41.強制結婚式
一方その頃、シェンブロ邸のリリーはアレクシスの書斎に連れ込まれていた。
万能薬草と離され、リリーは心細さにガタガタと震えている。
リリーはアレクシスとオーガストの前に座らされた。周囲を公爵が雇ったとみられる兵士が取り囲み、事の成り行きを見守っている。一体、何が始まると言うのだろうか。
オーガストはある紙をリリーに差し出した。
婚姻契約書。
それを見ると、驚いたことに実父レイノス伯爵の署名が既に書き込まれてあった。
「君の父上から了承は取ったよ」
アレクシスの口から、恐ろしいことが語られる。
「私と父のサインもここにある。あとはここに君が署名すれば、婚姻が成立する」
リリーは恐怖に叫び出したかった。逃げようと体をひねったその時──
首に、冷たいものが押し当てられた。
レイピアの切っ先が二本だ。二人の兵士が、同時にリリーの首を狙ったのである。
「断わればどうなるか……分かってるね?」
リリーはぼろぼろと涙をこぼした。アレクシスのサインの隣に、自分のサインなど書きたくない。どんな手を使っても、この男に屈したくはなかった。
業を煮やしたアレクシスが言う。
「強情な娘だ。仕方がない……」
彼は兵士のひとりに目配せをした。兵士が何のためらいも見せず、書類に〝リリー〟のサインをする。リリーは真っ青になった。
「はっ……?え?」
「サインしないらしいから、これで契約は成立だ」
「そんな馬鹿な……!」
「リリーを抵抗できないようにしろ」
「!」
アレクシスは立ち上がると、リリーの口の中に布を詰め込んだ。兵士たちが手際よくリリーに猿轡を噛ませ、その手首を縛った。
「よし、皆この部屋から出払え。これにて我々は晴れて夫婦となった」
「──!!」
オーガスト含め、兵士たちがぞろぞろと出て行く。アレクシスはじたばた抵抗するリリーを抱き上げると、ベッドの上に放り投げた。
「んぐっ」
「やっと夫婦になれたね。あとは傷物にすれば、君にはもう行き場がない」
「──────!!」
リリーは声にならない絶叫を上げた。足をじたばたさせるが、全体重をかけてアレクシスに組み敷かれてしまう。
「んー!」
「何を嫌がることがある?これで晴れて公爵夫人だぞ」
「んぐぐぐぐ」
「抵抗するだけ無駄だ。もう、誰も来ないよ」
リリーは涙を流した。アレクシスはそういうものに全く動じないらしく、淡々とリリーの胸元のボタンを外して行く。
「ふ……」
最低最悪の男からの蛮行にリリーが憤死しそうになった、その時だった。
パリン。
窓から、一本の矢が飛んで来て床に突き刺さったのだ。
リリーはその音で、遠ざかろうとする自分の精神を引き戻した。
アレクシスも、少女の服をめくろうとしていた指を止める。
「ん?」
彼が窓に振り向いた、次の瞬間。
雨のような矢が窓に向かって降り注いだ。ガラスというガラスが雹のように散り、ありとあらゆる壁面に矢が突き刺さる。
リリーも、飛んで来た矢に髪を何カ所か射られた。こわごわ触ってみると、耳から少し出血している。
「な、何事だ……!?」
扉が外側からドコドコと叩かれる。
「敵襲ー!!」
アレクシスの顔が真っ青になった。
「敵襲、だと……?一体なぜ……」
遠くからオーガストの声が飛ぶ。
「早く出ろ!死ぬぞ!!」
更にもう一度、矢の雨が抵抗力を失った窓から直線的に室内に降り注ぐ。アレクシスはそれで察した。
「書斎が狙われている……!?」
アレクシスは、胸元がはだけたままのリリーをひょいと抱き上げ、肩に乗せる。そして婚姻契約書を掴むと、荒々しく懐に入れた。
「逃げよう、妻よ」
「んー!」
リリーは憤怒の表情でとにかく暴れた。しかし男の力には敵わず、抱き上げられたまま進む。
アレクシスは廊下で待っていたオーガストと落ち合った。
「何が起きているのか分からないが……戦争か?」
「まさか、万能薬草が狙いか……」
「その可能性は大だ。父上、どこへ逃げたらいい?」
「こんな時のために、地下室がある。そこへ避難するぞ!」
その頃、エディたちは矢を放っている公国の小隊に突撃し、敵の馬を散らせていた。
攻撃は止み、慌てた公国軍は統率の取れない様子で散り散りになる。それでエディは、彼らの目的が「攻撃」でないことを悟った。
「ふん、やはり攪乱が狙いか……」
サイラスが言う。
「エディ、窓が開いたぞ」
上を見れば、確かに窓が粉砕されている。どうやら書斎であることが見て取れる。
「レミントンの建築様式で行くと、あそこが主人の部屋なのは明白だ。きっとあそこに重要書類が隠されているぞ」
「よし、行ってみよう」
エディは鉤縄を投げた。桟に引っかかり、エディはそこからよじ登る。
「あと五人、兵を寄越すよ」
「ありがとうサイラス」
「書類漁りはエディに任せるぜ。俺たちは公国軍をやっつけに行く」
ロープの向こう側には、もぬけの殻になった書斎が広がっていた。
手近な引き出しを開けると、様々な書類が整然と、ぎっしり詰まっている。
「……全部チェックするわけにも行かないな。まずは持ち帰るか」
続いてやって来た兵士たちが、用意していた袋の中にどさどさと紙の束を投げ入れて行く。
エディはそれを手で掻き分け、ある紙束を見つけた。
「お。雇用契約書……」
修道女たちの雇用契約書の束があった。それを必死にめくり続け、エディは見つけた。
リリーの契約書だ。
エディは懐にそれを畳んでしまい込むと、周囲を見回した。
背負っている万能薬草の雄が、急に声を発する。
『もう一本の万能薬草が、この部屋を左に出た先の、廊下の奥の部屋にいるよ!』
エディはそれを聞き、連れの兵士に言う。
「書類を全て回収しろ。私はこれから修道女リリーの救助に向かう」
「かしこまりました」
エディは部屋を出て左右に頭を振った。
「リリーはどこにいる?」
『それが俺には分からないんだ。あの万能薬草なら知ってるんじゃないか?』
廊下には誰もいない。エディが奇妙に思いながら言われた方向に走ると、鉄格子の小窓がある部屋に行き着いた。
『いた!』
薄暗い石壁の小さな部屋の中の鉢植えに、万能薬草の雌がぽつねんと生えている。
『わー!エディだあああああ!』
万能薬草の雌の声が脳内に響き渡る。エディはその鉢植えを麻袋の中に突っ込むと、再び背負う。
「よし、苗の回収に成功した。リリーはどこだ!?」
『リリーは書斎に連れて行かれたわ!無理矢理アレクシスと結婚させられちゃうらしいのよ!』
エディは静かにそれを聞き、ぽつりと呟いた。
「……殺す」
『きゃー、エディ怖い!』
「だが、二人とも書斎にはいなかったぞ。どこへ向かった?」
万能薬草の雌は言った。
『私、聞いたのよ。地下室に行くって言ってたわ!』
「どこから入れる?」
『台所の先よ。繁みの中に蓋があるはずなの』
エディは部屋を出ると、さらにその先の階段を駆け下りて行く。
台所を発見し、転がるように中へ入ると──
台所の勝手口を今まさに開けようとしているオーガストと、リリーを抱きかかえたアレクシスの姿がそこにあった。