23.リリーを排除せよ
王族全体の空気の悪さを察してか、使用人の機転ですぐに食事が運ばれて来る。
口はディナーで塞がりながらも、皆それぞれ視線をぶつけ合っていた。
無言の晩餐会が続くと思われた、その時だった。
「悪いわねリリーさん。ヒューゴは王太子として頑張って来たつもりなのに、陛下にいきなり梯子を外されて、悔しい思いをしているのよ」
ヒューゴの妻、王太子妃マリーが急にこんなことを言う。ヒューゴは妻を口止めせんと何か言おうとしたが、マリーは受け付けなかった。
「こんな風に混乱したのは、元はと言えば陛下の妄言のせいでしょう。そこにリリーさんがいらしたものだから、新たな脅威と勘違いしてしまったみたいね。今この国には、誰かを敵や味方とみなしては大騒ぎする、悪い癖が蔓延してるわ。親族を代表して、私も謝らなければならないわね」
それを聞き、リリーは少し呼吸が楽になった。王太子妃マリーはまともそうだ。同じ女性ということもあって、話が通じる唯一の相手である気すらする。
「私はね、リリーさんみたいな聡明な女性が王家に嫁いで来るのは賛成よ。不幸にも、この一族の不仲は世間に筒抜けで、妃候補が次々辞退してしまったという悲しい過去があるの。王妃殿下は既にお亡くなりになっているし、裏で王族を支える女手がひとつでも増えれば私の気も楽になるわ」
ヒューゴはふんと不機嫌そうに鼻を鳴らす。
リリーはようやく笑顔で「はい」と答えることが出来た。
マリーはにっこりと微笑んだ。
再び客間に帰って来たリリーは、ぴょんとベッドに身を預けた。
「き、緊張したー!」
「お疲れ様、リリー」
使用人が紅茶を運んで来る。ほっと一息ついていると、エディがはっきりとこう言った。
「マリーには気をつけろよ」
リリーは首を傾げる。
「え?何で?とってもいい人そうだったわよ」
「表向きはね。彼女は元々、政敵から人質として娶られてるんだ。一種のスパイと考えて貰っていい」
「……そういう風に疑うのは可哀想だわ。そんなことを言ったら、私だって──」
「そこなんだ」
エディはリリーのベッドの真向かいの椅子に腰かけた。
「マリーもスパイ、君もスパイ。それでようやく、我が王族内の力関係にいいバランスが生まれた」
リリーは目を丸くした。エディはクスクスといたずらっぽく笑う。
「多分だけど、一番君の存在を疎ましく思っているのは、ヒューゴじゃなくてマリーだ。自由に裏回し出来ていたのが、君が入り込んだことでやりづらくなった」
リリーはむすっと頬を膨らませた。
「な、何で笑ってるのよ……!」
「えー?だって、リリーが王家を自由に引っ掻き回しているから……面白くってさ」
「面白くないわよ!」
「本当に物怖じしないね、リリーは。羨ましいよ」
エディがぽつりと落とした言葉に、リリーは何かを感じ取る。
「……エディは、何も言えないの?」
「旅に出るまでは、兄貴たちの言いなりだった。四男が生き延びようとするなら、そうするしかないのが普通だ。王族の兄弟は、増えれば増えるほど、王太子以下は王家に吸い尽くされるための養分となるしかない運命なんだ。でも、父上が病気になって一気に形勢が逆転した。〝病を治した者に王位を継がせる〟と言い出したことが、結果的に王家ないしは国家運営すら転換させた。案外父はこうなることを予期して、あんな発言をした可能性がある」
リリーは考える。確かに、王太子の安泰が脅かされるとその周囲は混乱するが、同時に安泰に与れなかった側は発奮するのだろう。立場の弱かったものが力を持ち、力だけあっても解決しなかった問題が解決されれば、国内に新しい機運が生まれるのかもしれない。
「つまり、陛下の言葉が国のピラミッド構造をかき混ぜることになった、ということなのね?」
「ああ。ほら、先日港に出迎えに来た衛生大臣のトリス。彼なんてつい最近まで閑職だったくせに、今はあちこちに引っ張りだこだよ。父上の病を治して一番恩恵があるのは衛生局だろうから、大臣におもねろうという連中が大挙して来ているってわけ」
「うわぁ……本当に、人って欲深いのねぇ……」
リリーは今更ながら、王家内部の抗争に巻き込まれてしまったのだと思う。
「けれどエディを愛した以上、私はもう引き下がることは出来ないのよ。とにかく、陛下の熱病を治さないと」
「今日は寝るんだリリー。明日早朝から、君も看護係の一員となって立ち働いてもらう」
「……はい」
「その間は、俺もずっと隣の客間に滞在するよ」
リリーとエディは軽くキスを交わした。
「おやすみ、エディ」
「おやすみ、リリー」
一方、ヒューゴとマリーは王太子の寝室で褥を共にしていた。
仰向けになってヒューゴを甘ったるく受け入れながら、マリーが呟く。
「……邪魔ね、あの子」
ヒューゴは頷いたが、体を離すと、少し疑わし気にマリーの顔を見下ろす。
「リリーか。下手をすれば、彼女が王妃に──」
「王になるのはあなた、王妃になるのは私よ。その正道を邪魔するなら、こっちも容赦しないわ……!」
マリーは賢く、強かな女である。ヒューゴはそれを嫌というほど理解していた。
かつて敵対していたサックウィル公国の長女。彼女は停戦条約締結の折にこのランドール国の王太子妃に来た。実のところ、王太子妃としてではなく、人質として。当初は国民や臣下から反対されながらやって来た彼女だったが、どうにか王太子妃の務めを果たして周囲を黙らせて来た苦労人である。
和平のために差し出された、生贄のような悲しき王太子妃だ。
「そうでなければ──私はどうして、ここに来たのか……」
マリーの震える唇を、ヒューゴが自らの唇をあてがって塞ぐ。くぐもった声を出してから、マリーははっきりと告げた。
「ヒューゴ。あなただけが頼りなの」
彼は頷いた。
「分かっている。必ず君を王妃にする。今のところ、マリーには苦労しかかけていないからな。君を愛した以上、もう引き下がることは出来ない」
「……ありがとう」
マリーはヒューゴに抱かれ、その肩越しに不敵に微笑む。
ヒューゴは妻の希望を叶えるにはどのようにすべきか、じっと考えるのだった。