42.シェンブロ家の崩壊
エディはアレクシスの抱くリリーと目が合った。その瞬間、彼は近くにあった包丁を一直線に投げ、ドアノブを回そうとするオーガストの手のひらを射抜いた。オーガストは包丁の刺さった己の手を見て悲鳴を上げる。
その声にアレクシスがひるんだ隙に、エディは剣を抜き彼に飛びかかった。
彼が口を開け何か言おうとした刹那、エディはアレクシスを剣で打ちつけ、リリーごと床になぎ倒す。
手首を縛られたリリーが芋虫のように這い出たのを確認してから、エディは剣の柄でアレクシスの横面を殴りつけた。
あっという間の逆転劇だった。
エディが無言でめちゃくちゃに殴りつけると、アレクシスは失神して泡を吹いた。それでようやくエディは我に返ると、肩で息をしながら立ち上がり、リリーの元へ歩いて行く。
彼女の手首の縄を斬り、猿轡を外してやる。身体の自由を取り戻したリリーは、エディの胸に飛び込んだ。
「エディ……!エディ……!」
「無事か?リリー……」
エディは安心させるように、彼女の背中を撫でてやる。リリーは彼の腕の中で、静かに鼻をすすった。
その時、手から流れ出る血を押さえ、オーガストがそろりと立ち上がった。エディはリリーを背中に隠すと、剣の切っ先をオーガストに向ける。
膠着状態の二人を見ると、リリーは這って行ってアレクシスのポケットから婚姻契約書を回収した。その間にも、エディはじりじりと公爵家当主に詰め寄る。
「お、お前は一体何者だ……!」
「ランドール国第四王子のエディだ。レミントン国王ナサニエル様から、オーガストとアレクシスを拘束せよとの命を仰せつかっている」
「なっ……!私は何も……」
「とぼけるな、国家転覆罪だ。万能薬草を法外な金額で敵国に売り渡そうとしていただろう?」
オーガストは真っ青になった。まさかこんなにも早く、秘密が流出するとは思ってもみなかったらしい。
「そんな馬鹿な……」
「お前も息子のようにされたくなければ、無駄な抵抗はよせ」
リリーは台所の奥から荒縄を発見すると、お返しとばかりに失神したアレクシスを縛り上げる。ついでに足も縛った。
「おい、リリー。そいつも同じように縛れ」
オーガストはわなわなと怒りに震えていたが、親子共々攻撃をくらってエディの強さは充分に理解していたので、余計な抵抗はしなかった。
リリーは大人しくなったオーガストの腕にぐるぐると縄を巻いて行く。
この「なかなか外せない縄の結び方」も、シェンブロ公爵領内の図書館で学んだことだ。
公爵家の二人を縛り上げた、その時だった。
エディを追って、ランドールの兵士がぞろぞろと走り込んで来たのだ。
リリーははだけた胸元を押さえながら、恥じらってエディの背に隠れる。
エディは彼らに指示を出した。
「容疑者を縛っておいた。彼らをレミントン軍に引き渡すように」
「はっ」
「書類を回収した兵士もレミントン軍に加われ。万能薬草の回収は済んだのか?」
「現在捜索中であります」
「ん?まだ見つかっていないのか……」
すると、背中にいた万能薬草の雌が言った。
『私知ってるわ。あそこの薬草たちに教えてもらったの。万能薬草は、薬草園の中にある薬品庫の中にあるわよ』
エディは頷いた。
「万能薬草は薬草園の薬品庫に隠されている。入念に探せ」
オーガストは秘匿情報が次々に暴かれ、驚きに声も出せない。
公爵家の二人は兵士らによって運び出され、リリーはエディの背中越しに彼らを見送った。
エディはリリーに向き直る。リリーは必死に胸元のボタンを首まで止めているところだった。
「あの……ちょっと、見ないで……」
「リリー。アレクシスに何をされたんだ?」
「べ、別に何も……」
リリーは赤くなり、泣き出しそうになっている。エディはそれを見て色んなどろどろとした感情が渦巻いたが、心の赴くままにリリーを抱き締めた。
「……君が無事でいてくれてよかった」
エディがそう囁くと、ようやくリリーはボタンを留め終え、笑顔をのぞかせた。
エディも微笑むと、鼓舞するようにリリーの肩を抱く。
「約束通り、迎えに来た。帰ろう、リリー」
「……うん」
「万能薬草の重要性が増すたび、君の重要性も増す。きっともう、ランドールに君を侮る奴はいないよ」
リリーはようやくほっとして頷くと、次第に意識が遠のいて行った。エディは慌てて彼女の肩を支える。
「!どうした?リリー……」
万能薬草の雄が言う。
『……寝ちゃったね。よほど疲れたらしい』
「リリーは……何をされたんだろう」
万能薬草たちは、それについては答えなかった。沈黙の中、エディは子供にしてやるようにリリーを横抱きにして抱き上げた。
「ごめん。俺のせいだ。俺がいい加減なことをしたばっかりに……君に辛い思いをさせた」
エディは眠りこけるリリーの額に、贖罪のキスをする。
「……帰ろう、馬車を用意させてある」
エディが外へ出ると、すっかり公爵領は戦乱の場と化していた。
アレクシス達がまだ城内にいると思い込んでいるレミントン軍が、業を煮やして城に投石機で投石を繰り返し、城が崩れて行く。更に彼らは万能薬草を狙って侵入したシェンブロ小隊とぶつかり合い、上へ下への大捕物を繰り広げている。薬草園は踏み荒らされ、見る影もない。逃げ惑う修道女たちが、駆け足で修道院へ逃げ去って行く。
エディはその惨状を眺めながら、急に虚しさを覚え始めた。
「万能薬草は病気を治す草であって、金銀財宝とは違うんだけどな……」
周囲の騒ぎが耳に障ったのか、リリーは目を覚ました。
「エディ……」
「起きたか、リリー」
リリーは崩れ行くシェンブロ薬草園を見つめた。
レミントン軍が、ほくほく顔で万能薬草を奪っていく。ヤルミルが託した薬草の半分が、あちら側に渡ってしまうのだ。
「あれは……」
「リリー、聞いてくれ。シェンブロ公爵家の万能薬草はレミントン国が接収する。敵国に秘密裏に売り渡され、各国のパワーバランスが崩れるのを防ぐためだ」
リリーは助け出された高揚感より、万能薬草が招いた惨状への恐怖感の方が上回って肝を冷やした。
「最悪の状況は免れた……はずなんだ」
確かにアレクシス及びシェンブロ家は、リリーにとって潰してやりたいほど憎かったことは否めない。だが彼らが万能薬草を手に入れたことで、こんな風に彼らの土地が蹂躙されることなるとは予想外だった。万能薬草の獲得が、シェンブロ家に最悪の結末を招いたのだ。
二人は馬車へと乗り込み、戦乱に巻き込まれないようレミントン王宮に向けて走り出す。
足元で、雌雄の万能薬草がゴトゴトと揺れている。
「私たち、とんでもないものを持って来てしまったのね……」
リリーの呟きに、エディも頷いた。
「あれが金になるとなった途端、ちょっと各国がおかしくなって行ったよな」
「万能薬草は、お薬よ。換金アイテムじゃないわ」
「……そうだよな。俺だって元はと言えば、父を救いたくてこれを取りに行ったんだ。本来の使い方はそういうものなのに、何だかおかしなことになって来たな……」
リリーは釈然としない瞳で、馬車の窓から崩れ行くシェンブロ家を見つめた。




