54.私は聖女になる
スティール家の主、中年の男アーネストがやって来る。
「あれ?薬師聖女様、お早いお越しで……」
「初めまして、アーネスト様。お嬢様はどちらに?万能薬草をお持ちいたしました」
「なんと……!い、今、ですか?」
「はい。いくら万能薬草があっても、患者の体力が持たなければ意味がないので……」
「ふーむ、確かにそうですね。ではホリーの元までご案内します」
熱病にかかっている子どもはホリーというらしい。
案内された部屋では、真っ赤な顔でうなされている10歳の少女がひとりベッドに横たわっていた。リリーは少女の脈を測り、目蓋を開いて目の中を覗き込む。例の熱病で間違いなさそうだ。
「お食事はいつ取りましたか?」
「朝は食べられずにおりまして……」
「大変だわ。まずはお薬を飲ませないと」
リリーは執事に水を持って来させ、ホリーの上半身を起こした。
「ホリー、これが万能薬草よ。しっかり飲みなさい」
「……聖女、様?」
「そうね、私は聖女よ。これを飲めば、楽になるからね」
リリーはあえて自分を〝聖女〟と呼んだ。咄嗟に出た言葉だったが、病は気からと言うし、聖女から薬をもらったという設定で飲んだ方が病も早く癒えるだろう。
とくとくと、ホリーは素直に薬を飲んだ。
そして、安心したのか急にすうっと寝入ってしまった。アーネストが叫ぶ。
「……ホリー!?」
「万能薬草の副作用に酩酊がありますから、眠くなってしまったのかもしれません」
「副作用、ですか……」
「これを一定期間飲ませれば、あとは自然治癒力がどこまで働くか、ということが大事になります。食事も大事ですが、症状に合わせたマッサージや薬膳なども効果を高めます。予後も王立薬草園の看護係がそのようなことを致しますので、どうぞご安心ください」
リリーがそこまで言うと、ふとアーネストは目を拭った。
「そ、そうか……良かった、良かった……」
リリーの胸が痛む。きっとアーネストはずっと娘の病状について不安を抱いていたに違いない。
世界には、こんな風に熱病の子の心配をして、涙を流している親が大勢いる。
なすすべなく、消えて行った命がたくさんある。
リリーも鼻をすすった。
そして、ひとりでも多くの熱病患者を救いたいという思いが喉を突き上げて来る。
(そうだ。嘘でも聖女にならなければ──)
リリーは自分の心の奥底にいる、母の遺体の隣で絶望している小さなリリーの肩を抱いた。
(あの頃の私が救われないわ)
次の日、看護団がスティール家に到着した。
薬を半日分飲んでいるので、ホリーはぐっすり眠りこけている。昨日のうなされようとはうって変わって安らかな寝顔を見せる娘に、覗きに来たアーネストも微笑む。
台所でリリーが薬膳を作っていると、看護係に肩を叩かれた。
「リリー様、雑務は私たちが片付けます。王立薬草園の馬車がもう一台来ています。至急、ゴッドウィル伯爵家へ向かうようにと」
「えっ……もうですか?」
「あちらのご子息も、季節の変わり目で容態が悪化しているそうです。伯爵家も王都にありますから、そんなに時間はかかりません。既にあちらには看護団が着いています。あとはリリー様が薬師聖女として向かうのみです」
「分かったわ、すぐに行くわね」
どうやらリリーは患者を安心させるための偶像になっているらしい。そういう扱いも、今のリリーには苦でなかった。
きっとこの国の全ての熱病と戦い終えた時、リリーは〝本物の〟聖女になっているだろうから。
リリーは馬車を乗り換え、ゴッドウィル家へと急ぐ。
人は誰かのために何かをする時、無限に力が湧いて来るものなのだ。
そうして、リリーは三ヵ所の貴族の子女を助けた。
ホリーの食欲がなかなか戻らなかったため予定より一週間長く王都にかじりついていたが、何とか目途が立ってウォルスター城に戻ることが出来た。
リリーが帰ると、早速エディが飛んで来て玄関先で彼女を抱き締めた。
「お帰り、リリー……!長かったな」
「ただいまエディ……疲れちゃった」
聖女リリーは待つ人の元へ帰り、ようやくひとりの少女に戻ることが出来た。
体を離すと彼が言う。
「疲れてるところ悪いけどリリー、今日はいい知らせがあるんだよ」
「え?何?」
「何と……これ、見て!」
エディが、ベルベットの小箱をリリーの眼前に持って来る。リリーは目を丸くして、まさか婚約!?と期待に胸を膨らませたが
「じゃーん!」
とエディが箱を開けると、中には勲章が入っていた。
リリーは困惑気味にそれを手に取る。その金星バッジの中央には紅いルビーがはめこまれ、百合と鷲の紋章が描かれた青いリボンが何枚かぶら下がっている。
「……えっ!?何の勲章……?」
「決まってるだろう。万能薬草を入手し、王家と市民の健康に貢献した証だ。それに伴い、君には一代爵位が与えられるんだよ!」
手の中の勲章が、やにわに輝き出したようにリリーの目に映る。
「まさか……」
「王国から直々に、君にれっきとした身分が与えられるということは──どういうことか、分かるよね?」
リリーは笑顔でこくこくと頷いた。
「年金が貰えるのね!」
「……違うっ。王族と結婚が出来るんだよ!」
リリーはそれを聞いて、驚きにぽかんと口を開けた。