リリー様。お召し物が出来上がりましたので、お持ちいたしました」
リリーは慌てて目をこすると、扉を開けた。お針子の手の中に、女性用の冒険着がある。男装に近いもので、リリーが初めて着るようなサファリシャツやトラウザーも入っている。
着替えてみると、ほどよくゆとりがあって動きやすかった。
「ありがとう、ちょうどいいわ」
服はそのまま進呈され、お針子が帰って行く。リリーは再びさっきまで着ていた服に着替えた。
すると再び扉がノックされる。
「リリー、入ってもいいか?」
エディの声だ。リリーは慌てて真珠のイヤリングをつけ直すと、扉を開けた。
「エディ……」
「荷造りをしよう。暗黒大陸に持って行く薬品を分けに来た」
リリーは目の前に薬品を広げて行くエディの指にじっと見入る。
「他に足りないものはない?」
リリーはうつむいてじっと何かを考えてから、彼を見上げて問う。
「エディ。もしも、どちらかが死んでしまったらどうする?」
エディは言葉に詰まった。彼もじっと何かを考えてから、こう言った。
「……俺は、父の病を治したくて君を巻き込んでしまった。実はそれを今、とても後悔している」
リリーは胸を押さえた。
「言ってなかったが……俺は四男でね。長男第一主義の我が家は、次男以下はあんまり家に必要とされていなかったんだ。だから少し意地になっていた部分もある。父の病は俺が治すのだと──」
初めて聞くエディの家庭事情に、リリーは頷いた。
「そうだったの……」
「リリー、引き返すなら今だぞ」
リリーはどきりとして顔を上げた。
エディは真剣な眼差しでこちらを見つめている。
「君を就職斡旋の条件で釣った。その時はそれでいいと思った。けど、君と話す内に、本当にそれでいいのかと迷いが生じ始めた。リリーの身を危険に晒すことを、今になって後悔し始めたんだ」
リリーはどきどきと胸を鳴らす。彼の瞳の中に宿る光を見て、何かに気づきそうな自分が怖い。
リリーは想像した。ここで彼をひとりで行かせたら、どうなるか。
もし自分の目の届かないところで、エディが死んでしまったとしたら──
恐らくリリーは、一生彼の死を見届けられなかったことを後悔するだろう。
「私、行くわ」
リリーの口が、彼女の意思より先に動いた。
「私はきっと、あなたに必要とされたのが嬉しくてついて来たの。だから、行く」
エディはぽかんと口を開けてから、むずむずと湧き上がるように顔を赤くした。
「本当に?」
「前も言ったでしょう。私は誰からも必要とされずに追い出された。でもエディは必要としてくれたの。ここにいる理由は、それだけよ」
リリーは最後に少し彼を突き放したが、それは何かが起こった時の予防線的に発したものだった。
(関係が深くなりすぎると、何かが起こった時、二度と立ち直れなくなる気がするから)
そのことを理解し始めたリリーに、迷いはなくなっていた。彼と過ごしたのは数週間だが、今まで出会ったどの人間よりも理解し合えている気がする。そのように思える仲間といられることは、死の恐怖をも超越するようだ。
エディはとても嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、リリー」
「私、自分の人生に後悔だけはしたくない。二人元気で戻って、お父様のご病気を早く治してあげましょう」
今度はリリーから手を差し出した。
二人はぎゅっと握手し合った。
暗黒大陸への出航当日。
港に、チャドが花束を持って現れた。リリーとエディはびっくりしたが、花束を受け取ると彼は言う。
「エディ様、必ず生きて帰ってください。それから、再びこの港にリリー様をお連れになって下さいね。感染症対策の部屋はいつでも提供できるご用意がございます」
リリーは頷いた。
「チャド様もお元気で」
「リリー様、エディ様をよろしくお願いします」
エディとリリーは暗黒大陸行の船に乗り込んで行く。以前に乗った客船よりは相当に小さな船だ。
荷物を持って、一等船室へそれぞれが入る。部屋もかなり狭かったが、一応風呂つきだ。
リリーは船室に転がっていたワインボトルに水を入れると、花束をぎゅっと突っ込んだ。
船室に、花の芳香が漂う。それで少しだけ、リリーの肩から力が抜けた。