15.星空の下で
それから一週間かけてリリーの熱は引いて行き、いよいよランドール国へと旅立つ日がやって来た。
万能薬草が本当に暗黒大陸の熱病を治療したのだから、リリーたちの帰る足取りも心なしか踊っている。
夕暮れ時の中、リリーとエディはガラスケースに入れた万能薬草の苗木をそれぞれ持つ。そのケースは簡易的なガラス温室で、船の甲板に出しておけば自然と水滴がつき、土を湿らせることが出来るという画期的な代物だ。
エディは他にも様々な観葉植物を乗せて行った。その量にリリーは驚いたが、チャドもエディもいつものことのようで平然としている。
船員にチップを払い、陽が当たるように甲板に出して固定しておいた植物の世話を頼む。
チャドは帰り際、リリーに握手を求めると、その手を握りしめながらこんなことを言った。
「リリー殿。エディ様をよろしく頼みます!」
リリーは真っ赤になって焦ったが、エディは隣で楽しそうに笑っているだけだった。
「ちょっとエディ、チャド様に何を言ったの?」
「ははは、別に何も」
エディとリリーは商会のみんなに見送られ、船へと乗り込んで行く。
リリーとエディは船べりから手を振った。
スネル島が遠ざかって行く。
一等船室に入ったリリーはベッドに身を投げ出すと、ランドール国の薬草園に思いを馳せ、ふふふと笑った。
やはりあのような腐り切った修道院は、出て正解だったのだ。自分が下した選択に間違いはなかった。
エディとはあれからも付かず離れず、良好な関係を維持し続けている。互いを看病し合い、手を繋ぎ合った。異性に触れられることが心地いいと思える日が来るなど、ひと月前のリリーには信じられないことだった。
(エディは私のこと、どう思ってるんだろう)
まだ彼から具体的な心の内は聞いていない。ただ、あの日リリーが吐露した気持ちを、彼が拒否していないことは確かだった。
リリーは、急にエディを求め始めた自分を怖くなっていた。気持ちが暴走し始めているのが分かる。
これが、恋。
(薬草園に雇ってもらって確実に実績を残せるようになるまで、直接的なことはなるべく言わないようにしよう)
リリーは以前のような、理性的な自分の姿勢を取り戻そうとする。今一番大事なのは色恋ではなく、働く先を確保することだ。
(そうよ、人の気持ちなんていつだって変わる。もしもの時のために、お金も貯めなきゃ──)
リリーは頭の中で将来のライフプランを設計し始めた。男性に頼らない生活を死ぬまで続けようとするならば、とにもかくにもお金が大事だ。万能薬草を保険に分けてもらうべきかもしれない。
(そうだ、家はどうしようかしら。ランドールの家賃の相場を調べないと)
薬草園のどこかにしばらく泊まらせて貰ってもいいかもしれない。
(エディって、どこらへんに住んでいるんだろう──)
やはり話がエディに戻って来てしまったところで、日が沈み夜がやって来た。
(夕飯はもう商会で食べて来たし、あとは寝るだけね)
薄闇の中うつらうつらしていた、その時。
コンコン。
扉がノックされた。
「リリー、いる?」
エディの声がして、リリーは飛び起きた。まさか先程の心の内を読まれたのかと思い、どぎまぎする。
「いるわ。入って来ていいわよ」
エディはそれを聞くと、なぜか申し訳なさそうに上半身だけ室内に入って来る。
「ごめん、寝る前にちょっとだけ時間ある?これからのことについて話し合っておきたいんだけど」
やはり心を読まれていたのかな、とリリーは思う。
「そう……いいけど、もう夜よ?」
「甲板へ出てみないか?スネル島周辺は空気が澄んでいるから、星が綺麗なんだ。リリーにも是非見てもらいたくて」
リリーはどきどきと胸を鳴らす。
エディと星空を眺められるという絶好のシチュエーションを、拒めるはずもない。
「行くわ」
リリーが立ち上がると、エディがまるでエスコートするように肘を突き出して来る。リリーは困惑した。
「……エディったら」
「嫌かな」
「……嫌じゃないです」
リリーは初めて男性の腕に自身の腕を通した。思えば、エディは出会った時は長剣を器用に振り回していたぐらいの腕利きなのだ。触ってみると彼の腕は思った以上に厚みがあり、リリーはくらくらした。
甲板に上がると、ラメをふんだんに散りばめたような星空が広がっていた。確かにレミントンで見る星空とは比べ物にならない美しさだ。リリーはしばし目をチカチカさせた。
「エディの言う通りだわ。凄い……!」
「以前、商会へ行く船でこの星空に出会ったんだ。リリーにどうしても見せたくてね」
「綺麗ね。宝石が砕けたみたい!」
誰もいない甲板を歩いて行き、二人は船べりにもたれると並んで星を見上げる。
心なしか、エディの体がじりじりとこちらに寄って来ている。リリーはそれに気づいて、自身もじりじりとエディに寄って行った。
ぴたりと互いの肩が触れ合った時、エディは意を決したように告げる。
「俺、リリーのことが好きだ」
リリーはそれを聞くや、真っ赤になってうつむいた。何と言うべきかしばらく悩む。が、リリーは意を決して、返事をする代わりにすぐそこにあったエディの手をパッと繋いだ。
「!」
「私もよ、エディ」
素直な感情が互いの手のひら越しに伝わって来る。しばらく二人は思いを遂げた安心感に浸っていたが、ふいにエディが手を繋いだまま、リリーの前に立った。
「……エディ?」
リリーが呆気に取られていると、エディはその場に片膝をつく。リリーの口が「まさか」と声なく動く。
彼は低い体勢からリリーを見上げると、やにわにこう言った。
「リリー。ランドールに戻ったら、俺と結婚して欲しい」