29.万能薬草輸出計画
リリーは仲間たちの計らいで王宮の病棟から客間に移された。リリーは客間のベッドの上で、力尽きたように動けないでいる。そんな彼女の元に、公務から抜け出したエディが駆けつけた。
「看護係から聞いた……父上が我々の結婚に反対したんだってな」
彼の呼びかけに起き上がると、リリーは肩を落としてこっくりと頷く。
エディは震える腕で、リリーをかき抱いた。
「……安心しろ。俺は君以外と一緒になんてならない」
リリーはエディの胸の中、じんわりと鼻を赤くする。
「ごめん、俺の見通しが甘かったんだ。快癒の功績にもの言わせれば、結婚を許されるだろうと考えていた俺が甘かった。君と一緒にいられるなら、俺は王位なんていらない。リリーを妻に出来るなら……」
リリーは気弱になって目をこすったが、エディの熱い体温に触れ、少し気力を取り戻した。
(そうよ。やっぱり……誰に反対されようと、私はこの人と一緒に生きたい)
彼だってその辺の王族のように、身分の低い女は妾にするという選択を取っても良かったのだ。けれど彼はそれをしなかった。だからこの問題が生じたとも言えるのだ。
エディの「リリーを正妻に」という信念を貫く姿勢に、彼女の心は凍える逆境の中でも温かく保たれていた。
「幸い、俺たちは若い。まだチャンスはあると思うんだ。それに……言いたくはないけど、ランドールの王族で幸福な結婚をしている奴なんか稀だ。身分差婚をしている奴もいない。ちょうどいい、俺達で前例を作ってやろうじゃないか」
リリーは頷いた。エディの力強い言葉に、感傷的な気分はどこかへ流れ去って行く。
「しかし……父上もなかなかの鬼畜だな。自分が元気になれたからって、命をかけて万能薬草を探し出して来た子女によくそんなことを言えたもんだ」
「大事なことだから、早めに言おうと思ったのかもしれないわ」
「だからってね……。父上に代わって俺が謝るよ。リリー、本当にごめん」
エディが苛立ち紛れに頭をぼりぼりと掻きむしった、その時だった。
「失礼いたします」
使用人がやって来て、ドアをノックする。エディはリリーと体を離すと、ドアを開けた。
「……何か用か?」
「レナルド様が緊急にお話したいことがあるそうです。何でも……外務局の用件だとか。それから、是非リリー様にも同席して欲しいと」
リリーとエディはお互いを不安げにちらりと見交わした。
眼鏡の三男だ。何の用だろう。
「リリーも、というのはなぜ……?」
「万能薬草について、色々と聞きたいことがあるのだそうです」
エディは頷いた。
「分かった、この客間に通してくれ」
「かしこまりました」
二人がソファに腰掛けてしばらく待っていると、赤い髪を後ろに撫でつけたレナルドが几帳面な眼差しでやって来た。
先日リリーに向けた、侮るような視線は彼の瞳にはもうない。王が快癒し、レナルドのリリーを見る目が変わったのだろう。
「何の用だ?」
エディも先日不愉快な思いをさせられていたので、どうしても彼に対してはつっけんどんな物言いになる。
レナルドは少し間を置くと、対面の椅子に腰掛け少し緊張の声色でこう切り出した。
「単刀直入に言おう……現在外務局に、万能薬草の問い合わせが殺到している」
エディは平然とした顔で頷く。
「……まあ、そうだろうね。父上が治ったことで、新聞や口コミがその薬効を拡散しているようだし……」
「しかし、だ。そんなに万能薬草の余剰があるわけではないだろう?」
レナルドのその問いかけで、エディとリリーは同じことに気がついた。
ランドールでは、エディとリリーの二名しか万能薬草がどのようなものでどれくらいあるのかを把握していない。更に言えば、万能薬草の情報を保持しているのは、世界でもヤルミルとここにいる二名のみなのだ。
エディは胸を張って得意げに言った。
「数は教えられない。衛生局のトップ・シークレットだ」
「……そう来ると思ったよ。じゃあ教えておいてやる。万能薬草は今後、莫大な金を生むぞ」
「金……」
リリーは意外に思う。万能薬草を育てて役立てることは考えていたが、換金するという発想は無かった。
レナルドは続けた。
「どの国も、例の繰り返す熱病には苦しんでいる。特に働き盛りの男子の熱病は徴兵の数と税収にも関わるからな、どの国も治したい一心なんだよ。だから、何が何でも買いたい、入手したい、となる。それでだな──こういう切迫した状況を放置すると、今後どうなると思う?」
「……もったいぶらずに教えろよ」
エディがせかすと、レナルドは小声でこう言った。
「万能薬草の闇取引と横流しが始まる」
リリーとエディは固まった。
「は?何でだよ……」
「数を確認していないとか言ういい加減な姿勢は今すぐ正すべきだ、エディ。在庫管理をしっかりしておかないと、何月何日に万能薬草がいくつ減ったのかがあやふやになり、盗難が発生する。従業員性善説は今すぐ捨てろ。倉庫を作り、万能薬草に関する役職も決めてガチガチに管理しろ。いいか?今すぐにだ」
「……」
「何か事件があってからでは遅い。特に万能薬草は命に係わる性質のものだ、こういったお宝は全方位から狙われる。そして何より一番困るのは──」
レナルドは息を吸うと、予言者のようにこう囁いた。
「敵国に奪われることだ」
客間の空気が瞬時に変わる。エディとリリーは事の重大性にようやく気づいた。
「まさか……!」
「私も人を疑うのは好きじゃない。けれどマリーには用心しておいた方がいいな。特に、あいつだけは妙にリリーに親切だったじゃないか」
リリーは暗澹たる気持ちになる。けれど、国家運営というものは全ての人物に対し疑いを持つべきだし、用心しておくに越したことはないのだろう。
兄が持って来た話に怯え、エディは背筋を伸ばす。その様子を見届けてから、レナルドは計画していたかのように笑って見せた。
「まあでも、いい面だって勿論ある。それはな、万能薬草を売れば莫大な外貨獲得が見込める、ということだ」
エディとリリーはせわしく頷き合う。
「そうか……確かにな」
「外務局は海外の取引……輸出入を担っている。だが、万能薬草をどうするかは外務局の一存では決められないんだ。衛生局に許可を取り、お互いに協力してやっていかなければならない。そうだろ?」
「でも、万能薬草を出すか出さないかはこっちで決めるぞ。そうやすやすとは渡さないからな」
「そこなんだよな。だからこうして王子自ら頭を下げに来ているわけだ。ちょっと考えておいて欲しいんだが、万能薬草をこの辺で栽培する気はないか?こいつを増やせば、莫大な金がこのランドールに流れて来るぞ。時間はかかってもいい。とにかく、何かが起こらない平和な今の内に先のことを考え──」
レナルドが言い募っていた、その時だった。
「失礼します」
再び使用人から声がかかった。
「今度はサイラス様が、エディ様とお話したいと」
兄弟は顔を見合わせると、同時にこう言った。
「ちょうどいい。そいつも部屋に入れろ」




