27.王宮の光
試験はその三日後に行われた。
ウォルスター城の一室でトリス衛生大臣の監視のもと、ひとりで試験を受ける。
暗記が得意なリリーは、難なくテストを解いて行く。
休憩を挟みながら一日がかりで試験を終えると、トリス大臣がやって来て尋ねた。
「リリー様は、本当にエディ様と結婚されるおつもりですか?」
リリーは目を白黒させた。一体彼は何を言い出すのだろう。
「は、はい。私が決めることではございませんが……私はそのつもりでおります」
「そうですか。不躾な質問をして申し訳ありませんでした。一度、聞いておきたかっただけです」
リリーはそろりとトリス大臣を見上げる。
トリスは、少し感傷的な色の瞳でこちらを見下ろしていた。
「あの、なぜ急にそのようなことをお聞きになったんですか?」
たまらずリリーが尋ねると、彼は問い返した。
「エディ様──いや王族同士に、本当の〝理解者〟がいると思いますか?」
リリーが固まっていると、トリスは続けた。
「この国の王宮内の人間関係は損得勘定が前提です。悲しいことに、親族間、夫婦間でもそれが当たり前となっているのです。エディ様のみならず、この王宮内は国同士のパワーバランスや各事業の経営問題が持ち込まれている、非常に危うい状況にあります」
リリーは静かに己に問う。対外的な問題、内政的な問題、親族間の問題。王族にはそれらの問題がからみ合ってのしかかっているのだ。それを全部把握し、理解し、手助けするというのは並はずれた胆力がないと出来ないことだろう。
リリーは宣言した。
「難しいこととは思いますが……私はエディ様の支えになりたいと心から思っています。あの人を愛したからには、命がある限り味方になろうと」
それを聞くと、トリス大臣は初めてニコリと笑った。
「エディ様の孤独は、リリー様が考える以上に根深いものです。正直、私はエディ様があなたを連れて帰って来た時、その変貌ぶりに驚かされました。あなたと出会う前のエディ様は、常に何かを疑って寂しそうな目をなさっていた。リリー様も他のご兄弟を見て、そう感じたのではありませんか?」
確かにエディの兄弟は皆、人を品定めするような、冷えた視線を持っていた。
「そうですね……本当に」
「私はあなたに期待しています。まるで損得勘定を投げ捨てているあなたのような女性がこの王宮に入って来たら、一体どんな化学反応が起こるのか」
トリスはそう言って微笑む。リリーはようやく晴れやかな顔で頷いた。
「はい!化学反応……起こして見せます!」
「ははは。今のところ王立薬草園だけは割と平和にやっていますがね。この先何が起こるのかまるで予測がつかないので、リリー様もどんな事件が起こってもいいように、対応策を考えておいた方がいいですよ」
そう、物事は予想通りには進まないのだ。それはリリーの人生で一番痛感していることだった。
「本当にそうですね。私もエディが王子様だったなんて予想してませんでしたから」
「ああ、そうだったんですね。エディ様は身分を隠してあなたを……なるほど」
トリスは納得したように頷いてから、リリーの問題用紙と解答用紙を封筒に入れた。
「それでは、合否は衛生局から郵送にて通知させていただきます。少しお時間をいただきますが、その点ご了承ください」
「はい、トリス大臣。その……ご忠告痛み入ります」
「いえいえ。こちらこそ余計な探りを入れて申し訳ありませんでした。とにかく、あなたには長くエディ様のそばにいて頂きたい。私もそう祈っております」
トリスは部屋を出て行った。リリーは、ふーっと息を吐き出す。
「び、びっくりした……」
彼は試験で二人きりになるところを見計らっていたのだろう。質問の目的は分からなかったが、リリーはトリスがエディの味方であろうことは分かった。
「損得勘定を投げ捨てている、か……。確かに、そうなのかも……」
リリーはふと、母ウェンディのことを思い出す。彼女は気が多かったが、損得勘定をして人と接したことは一度もなかったように見えた。好きだから好き、一緒にいたいから一緒にいる、あの頃は母のそんな性格を「損」だと思ったこともあったが、今のリリーの立場からすれば、彼女は他人に光のみを分け与える勇気ある女に思えて来た。
「そうよね。王宮内で私だけは、損得で動かないようにしよう。きっとそれが、一番正しい道のはずよ」
そう自分に言い聞かせていると、部屋にエディが入って来た。
「あれ?リリー、まだここにいたの?もう自分の部屋に帰ったんだと思って、向こうの部屋まで行っちゃったよ」
リリーは真っすぐエディに駆け寄ると、その胸に飛び込んだ。
「お、どうしたリリー?」
「エディ。私だけは、絶対損得勘定で動かないから!」
「あはは、いきなり何だよ。試験はどうだった?」
「簡単だったわ」
「さすがリリー……とにかく、通知は俺が出せるものじゃないから、衛生局からの通知を待とう」
それから一週間後。
リリーの元に、無事王立薬草園の採用通知が届いたのだった。