31.接触
マリーは執務室のヒューゴの元へ行くと、早速例の話を持ちかけた。
「……ということらしいのよ。リリーに万能薬草の実権を握らせるのはよくないわ」
ヒューゴは悩まし気に眉根を寄せた。
実は彼も先日、ある噂を聞いたのだ。
〝王がエディを後継者に据えることを決めたらしい〟
王の病に、万能薬草は抜群に効いたようだった。エディは長男ではなかったが、行動で王からの信頼を積み上げた。正直、ヒューゴは跡目争いの勝ち目を見失っていた。更に、リリーの地位が重くなれば、セドリックも彼女をその内軽視出来なくなるだろう。ここまで事態が進めば、王太子の地位は挽回出来なくなる。
「……どうしたものか」
「お願いヒューゴ、あなただけが頼りなのよっ。私は何のためにここに嫁いだの?国民に誹謗中傷されても、歯を食いしばって来た。私の今までの苦労は何だったのよ……!」
マリーはめそめそとその場で泣き出した。ヒューゴはマリーの肩を抱く。
「泣くな。……何とかする」
「本当?」
「幸い、陛下はいきなり現れた身分の低いリリーを好ましく思っていない。そこをどうにか出来れば、あるいは……」
しばらく二人でじっとしていると、手紙の束を抱えた執事がやって来た。
「ヒューゴ様、本日分のお手紙です」
「……デスクに置いてくれ」
ヒューゴは執務に戻った。マリーは憮然とすると、近くのカウチに腰掛ける。
ヒューゴが手紙を開け、内容をチェックしていたその時だった。
「ん?……シェンブロ公爵……?」
ヒューゴは見慣れない手紙に出くわした。マリーもその疑問の声色に何かを感じてやって来る。
「これは確か、リリーが以前いた国からのようだな。国外の貴族から手紙が来るとは珍しい」
ヒューゴは何か予感めいたものを感じて手紙に目を通す。
それからにやりと笑った。
「……そういうことか」
背後で共に手紙を読んだマリーも、驚きに口を開け目を瞬かせている。ヒューゴの手紙を持つ手は歓喜に震え出す。
「ようやく弱点を見つけたぞ、リリー!」
ヒューゴは喉の奥から湧き上がる笑いをこらえられなかった。
二週間後。
リリーは薬膳の研究に励んでいた。
以前話していたブドウとバラを使って、セドリックの体調を整える方法を探っていたのだ。
再び病棟のキッチンに立つリリーを見て、周囲の看護係たちはホッと胸を撫で下ろした。
「リリー様、立ち直ったようでよかったわね」
「何でも、万能薬草の管理者に抜擢される予定らしいわよ」
「その役職は確かにリリー様じゃないと出来ないわよね。何せ、カラバルの王とやりあえるのは世界を探してもリリー様ぐらいしかいないそうじゃないの」
そんな周囲のひそひそ声も耳に入らないぐらい、リリーは熱心に研究を重ねていた。
(そうよ、まだ陛下とお会いしてひと月も経っていないんだもの。軽んじられるのは当たり前だわ。もっと時間をかけて距離を詰めて行かないといけなかったのよ)
リリーこそ、逆の立場であれば息子が連れて来たポッと出の修道女から急に「彼の恋人です」などと言われても、受け入れがたいに違いないのだ。
(王立薬草園に長く在籍して、万能薬草の育苗に精を出して、結果を残さなければ認められないわ。時間をかけてやってみよう)
リリーにはもう、結婚に焦る気持ちはなくなっていた。
万能薬草があるおかげだ。
母が残してくれたあの小さな木の板が、リリーをこの場所に運んでくれた。
(絶対に、エディと結婚する。そして──)
リリーは男に捨てられ、やせ細って死んで行った母の姿を思い出す。
(万能薬草が国民に行き渡るようにする。きっとそれが、私に与えられた使命なんだ)
王宮で開発された薬も、培われて来た薬膳の知識も、民の間には普及していない。王族や貴族だけが救われる社会など、リリーには要らない。
(貴族もお金持ちも貧乏人も必ず病気から救われるように、薬品代を下げてみせる。万能薬草を育てることも、売ることも、必ずそこに繋がるはずだわ。それが出来るのは、現状私だけ……)
リリーは思いを新たにした。全ての物事は繋がっている。リリーに新しく与えられる仕事も、きっと次のステージに進むためのものだ。
リリーは王の病室に薬膳を運ぶ。
セドリックはすっかり元気を取り戻し、公務復帰も視野に入っていた。王太子ヒューゴが代わりに王座に座っていられる日もあと幾日かだろう。
セドリックはリリーを見上げると、待ちかねていたかのように呟いた。
「万能薬草の管理を、お主が一気に引き受けるそうだな」
リリーはすまし顔で応えた。
「ええ、そうですね。この国でカラバル国首長の信頼を得ているのは私だけですから」
セドリックは不敵に笑った。
「どのように信頼を得たのか、聞いても良いか?」
「……陛下。これは私ではなく、私の亡き母の功績のようなものです。母が信頼されていたから、その娘が信頼されたのです」
「ふむ……なるほど。では、お主の母親はどうやって……?」
「何もしておりません、陛下。母の恋人が信頼されていたから、母も信頼されたのです」
「……数珠つなぎの縁だな」
「はい。信頼というものは、連鎖して行くものなのです」
そこまで言ってから、リリーは万能薬草の森に入る時を思い出した。万能薬草が万能薬草の縁を繋ぐのだ。今思えばあの入場方法はまるで、リリーの今を予言していたかのようだ。
「それで、か……?」
「?」
「いや。私は最近も、眠っている間に木の声を聞いたんだ。〝リリーを信頼しろ〟とな」
「!」
最近のリリーは木の声を聞いていなかったが、王の方は聞いていたらしい。
「ほ、本当ですか!?」
「ん……?どうした、リリー。これは幻覚なのではなかったか?」
リリーは口ごもる。確かに王の言う通り確証はないが、万能薬草がそう言ってくれるとは何とも気分がいい。
「そ、そうかもしれませんが……」
「……」
「陛下!いくらでも私を信頼して下さい。きっとそれは神のお告げか何かです!」
「随分と都合が良過ぎるが……。ふっ。面白い女だな、リリーは」
リリーは微笑んだ。
薬膳を下げ、再びキッチンへと戻る。
するとそこには近衛兵がおり、立ちはだかるように距離を詰めながらリリーに告げた。
「リリー殿、ヒューゴ様から伝言です。至急、王座の間に来るように、と」
リリーと看護係達は、嫌な予感に顔を曇らせる。
「何かしら……兵まで寄越して催促するなんて、ちょっと怖いわね」
「念のため、エディ様を呼びましょう。今日は王宮内の衛生局会議に来ているはずよ。ね、リリー様。味方は多い方がいいわよ」
「私たちも行こ?」
リリーは強敵に立ち向かうべく、歯を食いしばる。
「そうですか……では、今すぐ参ります」
リリーは看護係たちを引き連れながら兵士のうしろにつき、王座の間へと歩いて行った。