7.理由
一方のリリーは、体のサイズ測定を終えていた。
「暗黒大陸に入るのであれば、目の詰まった生地がよさそうです。下は生地厚めで、上は薄地で作りましょう」
リリーがぽかんとしている間に、目の前に布見本がどんどん積まれて行く。
「お好きな布を選んでください」
「えーっと……どの布がおいくらか、全く書いていないのですが」
お針子はにこりと笑った。
「エディ様の持ち出しでございます。殿下はどれでも構わないと──」
「……〝殿下〟?」
そのやりとりを聞くや、直線的な足取りで執事が割って入って来る。
「失礼いたします。あともう少しでお食事となります。その前に、一度湯浴みしてはどうかとご主人様からお話がございましたが、いかがなさいますか?」
リリーはハッとした。
「そ、そうよね。こんなに大きな商会だもの、小汚い格好でウロウロするのは失礼でした……本当にごめんなさい」
「謝ることなど、何も……服は新しいものをご用意いたします。現在お針子が急ピッチでプレタポルテに手を加えてリリー様のサイズに直しておりますので、しばしお待ちを」
「そこまでなさらなくてもいいわ。修道着なんて、穴あき袋にベルトをしているだけのシロモノよ。肌が隠れれば、私はそれで充分よ」
リリーがそう言ってころころと笑う。執事も何かを考え、ふと目を細めた。
「では、風呂場までは女性使用人に案内させますので」
「ありがとう」
リリーはやって来たメイドのあとをついて歩き出した。天井には豪華なシャンデリアが並ぶ。
これが商会。窓の外に目を転じると、そこにもガラスの温室が建っているのが見えた。
絢爛豪華な風呂場に直行する。それにしてもこんな凄い商会と顔なじみとは、ランドールの王立薬草園はとんでもないところなのではないだろうか。この商会にも温室があったし、きっと何か植物の取引をしている間柄なのだろう。
リリーは久しぶりに湯浴みし、念入りにその栗色の髪を梳いてもらった。とてもいい香りのするボディパウダーをはたいてもらい、滑る肌に真新しい服を通す。リリーは修道女になる前の自分を思い出し、何だか懐かしくなった。
「凄い!この服、ぴったり体に沿うわ……ありがとう」
「その服は差し上げます」
「えっ!」
「冒険着の着用後は、そちらもエディ様の邸宅に送ってしまう予定でおります」
リリーは訝しんだ。
(エディ様の邸宅……?)
よく考えたら、万能薬草を手に入れた後のリリーの住まいはまだ決まっていないのだ。必然的に一度エディの家に送ることになるのだろうが、取りに行くのもちょっと気恥ずかしい。
(まあいいや。そのこともいつかエディに相談しなくっちゃね)
リリーはグリーンのドレスを着て、執事の案内で食堂に入った。既にエディは席についていて、リリーを認めると少し目を見開いた。
チャドが声をかけて来る。
「おお、リリー様。流行りの服に着替えたら、美しさに磨きがかかりましたなぁ」
リリーは褒めそやされ、少し身構えた。
エディが我に返って彼女を促す。
「リリー、久しぶりの温かい食事だぞ」
「チャド様、ありがとうございます」
「礼には及ばない。エディ様にはかなり世話になっているのでな」
リリーが席に座ると、チャドがどこか真剣な眼差しでリリーの動きを注視した。やりづらいと思いながらも、初対面なのだからあちらも警戒しているのだろう、と彼女は自分に言い聞かせた。
食事が運ばれて来ると、早速チャドが話しかけて来た。
「リリー様は、ご出身はどちらなのですか?」
初対面の人物とのよくある会話だ。リリーは肩肘張らずに答えた。
「レミントンです」
「ランドールの西にある国ですな。では、レミントンのどこの修道院からいらしたのですか?」
その質問に、リリーは早速詰まってしまった。エディが助け舟を出す。
「実は、その修道院の環境は最悪だったらしく……彼女はそこを出たばかりなんだ。悲しい顔になるから、その辺りは余り掘り返さないでくれ」
リリーはほっとした。チャドの顔が曇る。
「それは大変でしたね……では、一度ご両親の元へお戻りになったのですか?」
リリーはまたしても固まったが、エディが興味深そうにこちらをずっと見ているので、これに関しては彼にも答えるべきだろう、と腹をくくった。
「私には母しかおりませんでしたが、その母も私が修道院に入る前、病で亡くなりました。父はレイノス伯爵家当主のコンラッドですが、母は妾でしたので私とはもう縁が切れております」
リリーの複雑な家庭事情語りに、食堂は冷え切った。エディは少しうつむいてから、彼女にこんなことを言う。
「初めて知った。大変だったんだね……」
「けれど修道院に入れたのは父の口利きでしたから、父を恨んではいません。むしろ感謝しております」
「じゃあ、一応リリーは貴族になるんだね」
「母も男爵家の次女でしたから、そういうことになりますね」
チャドはリリーの出自が明確になり、少し安堵の表情になった。
「何やら申し訳ない。余計なことを尋ねてしまいました」
「いいえ、これらは事実ですもの。それに、これらのことはエディにも知っておいてもらいたかったから、この機会に話せてよかったです」
リリーがそう言って「ね」とエディに視線を向けると、彼はなぜか赤くなった。チャドは少し咳払いをすると、話を戻そうとする。
「リリー様は薬草の知識が豊富と伺いました。修道院で知識を修めたのですか?」
「はい。12歳からずっと……16歳になるまで、薬草園を耕しておりました」
「知識だけではなく、育成にも携わっていたのですね」
「はい、薬草の育成に関しては充実した四年間でした」
「ということは、修道院の労働環境の方に問題があった、と……?」
リリーは少し顔を曇らせる。よりにもよって、久しぶりにあのアレクシスの顔を思い出してしまったのだ。すぐにでもリリーに触れようとする、あの無遠慮な男を──
「はい、問題がありました」
「それを、うかがってもよろしいですか……?製品供給先の参考にさせていただきたいので」
リリーは気づいた。レミントン国内の修道院で薬草園を営んでいるのは、あの公爵家の修道院一箇所のみなのだと。
今更慌ててもしかたがなかった。リリーは白状する。
「私が院内で一番身分が格下でしたから、格上の方々には生意気で疎ましかったようで追い出されてしまいました。けれど一番辛かったのは、修道院を経営する公爵令息に、ことあるごとに体を触られたり、関係を持とうと口説かれたこと──」
がたんっ、とエディの椅子が鳴った。彼が立ち上がったのだ。チャドはそれを見て青くなっている。
「リリー!そんなことがあったなんて一言も──」
リリーはエディに言う。
「だって……狭い船の中では言いにくいことだったから。あの男性だらけの船内でそんなことを言えば、彼らにも軽く見られるのが女の現実でしょう?」
食堂内は静まり返った。エディは怒りに顔を真っ赤にして、どすんと椅子に座り直す。
チャドも今までのどこか探るような疑いの視線を消し、真剣な表情になる。
「……私にも娘がおりますゆえ、そういった話は見過ごせませんな」
「でも報復が怖いので、表立って何かをするのはよして下さい。私はあそこを出た以上、平穏に暮らしたいんです」
「分かりました。けれど、そのような薬草園との取引は、ちょっと考えなければなりませんね……」
リリーは下手を打ったと思った。正直に話すようなことではなかったかと落胆したが、
「リリー。ありがとう、話してくれて」
とエディは礼を言った。
「苦しかっただろうけど、先に言ってくれてよかった。リリーには、なるべく嫌な思いをしてもらいたくないからね。俺は君に馴れ馴れしく触ったりは絶対にしない」
エディの真っすぐな視線と真摯な言葉に勇気付けられ、リリーはようやく笑顔で頷いた。