39.疑惑
エディは小隊を従え、着実にレミントン国境へ向かっていた。そのための正式な手続きを踏み、通行手形も全てそろえてある。更に、レミントン国と万能薬草条約の締結も目指す。そのための資料も、全て完了していた。
全ての手続きが滞りなく進んだのは、セドリックが再び王座に就いたからであった。ヒューゴが王代理の座を退いたので周辺を調査したところ、やはり様々な情報が漏れた形跡があった。重要書類の収めてある鍵は一時的に変えられていたし、少額ではあるが金を出し入れした形跡もあったのだ。
その全てが、ヒューゴの与り知らぬところで行われていたようだ。
(あまり考えたくはないが、公国の軍隊を動かしたのはマリーなのかな……)
エディは暗澹たる気持ちになったが、今はリリー救出に集中したいところだ。今更そんなことをぐちぐち言っていられない。
その頃、セドリックは自室にヒューゴを呼び出し、緊急に極秘会議を開いていた。証拠を突き止めた調査票をヒューゴの目の前にずいと差し出して見せる。
「ヒューゴ。お前の目をかいくぐってここまでの悪事が出来る者が一体誰なのかは、見当がついているな?」
ヒューゴはそれらに目を通すと、沈み込むように黙った。セドリックは浅く息を吐く。
「マリーを離宮に軟禁し、監視役をつける」
ヒューゴは書類で顔を隠したまま、静かに聞いている。
「お前には悪いが、現状こうするしかないのだ。かつての敵国の王太子妃がスパイであるなどと民衆にまで知れ渡ったら、何が起こるか分からない。お前の立場も危うい。理解してくれるな?」
ヒューゴは書類をテーブルに投げると、ぽつりと言葉を落とした。
「陛下。……次期国王の座は、エディに譲るおつもりですか?」
セドリックは言葉に詰まった。今この流れでそのような大事なことをハッキリと言ってしまうのは非常に良くない、と王の長年培った直感が告げている。
王は言った。
「それについては何とも言えない。マリーの疑惑が晴れない限りはな」
「……」
ヒューゴの顔が少し青くなる。セドリックは更に取りなした。
「私はお前を王太子として目をかけ、誰よりも厳しく教育して来たつもりだ。万能薬草を見つけて来た方に王位を譲ると言ったのはお前を引きずり下ろすために言ったのではなく、サイラス・レナルド・エディに発破をかけるために言ったのだ。それで一時、いさかいが起こってしまったのは私の想像力不足であった──兄弟で命を脅かす真似などをするとは、思いもしなかったのだ」
ヒューゴは言った。
「父上は少し勘違いをしている。あれはどちらかというとそれぞれの兄弟にくっついている金魚のふん達が、勝手に暗殺騒動を起こしていたんです。兄弟自身にはまるで与り知らぬところで──」
「お前はさっきから物事が起きても知らぬ存ぜぬで切り抜けられると思っているようだが、そんなことではこの先危ういぞ。疑いをかけられた時点で命のやり取りが始まっているのだ。お前の気持ちは国政には関係ない。そんなことよりも、もう少し自分や兄弟のバックに誰が何人ついているのか、本当の敵は誰なのかを把握しておいた方がいい。政治は目に見えるものが全てだ」
父親の反論に、ヒューゴの眉間の皺はより深くなった。父親の正論ほど嫡男を苛立たせるものはない。
「目に見えるもの──つまり成果が大事なのですね。それで、エディやリリーを贔屓して……」
「正気に戻れ、ヒューゴ。お前は最近、どこかおかしいぞ。マリーを娶ってから人が変わったようだな」
「マリーのことは関係ありません。大体、この婚姻契約を持って来たのは父上だったでしょう」
「うーむ、お前は昔から理知的……悪く言えば冷徹な男だと思っていたが、案外情に振り回されるところがあったんだな」
「冷静に分析しないでください。私は誰よりも努力してきたはずです。なのにあんなことで王位への梯子を外されたら、今までの私の苦労は何だったんですか!?」
セドリックはそれで理解した。
ヒューゴがマリーを溺愛する理由を。
「……悪かった」
セドリックは謝罪した。
「ずっと病に臥せっていた私が悪かったのだ。その間、お前には多大な負担をかけた」
ヒューゴは父親がいきなり陳謝して来るとは思っていなかったので、毒気を抜かれている。
「その負担を一緒に支えてやれる相手が、マリーだけだったというわけなのだな」
ヒューゴはそれでようやく黙った。
「まあいい。そこまで言うならまだ彼女を王宮に留めておいてやる。ただし、マリーの尻尾を掴んだら即・牢獄へ監禁となる。その時は、もう一生彼女に会えないのだと覚悟を決めろ」
そしてその王の言葉で、実は〝離宮行き〟こそが王の温情であることを知る。ヒューゴの顔から、一気に血の気が引いた。
「父上……」
「お前の気持ちも大事だ。だが、国の方が大事だ。王ならば。そうだろう?」
「……」
「私は健康になった。これからのお前を見ることにしよう。王位をどうするかは、それから判断する」
「……」
ヒューゴは自分を納得させるように何度か頷くと、立ち上がった。
「分かりました。では、私はこれで……」
ヒューゴは部屋を出て行く。
セドリックは自分と長男の不甲斐なさに少し頭痛がした。
「いかん……あいつをこのままにしておけば、その内公国に好きなようにされてしまう。何かいい方法はないものか……」
ヒューゴは固い表情のまま、マリーの部屋に行く。
マリーは熱心に手紙の返事を書いているところだった。
ヒューゴは出しぬけに言う。
「もう、危険な橋を渡るのはよせ」
マリーはおっかなびっくりこちらを振り返った。
「何よ急に」
「お前は疑われている。いいか?信用されたくば、俺の傍から離れるな。その辺をチョロチョロしたり、使用人を逐一呼び出したりするんじゃない」
マリーはそれを聞いて唖然としている。その小さな演技にも、ヒューゴは苛々した。
「マリー、このままだと行き着く先は破滅だ。私は君を愛している。だからこそ、余計な行動は慎んでほしいんだ」
それを聞くと、マリーはパッと顔を輝かせた。
「あら、そうなの?心当たりはまるでないけど、あなたがそこまで言うなら私、自由に動くのを辞めるわ」
「お願いだ。頼んだぞ、マリー」
「最近は大きな公務もないし、あなたの気が済むまで付き合うわよ」
ヒューゴはそんな彼女を疲れ切った顔で眺めると、マリーのベッドにばたんと横になる。
マリーはそれを微笑ましく眺めながら、公国への暗号文を淀みなく書き綴っていた。