19.王家の内部事情
次の日。
リリーが目を覚ますと、今まで着ていた服やアクセサリーは整然とトルソーに収められていた。
リリーはそれを引っこ抜きながら着ると、不安げな表情で扉を開ける。
扉の前には使用人たちが待ち構えていた。
「おはようございます、リリー様」
「お食事の用意が整っております、ご案内いたします」
リリーはぺこりとお辞儀した。こんな環境には慣れていないので、どうしたらいいのかよく分からない。
リリーは彼らに促され、食堂へと歩いて行った。
「もしよろしければ、お食事のあとに服の採寸を、とエディ様から言伝がございました」
「王宮に参内するためには正装が必要となります。現在お召しの服では、どれでも参内出来ませんのでご留意くださいませ」
リリーは歩きながら、緊張気味に「はい……」と答えた。
見知らぬ人と見知らぬ土地に囲まれて、何をするにも気後れしてしまう。けれど、食堂に入るとその気後れは吹き飛んで行った。
「リリー」
素晴らしい細工の施されたテーブルの向こうに、笑顔のエディが待っていた。
いつも着ていた冒険着ではなく、客を迎える時の王子の服装だ。そんな彼の姿を見て、リリーは眩暈がした。
(エディって……こんなに王子様だったっけ!?)
今更ながら、なぜ気づかなかったのだろう……とリリーは自分の鈍さに頭を抱える。言葉遣いはわざと平民っぽくぶっきらぼうにしてあったのだとしても、所作や人との距離の取り方などは、まさしく王族のそれだったではないか。
席を勧められ、リリーは倒れ込むように座った。
「ごめん、リリー。驚かせて……」
「エ、エディ様。私──」
「その呼びかけはよしてくれ。使用人には全てを伝えてあるから、君はこの城の中では俺を呼び捨てにして構わない」
リリーは真っ赤になった。使用人たちは二人の全てを把握しているらしい。
エディはにっこりして続ける。
「心配はいらないよ。ここの従業員は、皆賢く口の堅い者ばかりだ。秘密の漏洩があった場合には即解雇、そして再就職させないための各方面への根回し完了だから」
笑顔で恐ろしいことを言うものだ。リリーはそれで余計に、彼が王族であると認めざるをえなくなる。
「じゃあ、エディ」
「何だ?リリー」
「この城に図書室はないの?薬草園に勤務する前に、こちらの歴史や薬草を勉強しておかなければならないと思ったんだけど」
エディは少し目を見開いた後、くすりと笑った。
「……リリーらしいや。勉強、勉強……」
「だって、知識がないことが一番不安ですもの」
食事が運ばれて来る。
朝からしっかりしたコース料理が並ぶ。温野菜のマリネに、厚切りベーコンのマスタード添え。ふわふわの焼きたてパン、それからフレッシュなオレンジジュース。少し船旅の時を思わせるような朝食のチョイスに、エディの細やかな気遣いが感じられた。いきなり現地の食事をさせてしまうと、胃もびっくりするのではと踏んだのだろう。慣れた食事に手を付け、リリーはほっとした。隣国の食文化に慣れるまで、まだ時間がかかりそうだ。
「なら、図書室に行こう。その前に、とりあえず正装のためのドレスの採寸をしなければな」
「それもいいけど、修道服はこっちに届いたの?ドレスは窮屈だから、ゆるめの服がいいの」
「修道女はコルセットには不慣れか……」
「修道服をアレンジしたような服が欲しいわ。確か修道服は正装のひとつよ」
「考えておく。でもドレスも作るべきだ」
「なぜ?」
「俺が見たい。ただそれだけだ」
二人は少し笑い合う。ようやく、小さなわだかまりが溶けて来た。
「少し駆け足になるが、昼にはここを出発し、参内しよう。父に早く万能薬草を届けたいんだ」
リリーは頷いた。エディは更に言う。
「その前に、君に色々教えなければならないことがある。図書室で我が王家の家系図を見ながら、君にも知っておいてもらいたいことが……」
そう語る彼の表情がとても寂しそうなのを見て、リリーは少し胸がぎゅっとした。
それはきっと、あまり良い内容ではないのだろう。
図書室に所蔵されている、王家の家系図を二人は覗き込む。
「ランドールの現国王は、父セドリック。繰り返される熱病に苦しんでいる。俺には兄が三人いる。上から、ヒューゴ、サイラス、レナルドだ」
「……ということは、次の王はヒューゴ様ってことになるのね?」
「……のはずだったんだが……」
「?」
エディは非常に言いにくそうにこう告げた。
「熱病のさなか、父がこう言い出したんだ。〝王の病を治した者に王位を継がせる〟と──」
リリーは愕然とした。
「それが本当なら、エディが次の王になっちゃうじゃない!」
「いや、それはない。別に俺は王位なんか欲しちゃいないから、王族のひとりとして細々ここで暮らせればそれでいい。だが厄介なのは、上の三人が出し抜くためにいざこざを始めて薬草園の経営に口を出して来たり、いっそ俺を殺して薬草園の経営権を剥奪し、開発中の薬を掠め取ろうとして来たりすることなんだ。覚えているよな?俺が船の中で護衛に殺されかけたこと」
リリーは頷いた。即席の火炎瓶を作ったのは、きっと後にも先にもあの一回だ。
「あれもその流れで起こった事件だった。ともかく、俺は父上に早く回復してもらいたい。血の気の多い兄上たちの権力争いを止めて、平穏に暮らしたいだけなんだ。だから父にはなるべく長生きして貰って、兄上達の熱が落ち着くまで王の座に就いていて欲しい」
リリーはそれを聞いて絶句する。
「それに俺は薬草園をもっと大きくして、この国の医療を下支えしなければならないんだ。薬を安定的に供給して、いたずらに病を恐れない社会を作りたい。兄上達にはその事業を邪魔して欲しくないんだ」
それからリリーは、エディのその言葉を聞いて確信した。
セドリック王が言い出したことは、もしかすればだが、ある可能性を孕んでいる。
〝薬や医術を修めた者が、次の施政者となる〟ということ──
リリーはカラバル国の長、ヤルミルのことを思い出した。あの時は薬草の力を独占して成り上がった一族がいると聞いて滑稽に感じたが、長い目で見ればそれは案外、施政者の一番の役目であるのかもしれないのだ。
国民の健康を守ること。
よりよい暮らしを分け与えること──
リリーは小さな修道院で死んで行った母ウェンディのことを思う。女が男や家族に捨てられれば、まともな医療が受けられない世の中だ。あのような不幸は、エディの研究がつつがなく続けられれば無くなって行くのだろう。
リリーはエディに寄り添った。エディは身を寄せられたことを察し、リリーの肩を抱く。
「ごめん。不安になったよな。もしかしたら、リリーも……」
「いいわ。エディが成し遂げようとしていることを、私も一緒に成し遂げたい。かつての私や母のような、困っている人をひとりでも減らしたいし──あなたに絶対幸せになって欲しいから」
「……リリー?」
リリーはエディに向き直った。
「王になるために兄弟で殺し合いをするなんて、国家として本末転倒だわ。陛下はきっと、エディのような本当に国民のことを考えている王子に王位を継がせたいんだと思うの」
エディは目を丸くしていたが、リリーの本気の眼差しに触れ、ふと目を細めた。
「リリー……君は凄いことを言い出すね」
「私はそう感じたわ。もしエディがその気にならなくても、恐らく国民がいずれあなたを後押しすることになるでしょうね」
「元修道女の言うことは説得力あるね」
「茶化さないでよ。もし、私の知識がエディのために役立てられると言うのなら……協力する。私、あなたの夢を叶えたいの」
そう言って少し赤くなったリリーを、エディが抱き寄せる。
「本当に?」
「本当よ。言ったでしょう?私はあなたに幸せになってもらいたい。その夢を実現するためなら、王位獲得だって厭わないわ」
エディはくっくと笑ってから、リリーの頭頂部にキスをくれた。
「ありがとうリリー、君ほど強い娘はいないよ。王位は別にいらないけど……リリーにこの国で安心して暮らしてもらうためなら、俺はどんなことも厭わないつもりだ」
それから、約束し合うように二人はキスを交わす。リリーは全身でエディの愛情を感じながら、その胸の中で静かに闘志を燃やし始めた。