35.エディのご乱心
ヤルミルは言う。
「何やらリリーの移動に合わせて、色々な物事が動いているらしい。情報を整理するのには、どうやら時間がかかりそうだな……」
ナワ・カラバルの雌が話に入って来る。
『サックウィル公国の兵隊がシェンブロ薬草園に来ると、どうなるのかな?』
「それは分からないが、もし取り囲まれたらひとたまりもないだろう」
リリーは王太子妃マリーのことを思い出し、嫌な予感に胸をざわつかせる。
「まさか……公国はシェンブロ公爵の万能薬草を狙ってるの?」
ヤルミルが静かに言う。
「それにしてはやり方が手荒過ぎないか?兵隊がレミントン王国に無断で足を踏み入れたら、もうそれは侵略行為だぞ」
国の首長の言葉は重い。リリーは最悪の事態もあり得るかもしれない、と覚悟する。
「私に出来ることはないかしら」
ヤルミルはすぐに答えた。
「君は君の身を確実に守っていてくれ。どうするべきなのかは、ランドール国王に聞いておいた方がいいだろう」
リリーはそれを聞き、目を見開いた。
「えっ……陛下に!?」
「彼もこの会話を夢の中で感知している可能性がある。もし雄のナワ・カラバルが花を咲かせていた場合、直接耳で聞いている可能性も……」
そうだった。セドリック王は万能薬草の声を聞くことが出来たのだ。リリーはそれを聞き、うかつなことは言わないことを肝に銘じた。
「ところでヤルミル。あの……エディがどうしているか、分かる?」
それについては、雌のナワ・カラバルが急にやる気を見せた。
「待ってて!それも聞いてみるわね──」
再び高音が幽閉部屋に響き渡る。リリーは修道女らしく、胸の前で手を組んだ。
その頃、ランドール国内では──
エディは牢獄にぶち込まれていた。謹慎期間は十日。無論彼は王族なので王族用のちょっといい牢獄を用意されたのだが、扉が全面鉄格子でプライバシーが全くない。
何もない部屋で誰かに見られた状態で何もしていないと、仕事に追われてばかりいたエディは発狂しそうになる。更にはリリーが連れて行かれたのに何も出来ないことが、悔しくてたまらない。
ようやく謹慎が解かれるその日がやって来た。
「失礼いたします」
聞き覚えのある声に、エディは鉄格子へと近づいて行った。
「……トリス大臣!」
「すぐにこちらにうかがえず、申し訳ありません。ひとつご報告があります。万能薬草の管理役ですが、リリー様もエディ様もこのようなことになったので、緊急処置と致しまして私が代理を務めさせていただきました」
エディはそれでようやく胸を撫で下ろす。
「ありがとう、助かった。しかし……そんなことをよくあのヒューゴが許したな」
「実は、陛下があの後すぐに動いたようです。一度、万能薬草は陛下の管理下に置かれましたが──」
「ふむ」
「エディ様とて、陛下の大切なご子息であることは変わりありません。薬草園のものは薬草園の知識で管理するべきだとヒューゴ様にお話しされたようなのです」
「……」
「あとは、サイラス様レナルド様含め、陛下も万能薬草をシェンブロ公爵側に半分渡してしまったことに、かなり怒っておいででした。そこで私が皆様にお話しし、しばらく私が管理代行を務めようと」
「……トリス大臣、よく頑張ってくれた」
「とんでもございません。衛生大臣の職務の一環でしかありません……」
鉄格子ごしにしか話せないので、込み入った話は聞き出せそうにない。だが、どうにか要点だけはかいつまんで分かった。
兵士のラッパが遠くで鳴り響く。それを合図に、トリスは言った。
「これにてエディ様の謹慎期間は終了となります。早速ですが、レナルド様から会議の予約が入っております」
「分かった」
「私は別の会議に出なければなりませんので、また近いうちにお会いしましょう」
エディはトリスと別れると、一直線に会議室へ向かった。
そこには、どこかくたびれた様子のレナルドが待っていた。
「待たせたな、レナルド」
「待ちくたびれたよ、エディ」
外務局の職員が、どさりと書類の束を置く。エディが呆けていると、レナルドは肩をすくめて見せた。
「これ、全部万能薬草の催促だよ」
「……全部?」
「友好国から、融通のお願いが来ているんだ。みんな勝手だよな……」
レナルドは紙の束を撫でさすった。
「これでも、半分に減らした。親交の深くない国には、丁寧にそれらしい理由をつけて断っておいたよ」
「ありがとう、レナルド」
「問題はだな、友好国に研究用に融通する量を決めたいんだ。なるべく国と国との間に緊張状態が発生しないようにしたい」
「……緊張状態?」
レナルドは真剣な顔で言った。
「はっきり言おう。万能薬草を独占していると、攻め込まれる」
「……!」
「実はどの国も、土着の熱病には悩まされているんだ。カラバル国は危険極まりない病原体のある地域だから誰も足を踏み入れたがらないが、どの国だってこの大陸に万能薬草があるとすれば、殺してでも奪い取りたいとなるわけだ」
「……」
「大陸に分散させるのも手だ。そちらの方が、波風立てずに済む」
するとエディはしばし考え込んでから、兄に言った。
「ということは、抱え込んでたら攻め込まれる、ということか?」
「その可能性は高まるな」
「ならば、しばらくその書類仕事を止めて、本当に攻め込まれるかどうか様子を見ることは出来ないだろうか」
レナルドは驚きに目を見開く。
「何を考えているんだ、エディ?」
「ランドール王国とシェンブロ公爵家が同じ量の万能薬草を持っているとしたら、兄上ならどちらに攻め入る?」
レナルドはふんと鼻を鳴らした。
「エディ。お前っていう奴は……恐ろしいことを言う。公爵家に決まっているだろう」
「そういうわけで、公爵家には犠牲になってもらおう」
「……おっと。ご乱心ですね、王子」
「好きなように言え。俺はどんな手を使ってもリリーを取り戻して見せる。公爵家を潰すことも、他国と戦争になることも厭わない」
そう宣言して、エディは悪魔のような微笑みを浮かべる。
レナルドはやれやれと首を横に振った。
「恋は盲目、か……恐ろしいな」
「何を言っている。リリーは万能薬草の鍵の役割も担ってるんだぞ。お前らも必死になるべきだ」
「分かったよ。おい、軍事専門家のサイラスも呼ぶぞ」
レナルドはそう言いながらも、元気になったエディを見て少し嬉しそうに笑った。