58.結婚式
リリーたちが島の視察を終えランドールに戻ると、ウォルスター城ではせっせとリリーのウェディングドレスが縫われていた。
お針子から、またしても粋な計らいである。リリーは自室の扉を開けてそれを目の当たりにするなり、顔を覆って泣き崩れた。
リリーの痩せた肩をふんわりと包み込む、大きめのパフスリーブをあしらったドレスだ。トレーンが長めに取ってあり、絹が重たそうだが歩けば素晴らしいドレープが出るだろう。
「ふぇっ……」
しゃくり上げるリリーの背後から、エディが笑顔でやって来た。
「……とんでもないサプライズだな」
「み、みなしゃん……」
「呂律が回ってないぞ」
エディがリリーの腕を持ち上げて立たせる。リリーはエディの肩に額を付けて涙を流した。
「ありがとうございます。でもまだ、特にその予定は……」
「二か月後だから」
「えっ!?」
リリーはエディを振り返る。
「二か月後?何が?」
「結婚式」
「フアッ?」
「あれー?言ってなかったっけ。ランドールの王族には〝正式な婚約から三か月以内に婚姻の儀を執り行うこと〟という決まりがある。俺たちは既に船で行って帰って一か月以上使ってるだろ?だからあと二か月で結婚してるんだよ、俺たちは」
リリーの開いた口が塞がらない。
「き、聞いてない……」
「やめる?婚約」
「やります!やらせてください!」
リリーは彼に取りすがると、再び泣いた。エディが彼女の後頭部を撫でる。
「だから、もうリリーは何も心配しなくていいんだよ。みんなが準備をしてくれるから。婚姻の儀当日も俺の隣にいれば、新婦は何もしなくても全部終わる手はずだから」
リリーは目をこすると、それで気分が切り替わった。
「なら良かったわ。これで事業に専念できる……!」
「ようやくいつものリリーが帰って来たな」
「まず、島の測量図から施設配置を考えましょう」
ウェディングドレスをバックに、リリーは地図を広げた。
「私、結婚したらしばらくこの島に住みたいの。セドリック様が王座に就いている間を、万能薬草研究に捧げたい。ヤルミルによると、樹齢六年から表皮は剥がせるけれど、表皮を剥がされた木は死んでしまうんですって。だからカラバルではなるべく大きく育てて、めいいっぱい木の皮を剥いだらあとは木材にするそうよ」
「かなり長いスパンで見ないとな」
「暗黒大陸の木の皮は、一定量少しずつならあげられるって言ってたわ」
「じゃあそれをまず貴族に回して……今着工中の病院代に充てられるか」
「病院の経営はトリス大臣に任せることにしたんでしょ?」
「形式上は王室の管理下だがな。少しでも国民感情を良くするためだ」
リリーは話しながら、地図に丸を付けた。
「ここに邸宅を構えて……」
「資材の搬入には港が必要だ」
「じゃあまずはここに港を作る……」
「資金は既に王から貰い受けている。チャドに前金も払った」
「仕事が早いわね」
「実は、雇用対策も兼ねて国中から移住者を募っている。薬草園に新規採用するんだ」
「いつの間に……」
「常に先手必勝でやって行かないとな。まずは行動。準備は後からでいい」
リリーは何度も頷いた。
「それ、とってもいい言葉ね」
「……そういうわけで、薬草園の規模も拡大する。何もこの世の中の病気は熱病だけじゃない。他にも治さなくてはならない病はいくらでもあるからな」
手元の資料をバラバラとめくって読み込みながら、リリーは背中が幸福に痺れて行くのを感じていた。
リリーとエディの夢が叶って行く。
裏切られて追い出されても、殺されそうになったり冷遇されたりしても、信念を曲げなかった二人の夢が。
作りかけのウェディングドレスが、二人を静かに見守っていた。
二か月後。
ビジューで彩られた重たいウェディングドレスを引きずって、リリーは教会のカーペットの上を歩いていた。
王都の中心部にある荘厳な教会で、ステンドグラスから落ちるカラフルな光が煌めき、リリーのドレスの裾をすり抜けて行く。
リリーの手を引く役目はレイノス伯爵ではなく、トリス大臣に依頼した。レイノス伯爵とはシェンブロ公爵のことで未だにわだかまりがあったので、このような祝いの場に出すことが出来なかったのだ。
カーペットの先に、笑顔のエディが待っている。
着慣れない王族の特別な正装の彼を見て、リリーも顔がほころんだ。
エディの元へ引き渡されると二人はお互いの姿を目に焼き付けんと、視線を互いのあちこちに動かす。
その視線の忙しさが面白くなって、二人は互いに吹き出した。
指輪を交換し、ゆっくりと誓いのキスをして、晴れて二人は夫婦になる。
荘厳なパイプオルガンの音色を、ステンドグラスの煌めきを、エディの笑顔を、リリーは生涯忘れることはないだろう。
二人で教会を出て馬車に乗り込むと、外では民衆の歓声が沸き起こっていた。
遠くに、建設途中の病院が見える。二人が王宮へ向かう道すがら、こう叫ぶ声が聞こえた。
「殿下、ありがとうございます!」
「薬師聖女様との結婚、ありがとうございます!」
「薬師聖女様がんばれー!」
エディが吹き出した。
「そこは……〝おめでとうございます〟じゃないのか?」
リリーは熱くなる目をこすった。ずっと見えない誰かが、彼女の恋を応援してくれていたのだ。
誰かの役に立ちたいと願って生えていた万能薬草のように、誰にも見えない場所で奮闘していたリリーを、見守ってくれていた人が国内にたくさんいたのだ。
きっと、万能薬草を持ち帰り、かと思えば王子と引き離され、戦乱から戻って来て病院の資金を募集していた彼女を新聞で見かけ、陰ながら応援してくれていた市民は多かったのだろう。
「……あの人たちに、お礼をしなければね。ちゃんと、これからの行いで報いなければ」
そう呟いたリリーの肩を、エディがそっと引き寄せる。
「俺たちなら出来るよ」
リリーは何度か頷いて、幸せそうにエディの肩に頬を寄せた。
次回で完結予定です。