10.暗黒大陸へ
暗黒大陸へは、船で三日もすれば着いてしまった。
リリーとエディは念入りに虫よけ用のハーブ・チンキを体に塗りたくる。この大陸の最大の敵は蚊だ。
ザックを背中に担ぎ、二人はのしのしと船を出る。暗黒大陸には、見たこともない褐色の肌の住民がほとんど裸でうろついていた。
リリーはどきどきする胸を押さえる。完全な異国に来てしまったという緊張感と、見たことのない植物で溢れ返っている現地を眺めて興奮している高揚感と。
エディは辞書と睨み合いながら、何かをそらんじていた。
「エディ、何をぶつぶつ言ってるの?」
「現地語を復習してるんだ。リリーもこれ、覚えとけよ」
リリーは『助けて』と『こんにちは』と『ここが痛い』を覚えた。
「過去に現地へ行ったことのある人間と、ランドール国内でコンタクトしておいた。この国の長が例の〝万能薬草〟を独占していると言う。何でも、万能薬草を独占することによって、国を統治しているらしいんだ」
戦争で国を盗るという話は聞いたことがあるが、薬草の寡占で上り詰めるとは聞いたことがない。リリーは内心、この国の成り立ちを面白く思った。
「この国の名前は何て言うの?」
「カラバル国だ」
リリーは目をむいた。
「カラバルって……暗黒大陸の言葉で〝万能〟じゃない!」
「薬草と国名が同じって、なかなかに凄いよな」
リリーは修道院内にある図書館の薬草事典の内容を思い出していた。ナワ・カラバルが〝万能薬草〟の現地語である。ナワが〝薬草〟という意味らしい。
「じゃあ、今から長に会いに行くのね?」
「それが出来れば簡単なんだが……実はそこには〝選ばれし者〟しか入れないんだ」
「……エディは?」
「残念ながら今日初めてここに来た。長から〝通行手形〟を貰えれば、〝選ばれし者〟として万能薬草購入許可が下りるそうなんだが……」
リリーは首をひねった。
「待って?長に会うのに通行手形が必要なのに、長に会わないと通行手形が貰えないの?」
「うん」
どうしたらいいのか、考えれば考えるほど訳が分からなくなる。
「とりあえず、どうにか入れないか交渉してみようと思うんだ。この先に、長の居城に行くまでの通行手形を見せる関所がある。何事も、とりあえず一度見てみないことには分からない」
リリーは、彼も随分ノープランで来たものだと内心呆れたが、それだけ手立てがなかったのだろう。最近になってようやく「冬に行けばいい」ことが分かったぐらいの段階なのだから。
二人はとにかく歩いた。リリーは周囲を眺める。馬に乗って移動している現地人はいない。本当に、移動手段は徒歩しかない場所なのだ。
トラウザーの慣れない足さばきででこぼこ道を歩く。思ったより涼しく、虫もそこまでいない。
ひたすら歩き続けると兵士らしき槍を持った住人が、ずらりと森を囲むように立っていた。リリーたちは息を呑む。まさに「人間の壁」だ。これが長の居城の門構えの役割を果たしているのだろう。
二人を見るなり、兵士のひとりが何事か言いながら手を差し伸べて来た。
「通行手形を出せ、というわけらしいが、しかし……」
エディは辞書と睨み合いながら、愕然とする。
「今の発音……〝万能薬草を出せ〟って言ってる?」
リリーも辞書を覗き込んだ。
「本当だわ。きっと、そうよね」
「万能薬草を手に入れるのに、万能薬草が必要なのかよ……!」
隣で頭を掻きむしるエディを横目に、リリーはある事実に思い当たって青くなった。
(まさか……)
リリーは破裂しそうなぐらい鼓動する胸と共に、自身の薬草事典を取り出す。
焼き印の押してある、この木の皮のような〝万能薬草〟──
リリーはそれを持つと、兵士に向かって歩き出した。エディが慌てて追いかける。
「おい、リリー!一旦引き返そうって……!」
「エディ。もしかしたら、これ」
リリーの手に握られている木の皮を見て、エディは目を見開いた。
「……え?」
「ちょっと見ててくれる?」
リリーはどきどきしながら兵士に木の板を見せた。
兵士はそれを裏表と眺めると──
がぶっ。
なんと、その木の皮を噛んだのだ。呆気に取られるエディの前で、兵士はむしゃむしゃと口を動かしながら平然とこう言った。
『オッケー、これは万能薬草の味だ。通れ』
エディは言葉は理解出来るものの、状況が全く理解出来ていない。リリーは固まるエディに問いかけた。
「ねえ、兵士は何て言ってる?」
「……リリーの持っているのが〝万能薬草〟だって……」
リリーは頷いた。
「そう。じゃあ、先に進みましょう」
「いや、ちょっと待って!?リリー、どういうことなのか説明してくれないと──」
「歩きながら説明するわ。エディ、ほら早く」
リリーは齧られた万能薬草をしまい、兵士について歩き出した。
エディが慌ててついて行くと、兵士の列の隙間は再び詰められた。