46.待ちに待った受粉
次の日の朝。
リリーはエディに抱き締められて目を覚ました。布団が、いつもより重く温かい。
昨日の夜は、ずっとエディに抱き締められたまま眠ったのだ。安眠は出来なかったけれど、恋人に甘え続けた心地よい気だるさがリリーにのしかかっていた。
「朝になっちゃったのね……。もう、エディったら、私が眠ったら夜の内に部屋に戻ってって言ったのに……。使用人の皆さんに見られないようにそっちの部屋に帰るのよ。分かった?」
リリーに文句を言われるとエディはうっすら目を開けたが、再び眠った。リリーが布団を引っぺがすと、エディはようやく頭を掻きながら起き上り、ふらふらと自室に戻って行った。
リリーたちは朝食後、早速薬草園に置いて来た雌雄の万能薬草の元へ向かった。
『わー!リリーだわ!』
『早く受粉させてくれ、早く!』
植物自ら受粉をせがむとは。エディが見つめているし、朝のこともあり、直接的な表現過ぎてリリーは少し恥ずかしくなった。
リリーは万能薬草にひそひそと話す。
「あんまり受粉受粉言わないで。万能薬草を飲んでいる人なら誰でもあなたたちの声を聞けるんでしょう?」
『いや、それはないよ。俺たちはね、選んで音波を飛ばしてるんだ。要は君たちは万能薬草を飲んだことにより受信機能は持っているけれど、どの受信媒体に音波を飛ばすかはこっちが決めることだから』
「ふーん。じゃあこの声は他の人には聞こえていないのね?」
『当たり前だろ。全世界に全ての会話を聞かれたいッ……なんて奇特なマゾがどこにいるってんだよ』
言われてみれば確かにそうだ。リリーは、万能薬草についてまだまだ知らないことが多過ぎる、と思う。
脳内に響くこの声は、周囲には聞こえていない。周りの従業員たちはいつもと変わらず立ち働いている。とても不思議だが、囁き合っていると考えれば大したことでもないだろう。
リリーは乾いた筆を持って来ると、雄の花粉を雌の花芯に移した。急に万能薬草たちは静かになって、何かを受け入れるように佇んでいた。
発信を止めたのか、受信を打ち切られたのかはこちらからは知る由もない。
その間に、エディは植物の観察記録を書き留めている。リリーは鉢植えに追肥する。
しばらくすると、万能薬草の雌が言った。
『あとは、時間が流れるのを待つのみよ。ねえ、リリー。実を付けたら、絶対にその種をひとつでも土に植えて欲しいの。薬効とかを調べたいのは分かるけど……私たちは増えたいのよ』
子孫を残したいのは人間も同じだ。リリーは頷いた。
「分かったわ、約束する」
『実は食べてもいいわよ。種だけは……お願いね』
それ以降、万能薬草は黙った。
万能薬草の樹皮は、全て王立薬草園内で管理することとなった。
トリス大臣が帳簿を持って、薬草園事務室にいるリリーとエディの元にやって来る。
「陛下に使用した樹皮は十日間で二枚でした。大体、この樹皮二枚で大人ひとりを治療出来る量であると推定します」
「なるほど……となると、レミントンと分けてしまったから手元にあるのは30枚か」
「およそ15人助けられます」
「待て。子どもなら一枚だけで済む」
リリーは二人の会話を聞いて、頷いた。
「子どもから優先的に治療しましょう。その方が多く助けられるわ」
「ヤルミルは、あとどれくらいくれるんだろう?」
「また万能薬草を通して聞いてみた方がいいわね。レミントンに半分渡ってしまったことも説明しなければならないし」
トリスは言った。
「カラバル国とは国交を結んでおりません。正式なルートを確保するには、国交を樹立するべくヤルミル様にお越しいただいた方が今後何かと都合がよいかと」
リリーは困った。あそこは国交を結べるような国なのだろうか。カラバル国は平民から首長まで全員ほぼ半裸で生活しているし、こちらと文化が違い過ぎる。ランドールから行く分には構わないが、来させるには色々と不安過ぎた。
「……連絡するしかないわね」
「?お手紙を出すのですか?」
「花とお話し……あ、何でもない。気にしないで」
トリスは何事か考える。
「万能薬草を、今後どのように使うか、という話の続きですが……」
「そうね。まずはこの国の、熱病を患っている人に使ってあげたいの。最初にお金のある貴族をこの薬草で治療して、現金化する。それを元手に、平民を治療する病院を建てたいのよ。国民の病が治れば、色んなことが底上げされるでしょう。兵も強くなる、働けなくて困っている人が減って税収も上がる、子どもが長生きしてみんなが幸せになる」
「なるほど……」
「それが、私たちの考える万能薬草の使い道なの」
ね、とリリーが促すと、エディも頷いた。
トリスはじっとリリーを見つめると、
「最近の王室は、評判を下げに下げておりましたからね」
などと言って少し笑う。エディが気まずそうに苦笑いした。
「……国民からの信頼を回復する、起死回生の一手なんだ。純粋な夢を追っているリリーには悪いけど……まだ王宮内はごたごたしているし」
「マリー様が捕らえられたこと、聞き及んでおります」
「あれからヒューゴとは会っていないが、どうしているんだ?」
「ヒューゴ様はかなり疲れておいでです。いくつかの公務を、陛下に代わって貰ったとのこと」
「なっ……それはかなり疲れていそうだな」
「ヒューゴ様は、マリー様を愛しておいででした。その分、苦しんでいらっしゃるのだと思われます」
それを聞き、エディとリリーは思うところがあり少し黙った。が、トリスはあっけらかんと言う。
「恐らくですが、王太子夫妻にお世継ぎは望めそうにありません。ですから──」
リリーとエディは、更に深く黙った。トリスは力強く宣言する。
「私も協力致します。万能薬草の力で国を救いましょう」
リリーは思う。
(みんな、万能薬草に随分願望を乗せ過ぎてるな……)
当初はエディの父を治療する、というだけの目的で持ち帰ったはずなのだ。いつの間にか、かの薬草は国をも動かす強大な力を得てしまった。
(私自身も、ずっと〝万能薬草を持って来られる人〟として扱われるんだろうな)
リリーは、様々な重圧が自身の背にのしかかってくるかのように思えた。
その時だった。
『リリー。ヤルミルから伝言よ!』
万能薬草の雌が、リリーの脳内に直接そんなことを伝えて来た。
『今月七日に、ランドールに着くって。港まで来てね、だってー!』
「えっ!?」
リリーは思わず声が出る。エディは彼らの声が聞こえていたのか、少し眉間に皺を寄せる。トリスは何も聞こえないのでただただキョトンとしていた。




