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4.契約成立

 ケガ人全てを看て回る頃には、一日が終っていた。


 夕闇迫る船内の食堂で、リリーはホッと一息ついた。金を払わずとも食事がやって来るので、その点は素晴らしい。


 二等船室内には、何せトイレと洗面所がある。それだけで格段にリリーの船の旅は向上した。


 リリーはパンと果物を交互に食しながら、自身の未来を考えあぐねていた。今までの知識を活用出来る働き口がどこかにないだろうか。


 じっと考え、閃いた。先ほど看たエディとやら、随分羽振りの良さそうな貴族だったではないか。言葉も通じていたし、きっとこの周辺国の出身に違いない。


(彼にお願いすれば、どこか働き口を紹介してくれるかもしれない……)


 これはなかなかに名案だと思った。


 エディは疲れているから、しばらく傷が塞がるまで動けないだろう。


 ……などと考えていたら急に目の前にエディがすとんと座って来たので、リリーはびっくりした。


「あっ……!エディさん」

「さっきはありがとう、リリー」

「寝てなくていいの?」

「ちょっと……心がざわざわして落ち着かないから、人の多いところにいたくて」

「そうでしたか……」


 確かに、仲間に攻撃されて船室にひとりぼっちは心もとないだろう。


「エディさんはどちらのご出身なの?」


 場を和ませようとそう切り出したリリーに対し、エディの態度が少し硬化した。


「それは言えない」


 リリーは冷や汗をかいた。そうだ、彼はきっと仲間に裏切られたばかりだから、誰であろうと基本的には警戒の対象なのだ。リリーは最大限配慮して言葉を紡いだ。


「そう……そうね。申し訳ありません」

「いや、いいんだ。こっちだって今は怪我を言い訳に、君の親切心にすがって癒されようとしているわけだから」


 リリーは妙に素直なエディの胸の内を聞いて、彼のエメラルドの双眸を見つめる。


 どうやらすがられているらしい。


「船員から聞いたよ。今日、君は一日中患者を看ていたんだろう?」

「大したことはしていません」

「怪我人にとってどんなに看護人が輝いて見えるか、リリーには分からないようだな。君は今、この船の聖女だよ。君が乗っていなかったら、皆不安に押し潰されてあの後船内は大混乱していただろう」


 聖女と言われて、リリーは何だか恥ずかしくなった。しかしこの一件で、船内の男たちの視線の帯びる色が明らかに好奇から崇拝に変わったのは確かだった。


「ところで……リリーこそ一体、どこに行こうとしているんだ?」


 リリーは「来た」と思った。


「実は私、行く当てがないのです」


 それを聞いて、エディは目を丸くした。


「え!?当てがないって……まさか逃亡でもしているのか?」

「いいえ。修道院を追い出されたのです」

「何をやって……?」

「身分が低いのに身分の高い修道女と対等に働いたから疎まれたのです。そしてその修道院を経営する次期公爵様に色目を使っていると噂を立てられ、現公爵様から邪魔者だと追放されました」

「そんな……信じられない」

「私も信じられません。けれど、確かに私の心が驕っていた部分もありましたので、致し方ないかと」


 エディは憤慨しながらパンを齧った。


「本当、この世は不公平だよな!俺が言うことじゃないかもしれないけどさ……」


 リリーも、パンと共にその言葉を噛みしめる。


「心の中は驕っていたとしても、リリーの今日の行いは崇高だった。少なくとも、俺はそう思う!」


 エディの発した言葉に周囲から「よっ!」と合いの手が入り、笑い声がこだまする。


「う、うるさいなー、もう……」


 エディは真っ赤になって首をすくめた。リリーはクスクスと笑う。それを見て彼も笑った。


「……あ、リリーが笑った」


 リリーも赤くなり、慌てて口元を押さえる。その様子を、エディはどこか温かい眼差しで眺める。


「ところで、リリーを追い出したのはどこの修道院?」

「それは言えません。噂が広まれば、雇い主からの報復があるかもしれませんので」

「うーん、そうかぁ。じゃあその修道院で君がしていた仕事って、どんなこと?」

「薬草園の管理です」


 それを聞いて、エディは得心したように頷いた。


「ああ、だからか。リリーから、肥料とハーブの香りがしていたのは」


 リリーは驚く。


「え?私からそんな匂いが……?」

「実は俺も薬草園に勤務しているから、すぐに分かった」


 こんな僥倖があっただろうか。


 渡りに船。


 リリーは尾っぽを振りそうになるのをぐっとこらえ、平静を保って微笑んだ。


「まあ……薬草園で。そうでしたの……」

「なあ、リリー。もし行く当てがないって言うなら……」


 リリーは再び「来た!」と思う。


「暗黒大陸までついて来る気はないか?」


 リリーは固まった。


「……は?」

「さっきも話しただろう。俺は暗黒大陸に生えているという〝万能薬草〟を探してる。父の熱病を治さなくてはならないんだ。君には薬草の知識があるし、男に立ち向かう度胸もあるし、先程の仕事ぶりも素晴らしかった。是非、万能薬草を探し出す助手として力を貸して欲しいんだ」


 リリーは困った。例の万能薬草をあげたいところだが、ここで出したところで、ただの嘘つきか怪しい奴だと思われるに違いない。特に偽物だった場合、リリーの昨日今日で積み上げた信用は地に落ちるだろう。更に誘いに乗って暗黒大陸に足を踏み入れたら、最悪現地の未知の病気にかかって死んでしまうかもしれない。


 どの選択も危険だ。断ろう……とリリーが考えた、その時だった。


「もし君の助力で〝万能薬草〟が手に入った暁には、ランドール国の王立薬草園に君を推薦しよう」


 エディはそう言ってにっこりと笑った。え?とリリーの口が動いたのを見計らい、エディは更に畳みかける。


「君が本当に修道院の薬草園で働いていたと言うのなら、この封蝋を知らぬはずはあるまい?」


 エディが皮手袋を取ったその人差し指には、封蝋用の紋章が掘られた金の指輪が光っていた。


 それはリリーが何度か目にした、百合に鷲の紋章。確実に、隣国ランドールの王立薬草園の紋章であった。


 ランドール王国は、リリーのいたレミントン国の西に位置する。ランドール国のセドリック王には王子が四人もおり、後継者にも恵まれ軍事力・経済力共に盤石。世界が今最も羨む大国だった。


「この封蝋用指輪を持っているのは、王立薬草園研究者の中でも高位の研究者だけだ。俺の助手として活躍したと伝えれば、かなり高い確率で王立薬草園の公務員になれるんじゃないかな」


 その時、ふいにリリーの頭に亡き母の薬草事典が浮かんだ。


(もしあれに挟まっている木の皮が本当に〝万能薬草〟だとすれば──)


 ここはいちかばちか、賭けてみるべきではないだろうか。暗黒大陸で病気になったら、こっそりあれを飲んでみればいい。偽物であったとしたら──人間いつかは死ぬとあきらめるしかない。それに別の街に行ったからと言って確実に生活出来るという保証もないのだ。


 それに、目の前のこの男。


 悪い人間ではなさそうだ。境遇にも通じ合える部分がある。


「本当に?」

「ああ」

「約束してくれますか?」

「もちろん。ついて来てくれるなら、この紋章の指輪を君に人質として託すよ。推薦に落ちたらあげるし、推薦に合格したら返してもらおう」


 これは取引だ。リリーは貴金属の保険があるというのが決め手となって、承諾した。


「分かりました。私、あなたについて暗黒大陸へ向かいます」


 エディが小さく「やった!」と言って、手袋を外した手を差し伸べて来る。


 リリーは少し戸惑ったが、彼の笑顔に吸い込まれるように、そっとその手を握り返した。

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 第三回アース・スターノベル審査員賞受賞作品
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