14.ふたりの熱
エディの熱は三日間下がらなかったが、リリーが少し万能薬草を増量しようとしたところで、彼の熱はようやく引き始めた。
その間、リダウト商会の主であるチャドは気が気ではなかった。しかしどんな恐ろしい病が王子を襲っているのか分からないので、ノコノコ出向いてミイラ取りがミイラになるわけにも行かない。
結局のところ、別館の看護者であるリリーに手紙を投函するのがせいぜいだった。
リリーは手紙を読んだ。「必要なものがあれば取り寄せる」「毎日エディの容態を報告せよ」とのことだった。リリーも予防的に日々、万能薬を飲んだ。執事にもすすめ、飲んで貰った。
一週間もすると、エディの熱は完全に引いた。
しかしそれと入れ替わるように、リリーもまた同様の熱病に犯されてしまったのである。
今度はエディが看病する側に回った。
ベッドに臥せながら、リリーは粉にした万能薬草を飲んだ。不思議なことに、暗黒大陸帰りの船で飲んだ時はひどく苦かったのに、熱のある状態で飲んだらねっとりした甘さが舌に残った。
エディがずっとそばにいてくれる。
「エディ……病み上がりなんだから、休んでよ」
「いや、大丈夫。きっと例の感染症の抗体が出来ただろうから、君を看るなら俺が適任だ」
そう言いながら、エディはリリーのつけた看護記録を取り出して読んだ。
「なるほど……あの薬は食後より食前に飲む方が効くんだな」
「二日目から、もしかしたらと思って飲む時間を食前に変えてみたの」
「ん?お湯に解く……?喉の裏にはりつける……?こんなことしてたの?」
「うん。あれ?覚えてない……のね」
リリーはそのまま、意識を失うように眠ってしまった。エディは慌ててリリーのノートに書いてある文字を読み、それから破顔する。
〝エディは薬を飲んだ直後、失神したようになる。薬の副作用の可能性がある〟
「そっか……それで薬を飲んだ時のことを、よく覚えてないんだな」
エディは眠りこけるリリーの汗ばむ額にはりついた、栗色の前髪を手で撫でとかす。
「ありがとう、リリー。いつか必ず君に……」
エディはそう呟いてから、目をこすった。
「あー、だめだ。病気をしてから、何か涙もろくなって……」
エディはソファに腰かけると、祈るように目を閉じて仮眠に入った。
その頃、リリーは夢の中にいた。
エディの手に額を撫でられた感覚がする。それが意識の中に入り込んだのか、リリーは母ウェンディの手を思い起こしていた。病の時にかざされた母の手は、どんな治療薬よりも薬効があるような気がしたものだ。
エディの手もまた、リリーには心地がいい。
そんな時だった。
急に聞いたことのない女性の声が、リリーの脳内に直接響き渡ったのだ。
『寒い……寒いよ。もっと暖かいところに』
リリーは目を覚ます。直感的に、あの声は持ち帰った万能薬草なのではと思う。
まだ節々が痛く、熱があって体が重い。リリーは寝返りを打つと、ソファでうとうとしているエディに声をかけた。
「エディ、ちょっといいかしら?」
エディは目を覚ます。
「ん?何……リリー」
「ナワ・カラバルたちはどうしているの?」
「どうって……温室にいるだろ」
「執事さんに伝えて欲しいの。もっと彼らを暖かいところに移動させてって」
「えー?なんで……?」
「夢の中で、ナワ・カラバルが私にそう訴えて来たのよ」
「……本当に?」
エディはリリーの幻夢に疑問を感じながらも、執事に言伝に行く。頼んだリリー自身も、何が起きたのかさっぱり分からなかった。
ふとカラバル国の長、ヤルミルの言葉を思い出す。
〝あとな、その木は喋る。もし何かを受信するようなことがあれば、私に聞いて欲しい〟
「なぜかしらね……」
リリーはそう呟いたまま、再び眠りに落ちた。
「やっぱり、リリーの言う通り万能薬草たちは温室の日陰に置かれていたみたいだぞ」
そう言いながら、リリーが起きたところを見計らって、チーズ粥を持ったエディが入って来る。リリーは食事の前に、ぼんやりした口で万能薬草の粉末を飲んだ。
二人で食事をする。リリーはまだ熱があるものの、食欲はあまり落ちてはいなかった。
体力を落とさないため、ベッドの上で軽く食べておく。薬の副作用なのか、酩酊するような感覚が起こっている。
「ヤルミルが言ってたな。木から気になることを言われたら、こっちに言えって」
「そうは言うけど、あそこに手紙を出したところで届くのかしら?伝達方法を特に聞かずじまいで来てしまったわ」
「何かあったら、直接言いに行くしかなさそうだな。でも、本当にそれが木の声かは分からないんじゃないか?熱が出た時はわりかし悪夢を見るものだから」
「うーん……今回はそこまでおかしいことを聞いたわけではないから……ま、わざわざ伝えに行かなくてもいっか」
リリーが粥を平らげると、エディがそれを下げた。
布団にくるまると、エディが近くまでやって来て、リリーを見下ろす。
「もう、熱は大丈夫?」
「ええ、だいぶ下がって来たわ」
「じゃあ、今日は俺、別の部屋で寝るよ」
エディの指先が、そっとリリーの額にかかる髪を撫でた。
リリーは黙ってエディを見つめる。
二人は何かを確かめ合うように見つめ合った。
「熱を治して、一緒に帰ろう。俺の住む……ランドールへ」
「……うん」
リリーはどきどきと胸を鳴らし、熱で火照った頬を更に赤くした。
エディは愛おしそうにリリーを見つめると、
「手に触ってもいい?」
と問う。リリーは期待の眼差しを彼に向け、こくこくと頷いた。
ぎゅっと手を繋ぎ合う。
それが、今の二人に出来る最大限の愛情表現だった。
リリーは、エディに遠慮がちに触れられるのがたまらなく嬉しい。押しつけられる好意より、こんな風に尊ばれる好意の方がずっと心に届く。
「おやすみ、リリー」
「おやすみ、エディ」
彼の手を放すと、リリーは心地よく眠りの中へ漂って行った。