11.万能薬草の正体
道を歩きながら、リリーはエディに今までのことを説明した。
「ふーん、リリーの亡きお母様が万能薬草をねぇ……」
「実は私、今の今まで母は騙されてるんじゃないかって疑ってた。でも齧ってまで〝万能薬草〟だって門番に判定されたら──もう、そうなんでしょうね」
エディは少し乾いた笑い方をする。
「はは……これがあれば、ここまで来なくて良かったのかもな」
「うーん。でも、これが本物かどうか私には確かめようがなかったの。仮にもしこれが偽物だったとしたら、きっと私はエディに嫌われるだろうし……まだ信頼関係が皆無の中で、不確定なことを言い出すわけには行かなかったの。ごめんね」
「なるほどね。まあ、事情はどうあれ助かったよ……しかし味で本物かどうか確かめるとは、なかなか面白い通行手形だな」
「見た感じ、ただの木の板ですもの。誰でもすぐに偽造出来そうだから、齧ってみるのは確実な確認方法よね」
「どんな味がするんだろう」
「齧ってみれば?」
「んー、遠慮するよ……」
門番は二人より先にどんどん歩いて行ってしまう。周囲は、杉の木のような巨木が天を突きあげるように生えている鬱蒼とした森だ。二人は門番を見失わないように小走りに行く。
しばらく歩くと、遠くに遺跡のような石造りの城が見えて来た。
「あれが……カラバルの長の城……?」
門番は急に座り込み、何かを話す。リリーが頭に疑問符を浮かべていると、エディが訳した。
「門番の仕事はここまでなんだってさ」
「じゃあ、あとは道なりなの?」
「そのようだ」
門番はさっさと遠ざかる。
けもの道をずんずん行くと、急に森が開けた。
青く高い空が見え、石を積んだような城が現れる。それから、城からなぜかとても素晴らしく良い香りがした。
「……何の匂いかしら?」
「お香かな」
エディとリリーは互いを見つめ合うと、頷き合った。
「……行くか」
「ええ」
城の前の門番がやって来て、二人をいざなう。
その小さな城の奥には、ひとりの男が地べたに座って待ち構えていた。
余りに無防備な首長の姿にリリーは驚く。長はまだ若い。半裸の褐色の肌に黒く長い髪を無造作に垂らし、香の煙立ち込める中、スモーキーブラウンの瞳で何かを見通すようにこちらを見つめている。
長は言った。
「座れ」
二人は、長と同じように床に胡坐をかいた。そして急に緊張し始める。長はリリーたちのいる大陸の口語を話している。現地語ではない。
「珍しい肌の色だな。どういった用だ?言え」
いきなり単刀直入に話が飛んで来た。エディは答える。
「私の父の病を治す薬が欲しくてここに来ました。〝万能薬草〟を購入させて欲しいんです」
長はふむ、と呟いた。
「その前に──お前たちはどうやって通行手形を手に入れたんだ?」
エディの視線がリリーに注がれる。リリーは答えた。
「私の母が持っていました。母の名はウェンディ。母はレミントン国内で恋人から貰ったと──」
すると、長の目がカッと見開かれた。
「ウェンディ……だと!?」
ただならぬ空気が漂い、リリーは首をすくめた。長は立ち上がると、彼女に手を差し伸べた。
「ならば、あの本を持っているはずだろう」
リリーは我に返り、荷物からごそごそと薬草事典を取り出す。長はそれを奪い取ると、前後の見返し部分を開いた。
「間違いない。確かここに……」
見返しの裏に、サインがしてあった。
「ああ、やはり。ライアンのものか……」
リリーたちは次々謎の情報が降って来て、置いてきぼりをくらっている。
「取り乱した、すまない。……ライアンは私の恩人なのだ。彼がいたから、私が今生きていられる。細かい話はよすが……恐らく私を助けてくれたお礼に、父がこの通行手形をライアンに渡したというわけだな」
「あのー、ライアンさんとは……?」
「医師だ。私がとても珍しい病にかかった時、父がスネル島に寄港していた彼を呼んで来たのだ。万能薬草でも治らない、内臓の病だった。私はライアンの手術で回復した。彼には当時レミントンに置いて来た恋人がいた。その女性はウェンディという、子持ちの女性だったそうだ」
長が二人を見る視線が、以前よりずっと柔らかくなる。
「不遜な態度、失礼した。私の名はヤルミル。カラバルの首長だ。ところで、そなたの名は?」
リリーは目まぐるしい展開にクラクラしていたが、それでようやく目が覚めた。
「リリーです」
「一応決まりだから、金は取る。しかしリリーは恩人の恋人の娘だから、少しまけてやろう。おい、そこの従者。その天秤に金を乗せろ」
従者?とエディは首を傾げたが、一応手袋を取った。
金の指輪をいくつか外し、傾いた天秤に乗せる。
兵士のひとりがやって来て、分銅を乗せた。まだ傾いているのでエディがもうひとつ金の指輪をくべると、秤は水平になった。
「よし、交渉成立だ。万能薬草を、ここへ」
兵士が持って来たのは、何枚もの木の皮だった。エディの目は輝いたが、リリーはそれを見るや、じっと別のことを考え込んだ。
「これで、父の熱病が治るぞ……!」
「これは乾燥させたものだ。患者に与える時には齧らせるのもいいが、粉状にしてやると飲ませやすいだろう。その内の一枚に焼き印を押してある。それが通行手形だ。リリーの家族や仲間に与えてやるといいだろう」
「ありがとう、ヤルミル」
エディは木の皮を袋にしまった。
「ところでリリーの従者よ。お前の父はどういった症状なのだ?」
「高熱を繰り返す病だよ。そして体にも痛みが繰り返す」
「万能薬草が効く典型的な熱病だな。恐らく蚊が媒介する病だ。万能薬草はこの地域にしか生えないから──」
ヤルミルがそう言いかけた、その時。
「長。ナワ・カラバルの苗などというものはありませんか?」
リリーが尋ね、エディが目を見開いた。
「リリー?」
「いえ……本当に、ここにしか生えないのかしらと思って。もしかしたら、最大限に暑くしたら温室でも育てられるかも──」
エディはハッとした。
「あ、その手があったか……!」
「えへへ。あっちの大陸でうまく万能薬草を栽培出来たら、世界中の病が治せると思ったの」
すると。
「ははは。リリーは面白い冗談を言うね!」
ヤルミルは膝を叩いて笑った。リリーたちがぽかんとしていると、長はこともなげに言った。
「万能薬草を見たことがあるか?」
「えっ、いや……ないです」
「あははははははは」
「?」
「温室なんていう、人の作った施設にしまい続けるのは不可能に近い。だって──」
ヤルミルは城の出入り口を指さす。
「あの森を形成する巨木の群れこそ、〝万能薬草〟なのだから」
リリーは頷き、エディは「ええーっ!?」と叫ぶ。
予想通りだ。
〝万能薬草〟は草ではなく、木であった。