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52.かわいそうな男

 リリーは再び牢にいるマリーの元へ走ると、格子越しに声をかけた。


「マリー様!どうか病室までいらして下さい……ヒューゴ様が呼んでいらっしゃいます!」


 しかしマリーは、面倒そうな視線をリリーに投げかけただけだった。


「うるさいわね。帰って」

「あの……本当に、このまま放っておけばあの人は死んでしまうかもしれなんです。お願いです。ヒューゴ様は意識が遠のく中でも、マリー様を求めていらっしゃるんです」

「ただの病人のうわごとでしょ?」


 リリーは、座っているマリーの爪先から頭までをうらめしく眺めた。


「あなたは……」


 リリーは泣きたかったが、声を振り絞った。


「一瞬でも、ヒューゴ様を慕ったことはないのですか?あんなに仲良さそうにしていたのに……?」


 マリーはふいと顔を隠すようにそっぽを向くと


「そういう演技をしていただけよ」


とうそぶいたが、リリーは構わず続けた。


「あなたにとっては、全てが演技だったかもしれません。けれどその演技に慰められたヒューゴ様がいて、いまわの際にあなたを求めている。それって演技だとしても、お互いの何かが通じ合っていたからでは──」

「早く帰ってよ」

「本当に心のない演技だったら、ヒューゴ様は死に際にあなたを求めないはずなんです。最後の力を振り絞って呼んだりしない。あの人はそんなに馬鹿ではないはずです。マリー様もそれは分かっているはず」

「うるさいわね……」

「最後までヒューゴ様があなたを諦めきれないのは、きっとあなたから、何かを受け取ったからなんです」


 マリーは黙っている。


 リリーは少し空気が変わって来たように思い、更に問う。


「では、こう言い換えましょう。ヒューゴ様を〝かわいそう〟だと思ったことは……?」


 一瞬、マリーがびくりと体を震わせた。リリーはそれを見逃さず、たたみかけた。


「少しでもそう思うのでしたら、兵士を付けますので出て来ていただけないでしょうか」

「……」

「あなたの名を呼びながら死んで行く人のところへ」

「……」

「最後に、情をかけてあげてください。演技でもいいので」


 マリーはしばらくじっと考え込んでいたが、ふとこちらに顔をさし向けた。


 その表情には少し気まずさと、リリーへの畏怖が漂っている。


「リリー、あなた……何かとんでもないものを見た経験でもあるのかしら」

「以前勤めていた修道院に病院もありましたので、様々な患者を看て来ました。死に際も、何度も」

「……そう」

「演技をするなら、最後までなさってください。騙すなら最後まで騙し通していただけませんか?」


 すると。


 マリーはふらりと立ち上がった。そして、王太子妃らしい優雅な姿勢を作ってこちらに歩み寄って来る。


「……私、何をすればいいの?」


 リリーはそれで、パッと表情が晴れ渡った。


「万能薬草をヒューゴ様に飲ませていただきたいんです。そうすればきっと助かります!」

「……勘違いしないでよ」

「……はい?」

「ヒューゴを助けて、王になった暁には恩赦してもらうのよ。そのために助けるんだから、勘違いなさらないでね」

「は、はぁ……」

「私はあの人を心から愛することはない。私の親戚を何人も殺した国の王子なのだから、敵なのよ。基本的には」

「……」

「でも、ま……ちょっとかわいそうだから行ってあげるわ」


 兵士が静かに牢を開ける。周囲を兵士に取り囲まれながら、マリーは静かに牢の階段を上がって行った。


 リリーはその背中を追いかけながら複雑な思いが胸を染め、目をこすった。




 病室は騒がしくなって来ていた。


「ヒューゴ様、返事をなさって!」

「こんなに早く容態が悪化するなんて……」

「これでは万能薬草を飲んだところで、もう──」


 看護係が手を尽くし、王太子の上がり過ぎた熱を下げようと奮闘している。


 そこに、兵士の一群がやって来た。


 その兵士たちの間から、優雅にひとりの王太子妃が現れる。


 マリーだった。


 看護係は驚きながらも、そこに一筋の光明を見つけてヒューゴのベッドから遠ざかった。


「ヒューゴ」


 マリーはいつもの様子で、そう話しかける。


 すると、閉じていたヒューゴの目がうっすらと開いた。


「……マリー」

「あなたの体が危ないって聞いたから、牢を出して貰って見に来たわ。ねえ、お願いだからお薬を飲んでくださらない?」


 ヒューゴは静かに妻を見上げると、


「もう、君には騙されない」


などと言う。マリーはその言葉を受け少しひるんだが、静かに頷いた。


「そうね、私はあなたを欺いたわ。でも……騙されたついでと思って、あれを飲んでみなさいよ」

「……」

「騙されてるのに気づいていたくせに、私の名を呼んだのでしょう?」

「……」

「私、知ってるの。本当は騙されたがりなのよ、あなたは」


 リリーは兵士に紛れ、静かにその会話を聞いていた。


 その夫婦にしか出来ない軽妙な慣れた会話がそこにあり、彼らにしか分からない関係が横たわっている。


 看護係のひとりが、万能薬草の粉末を持って来た。


 マリーが粉末を真四角の紙に取り、それを対角線で折るとヒューゴの口元に持って行く。


 ヒューゴは少しためらったが、マリーの眼差しに何かを感じたらしく、そっと口を開けた。


 さらさらと音がして、粉末が全て注がれる──


 マリーは静かにヒューゴの手を握る。すると彼の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「……かわいそうなひと」


 マリーの呟きに、その場にいた全員が息を呑んだ。


「かわいそうでかわいそうで……だから、騙したの。騙されたと分かっててくれてたみたいで、私も安心したわ。カワイソウな王太子妃も、重圧に苦しむ王太子も、全て幻よ。安心して眠りなさい……ね?」


 リリーは静かにその光景に見入った。そして自分がエディに抱き締められた時の幸せな感触をふと思い出し、ヒューゴがマリーに騙されたがったというのは、あながち間違っていないのだと思ったりした。

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 第三回アース・スターノベル審査員賞受賞作品
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