20.王太子ヒューゴとの対決
午後になると、エディとリリーは王宮へと向かった。
リリーは図書室で叩き込んだ王家の歴史を、頭の中で繰り返し確認する。万能薬草の投薬の参考資料として、スネル島でつけたノートも持ち込んだ。
リリーはネイビーのドレスを着ていた。動きやすい、王宮の看護係と似たものをリクエストしたのだ。そこに着け外しの出来る襟や袖の装飾品をつけ、王族の前に出られるような体裁を施している。
王の治療の合間に、晩餐会が開かれることにもなっている。
大変な一日になりそうだ。
エディは万能薬草の束を持っていた。王立薬草園と王宮の看護係は既に連携が取れており、この薬の薬効も事前に手紙で説明済みであるし、既に万能薬草を一枚看護係に回して、使用許可を貰っているのだと言う。リリーはエディの仕事の速さと根回しの正確さに、内心感心していた。彼はいきなり万能薬草を突き出して言うことを聞かせるより、そうしてもいいかどうか事前に伺いを立てる方法を取ったのだ。王子なのに。
(エディに学ぶことは多いわ。以前の私は修道院で人間関係に躓きっぱなしだったから、彼のやり方を参考に王宮で立ち回ることにしようっと)
知識があるからとか、施術が上手だからとか言っても、それで人の機嫌を損ねてしまっては本末転倒だ。
まずは、人におもねってお伺いを立てる。
物事にはきっと、段階というものがあるのだ。それを軽々飛び越して来たリリーが疎まれるのも、今になって考えれば道理だろう。リリーはひっそりと、エディの隣で人生の反省会をしていた。
馬車は王都への道をひた走る。
日が傾きかけた頃、王宮に辿り着いた。正門では報を受けた近衛兵たちが待ち構えており、野次馬もなぜか大勢詰めかけていた。
リリーはそれを見て緊張に青くなる。エディが彼女の肩を抱いて鼓舞した。
「大丈夫。今から君は救国の聖女だ──そういうことになっているから」
えっ!?とリリーが慌てるのを尻目に、エディは堂々と馬車から降り、彼女に手を差し伸べた。
リリーは思い切って馬車から出る。大きな歓声が沸き、リリーは更に表情を固くしたが、とりあえず胸を張った。
彼女をおろしたエディが囁く。
「そう、その調子」
リリーは事の大きさに眩暈を起こしそうになったが、エディの腕に掴まって事なきを得る。エスコートされて王宮に入り、長い廊下を歩いて行くと、その先に玉座の間があった。
兵がひときわ装飾性の高い扉を開く。その向こう側、遠い玉座に座っていたのは──
赤く長い髪を束ねた若い男。
王太子ヒューゴ。
王が不在の現在、彼が国政を取り仕切っているらしい。その隣には王太子妃のマリーが立っていた。
ヒューゴはリリーを見つめてから、エディに敵意の視線を向けた。
「また怪しげな薬草を持ち帰ったものだな……」
そう言われたエディは、澄ました顔で答えた。
「お言葉ですが兄上。私は暗黒大陸で熱病にかかった際、これを粉にして飲んで快癒致しました。隣の、このシスター・リリーも同様です。そういった意味で、この薬草の治験は既に済ませております」
ヒューゴはふんと鼻を鳴らす。
兵士に促され、リリーが前に進み出た。
「初めてお目にかかります、殿下」
ヒューゴは言った。
「お前の導きで、エディは万能薬草を獲得出来たそうだな」
リリーは、そこまで伝わっているのだと内心感心する。
「それは神の導きとか、そういうことなのか?」
その王太子の問いに、あえてリリーは首を横に振った。
「いいえ、私は何もしておりません。護衛に襲われ傷を負ったエディ様を助けただけの、通りすがりの修道女でございます」
その言葉で王座の間がひどくざわついた。その情報は、まだ王宮側には伝えられていなかったらしい。
エディは慌てることなくリリーを注視している。
ヒューゴは舌打ちをしてから、近くの兵に命ずる。
「護衛が王子を傷つけるなど、あってはならないことだ。至急、その護衛を探し──」
「護衛はもうおりません。船員たちの手で海に投げ捨てられ、藻屑と消えました」
そう言いながら、リリーは微笑んで見せる。
証人はいくらでもいる。みんなが見ていた。それを伝えたかったのだ。
ヒューゴはわなわなと震え、リリーの豪胆さに少し苛立ち始めていた。
リリーは尚も言う。
「神の導きは私にはございませんでしたが──エディ様には確実にございました。二人も護衛を打ち負かす強さも兼ね備えておられたのです。私は戦いによって傷ついた殿下のお手伝いをしただけ──」
「もうよい」
ヒューゴが話を打ち切った。
「その万能薬草とやらを、父上に飲ませるのだろう?先に言っておく。失敗したらお前は魔女として処刑する。よいな」
あからさまな脅しである。リリーは久しぶりにあのアレクシスを思い出していた。女を常に侮っている、あの尊大な態度の男を。
「かしこまりました」
リリーは惑うことなく殊勝にそう言い切り、エディが勝利を確信したように口端を緩める。
ヒューゴは苛立ちながら品定めでもするように、黙ってリリーを上から下まで眺めた。
「もうよい、下がれ」
リリーとエディは兵に促されて玉座の間を出ると、次は王の寝室へと歩いて行った。
二人の背中が見えなくなった頃合いで、ヒューゴは傍にいた兵士に命じる。
「あの女の素性を調べ上げろ」
「……はっ」
ヒューゴはじっと考えを巡らせる。
「俺には分かる……あの女は危険だ。早々に王宮から排除しなければならない」