53.騙し合える仲
それからマリーはヒューゴの病室へ日参するようになった。
ヒューゴはずっとマリーに騙されていてくれるので、万能薬草を飲むようになった。マリーは一時間くらい黙って彼の手を握っては、牢へ帰って行くのだった。
エディがやって来て、病室の二人を覗く。
そして怪訝な顔をして戻って来る。
「分っかんないなー」
薬膳を用意していたリリーはその言葉に吹き出した。
「何がよ」
「演技って分かってて、それでも傍にいて欲しいって……兄貴はおかしい。俺だったら追い出してるよ、自分や国を裏切った女なんか」
リリーにはエディの言いたいことがよく分かる。けれど
「多分……ヒューゴ様はとても孤独なのね」
「だからって……」
「演技をしてくれる人すら、いなかったのかもしれないわ」
「……あー。そういうことかぁ」
急にエディは神妙な顔になった。
「それは信頼とは違うんだけど……騙し合った仲、ってことで納得済みなのか?」
「同じような孤独を抱えていたのよ、あの二人は。それに……演技だろうと本気だろうと、最後までそばにいてくれる人って貴重よ」
エディはことこと煮えている鍋を覗き込んだ。
「リリーの母上の最期は……」
「私、あの日来てくれなかった父を恨んだこともあったけど……母の本当の心の内は誰にも分かりっこないわ。ただ……そばにいた私にあの薬草を渡して、それが縁で今、私はここに立っている。何が幸せに繋がるか分からない。不思議ね、運命って」
リリーの作った薬膳を、別の看護係が運んで行く。リリーは余計なストレスを与えないよう、ヒューゴの病室へは入らないようにしていた。
マリーがやって来た薬膳をヒューゴの口に運んで行く。
ふたりきりの病室で、ヒューゴは尋ねた。
「君を牢から出したのは、一体……」
マリーはどこか慈愛に満ちた表情で答えた。
「リリーよ。私は何度も追い返したんだけど、あの子が〝騙すなら最後まで騙し通せ〟と言って来て……だから来ちゃったの」
「……そうか」
ヒューゴはそう小さく呟いて、じっと何事か思案する。
小さな騙し合いが、病室の中で静かに繰り返されていた。
ヒューゴの容態が安定し、王宮は少しずつ日常を取り戻し始めていた。
看護係に全てを任せ、リリーたちは再び薬草園の仕事に戻って行く。
エディは〝貴族の中で熱病に苦しむ12歳以下の子どもに万能薬草と看護係を向かわせる〟とのお触れを出した。試しにまずは三名限定としたが、定額ではなく入札方式を取ったので競争は激化した。その結果、有力貴族の三人の子どもがその権利をかなりの高額で落札した。そこにはリリーを含む看護係の一団が派遣されることになった。
ナワ・カラバルの雄が言う。
『薬師聖女が王太子の病も治したんだってね?』
水やりをしていたリリーは、驚きに目を剥いた。
「まさか……私だけの力では無理よ」
『そういう噂が国内で広がっているし、そう新聞が書き立てているらしいぞ。彼女に任せれば熱病は消えると』
「全部あなたたちのご親戚のお陰じゃないの?」
『へへ。騙されててくれればいいよ。リリーがいることによって、進められることが格段に増えてこっちは大助かりだよ』
リリーは雌のナワ・カラバルを見る。花は散り、どうやら実がいくつかつきそうだ。
薬草園にエディが入って来る。
「予定が立ったぞ。明日、早速看護団をスティール家に向かわせよう。一番高値で万能薬草の権利を競り落とした公爵家だ」
「患者の病状は?」
「重篤で、すでにかなりやせ細っているらしい」
「明日と言わず、今すぐにでも向かうべきだわ。患者は私たちが思う以上に心細いのだから」
エディは叱られた子どものように肩をすくめた。
「うーん、そうか……」
「ひとまず身軽な私だけでも行くわ。看護団の皆様は明日に」
「悪いねリリー」
「ううん。〝薬師聖女〟とか呼ばれている私が行くことに、意味があるような気がするから」
リリーは新聞に書かれた薬師聖女という虚構の姿を、むしろ有効活用しようとしている。エディは微笑んだ。
「リリーは人に求められると輝くよな」
「私に限らないわ、きっとみんなそうよ」
「少しでも疲れたら戻って来るんだぞ。医者の不養生にならないように」
「分かった。じゃあ、苗はそっちに任せるね。私、行って来る」
リリーは薬品庫から万能薬草を一枚持って行くと、荷物をまとめて馬車に飛び乗った。
久しぶりに、王都へと出る。
その公爵家は街の中にあった。夕暮れ時のお屋敷にリリーは馬車で乗りつける。
本当は明日に行く約束だったので、リリーは「もし断られたら別の宿にでも泊まろう」と楽観的に考えていた。
王立薬草園から連れて来た執事と共にノックをすると、扉が開かれる。
「失礼致します。あなたは……?」
「初めまして。私は薬師聖女のリリーです。スティール家のお嬢様が重篤とお聞きしましたので、なるべく早い方が良いかと思い、予定より早く治療をと馳せ参じました」
「かしこまりました。王立薬草園の執事は存じ上げておりますので、どうぞお入りください」
どうやら執事同士は知り合いらしい。リリーはスティール家に足を踏み入れた。