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死にたがり彼女と吸血鬼の僕

作者: 五月七日 外

 僕が目にしたのは、橋の上から身を投げる女子高生の姿だった。




 / / /




「こんにちわ。今日はコレで行こうと思います!」


 いつもの河川敷。

 そこで日向ぼっこをする僕に声をかけてきたのは、美智留(みちる)という名の女子高生だ。高二だったか高三だったか……確かな学年は覚えていないが、制服を着ているのでまだ卒業はしていないはずだ。

 僕を見下ろす美千留の髪がそよ風で揺れていた。

 黒髪ロング、奏でる声音は鈴の音のように涼やか。ちょいとアホなことを除けば控えめに言って正統派美少女な彼女なのだが、美智留には一つ問題がある。

 にこにこ笑顔の彼女の手元には、包丁が握られていた。台所でよくみる万能包丁というやつだ。今日も家からこっそり拝借したに違いない。

 僕はゲッソリとした気分になりながら、重い腰を持ち上げる。


「えーっと、それじゃあ僕は死なないし……そもそもソレ銃刀法違反? いや、所持違反なんだっけ? どっちでも良いけど、法的にアウトだよ?」

「えーっと、まあ。それはそうなんだけど……別に構わないよね?」

「そこは構って欲しいんだけどなー」

「いいじゃない。君を殺せたら私は死んでもいいんだし」


 でしょ? と、美智留は何気ない様子でそう告げる。

 そうだとも。

 僕は彼女とある約束をしている。


『もしも僕を殺せたら、そのときにでも死んだらいい』


 ──僕を殺すまで死ぬな。


 つまるところ。

 それは、彼女にかけた小さな呪い。

 きっかけは一年ほど前。

 橋から川に飛び降りようとした美智留を僕が助けたこと。

 あのとき僕は、百年ぶりに人と深くかかわってしまった。




 ◆ ◆ ◆




「えっと……これは聞いても大丈夫なのかな。なんであんな無茶したの?」


 河の水でぐっしょりと濡れた服。そのなんとも言い難い気持ちの悪い感触を無視して、僕は今しがた命を救った女子高生に話しかけていた。

 しかし、かれこれ十分近く話しかけているというのに、彼女の方ときたらうんともすんとも言わない。

 どうしたものかとさらに悩んでいると、彼女の重たい口がようやく開いた。


「無茶っていうか、どう見ても自殺でしょ。そんなことも見てわからないんですか?」


 えー、なにこの娘。最近の学生ってみんなこんな感じなの……?

 命の恩人に対する第一声としてはあんまりな反応に若干引いていると、女子高生からの追撃はさらに続いた。


「それに、勝手に人の命救って偽善者気取りですか。ええそうですか。そういうの迷惑なんでやめてもらってもいいですか。では、そういうわけで」


 きっぱり。冷たくそう言い放つと女子高生はびしょ濡れのまま歩を進める。

 行先は考えるまでもない。

 さっき飛び降りた橋の方だ。


「まあ、君の言いたいことはわかるよ。でもさ……」


 僕が言おうとした言葉の続きは何だっただろうか。

 きっと、彼女に言葉を遮られるまではありきたりなものだったに違いない。

 それこそ、友人や先生、家族が言っていそうな。

 ありきたりな言葉。

 死なないでとか。もったいないとか。ニュアンスはわからないけど、死に対する否定的な言葉だったはずだ。

 けれど……


「そういうのもういいです。散々聞いたから」


 彼女にそう言われて。

 僕はつい、本心を言ってしまった。


「……羨ましいな」

「はい?」


 ぴたりと彼女の足が止まる。

 こちらを振り返った彼女の顔には今日初めての困惑の色が浮かんでいた。


「いや、だからさ。死ねるなんて羨ましいなって……そう言ったの」

「ふーん、だったらさ。私と一緒に死ぬ?」


 何を考えたか。

 彼女は少し考えたあと、僕に手を差し伸べた。


「うーん、残念だけどその提案には乗れないかな。あっ、死にたくないとかそういうのとは違うよ? そうじゃなくてさ。死ねないんだ。僕は物理的にね」

「えっと、どういう意味?」


 彼女の困惑の色はさらに濃く変わっていき、眉間には皺が寄っていた。

 僕は何も重要なことを言っていないのだからそれも仕方ない。

 一度、嘆息ついてから。

 僕は自分の正体を彼女に告げた。


「僕は吸血鬼なんだ。だから、不死身なの。というわけで、僕は君とは一緒に死ねない」


 アンダースタンド? ちょっとだけふざけて。僕はそう一言付け足した。




 ◇ ◇ ◇




「というわけで、覚悟ー!!」


 何がというわけなのか。

 美智留は包丁握って僕の方に突っ込んできた。

 鈍い銀色は光らない。

 ぽすっと、軽い音と柔らかな感触のあとに腹部に鈍い衝撃が走った。


「いたー」

「全然痛がってないじゃん。てか、お腹刺されてその反応はおかしくない?」


 どことは言わないが、運動神経の悪い美智留の体が先に当たったせいか妙な体制で動きが止まる。どことは言わないが先にあった柔らかな感触はアレだろう。どことは言わないが……。

 とりあえず崩れた姿勢を立て直す。

 傍から見れば、僕と美智留は抱き合っているように見えたかもしれない。体の間に包丁がはさまっているとも知らずに。

 けれど、実際には包丁の刃はきちんと僕の腹部にぐっさりと刺さっている。

 どぶどぶと赤黒い血も流れ落ちている。

 けれど、それだけだ。

 僕がそれ以上苦しむこともないし、当然死ぬこともない。


「いやだって、刺殺は経験済みだから耐性あるし痛みも慣れちゃったから」

「うー……今回は特別性だったのにぃ、不覚」

「特別せ、い……?」


 妙なところで抜けているのが美智留だ。

 そんな彼女の言葉に違和感を覚えると腹部のあたり……正確には包丁だ。そこから強烈なニンニク臭が漂った。

 もしかしなくてもこれはアレだろうか。

 ぼくは恐る恐る確認する。


「もしかして、包丁にニンニクでも塗りたくったの?」

「え、吸血鬼ってニンニクダメなんでしょ?」


 曇り一つない純粋な瞳でそう言う美智留。

 それに僕の口からはため息がこぼれた。


「あのね。何度も言ってるけどさ、僕は吸血鬼だけど小説とかのとは違うんだよ? 共通点は不死身ってのと眷属を作れるくらいで、あとのはそんなに当たってないから。第一、それなら吸血鬼の僕が日向ぼっこ好きなわけないじゃん」

「あ……」


 間抜けな顔した美智留から間の抜けた声がこぼれる。

 そして暫く。

 きっと、頭の中でじゅんぐり色々な考えが廻ったのだろう。

 結果……


「わたしのバカー! もう死んでやるー」

「それだと約束が違うんですが⁉」

「うっ……明日こそ絶対ぶっ殺してやるー!!」


 そうして、真っ赤な顔した美智留は包丁刺さったままの僕を置いて帰っていった。

 真っ赤に染まった制服姿で街中走り回るのはどうかと思うが、よくある光景だ。

 なんやかんやうまくやって家まで帰るだろう。


 今日も死にたがりな彼女は僕を殺すのに失敗した。




 ◆ ◆ ◆




「ね、めんどくさいでしょ?」


 僕の正体を告げてから暫く。

 彼女は毎日のように僕のもとへと訪れては愚痴をこぼしていた。

 いつからか、彼女が死のうとする回数も減っていた。

 だから、死ぬのよとは言っていたけど……。


「最近の恋愛ものはドロドロしてるものなんだなー」

「なんか他人事ね」

「まあ、実際他人事だし。人間のそういう営みは興味はあるけどそれだけ。どうしても生きる時間が違うからね」

「あー、そういう……」


 彼女は遠くの方、河を挟んだ向こう岸でも眺めながら適当に相槌をうつ。


「あなたって今いくつなんだっけ?」

「うーん、忘れたなぁ……」

「そ、数えるのも面倒になるくらいには生きてるってことね」


 彼女は妙に勘が鋭く、こちらが言いにくいことや言いたくないことは基本聞いてこない。

 それは僕も同じで、お互い適当に当たり障りの無い話しだけをして、本当に話したいことや聞きたいことは一切聞かない。

 ぬるま湯に浸かりきった関係性は、傷のなめあいのように進捗はないがどこか心地よかった。

 彼女もそう感じていたのか、僕の年齢について聞いてくることはこれ以上なかった。


 それからさらにしばらく。

 次第に彼女か来る回数は減っていった。


「一応、報告だけはしておこうと思って」


 少しだけ照れくさそうにしながら、彼女から学校を卒業した話を聞いた。


 それからさらにしばらく。


「大学も変わり映えしないし、退屈ね」


 遠方の大学に通っていた彼女は、地元に帰ってくるときくらいしか僕のもとを訪ねてこなくなった。


 それからさらにしばらく……。


「結婚することになったわ。つまらない親同士のつながりだけど、私みたいのをもらってくれるんだからラッキーかしら」


 そんなことを言いながら、彼女は笑って結婚していった。


 そして、それからさらにしばらく……。


「ほら、挨拶は?」


 彼女は小さな女の子の手を引いて僕のもとを訪ねてきた。


 そして、それから……。


「お久しぶりね」


 よぼよぼのお婆ちゃんになった彼女が僕のもとを訪ねてきた。


「まったく、あなたは憎らしいほど見た目変わらないわね」

「そういう君はすっかりお婆ちゃんだね」

「人間だもの。こうなるのもしょうがないでしょ」


 どっこいしょのほうがっぽいかしら。そんなことを呟きながら彼女は僕の隣に腰かけた。

 何年も前から変わらない僕との距離感。

 あまりに長い時間を生きてきた僕にとってそれは、ほんの少し懐かしい程度の感覚だったが。

 彼女にとってのそれはずいぶんと違うものだったらしい。


「たぶん、私の孫……いえ、孫の孫とかかしら? そのあたりの子も私と同じよう考えを持つと思うの」

「え、なに。どうしたの急に」


 僕よりも短い時間を生きた彼女は、いつかのときとはほんの少し変わっていた。

 いつも踏み込まなかった境界線をいとも簡単に飛び越えてくる。


「長生きのくせに察しが悪いのね」

「えっと、君と同じってなに。死にたがるとか」

「ええ、これってたぶんあなたの体質と似てると思うの」

「それって吸血鬼と」

「そう。気づかなかった?」


 そんなものなのだろうか。

 僕には彼女の言わんとすることがどうにも掴めなかった。


「今もだけど、あの時の私には別に死ぬ理由なんてなかったの。でもどうしようもないほど死にたい衝動に駆られていた。まあ、死にたいだけで死なないから別に実害はないんだけどね」

「は、はあ……」

「相変わらず、鈍感でおまぬけさんね」

「それはひどいだろ」

「……私の気持ちにも気づかなかったのに?」

「それは……」


 言い淀む僕の口を彼女の細い指が塞ぐ。


「私は、あなたとおなじ時間を過ごしたかった。でも、あなたは誰かと同じ時間を生きることを諦めてたでしょ? だから私も諦めたの」


 ま、別にいいんんだけどね。

 そう零してから彼女の言葉は続く。


「でも、本当に死が目の前に迫って思ったのよ。私には無理だったけど、いつかまた私みたいなのが現れて今度はあなたと同じ時間を生きられるんじゃないかって」


 彼女の言葉にはどこか希望を感じられた。

 それは、彼女がいつか未来にそうなることを予感しているのだろう。

 だけど、僕はそうならないことを知っていた。

 だから、僕は小さく首を横に振った。


「僕は誰かの宿り木になりたかったんだよ。それだけ……」

「宿り木って?」

「僕にとって君たち人間は短い時間を生き急ぐ渡り鳥みたいなもの。だから、僕は疲れた渡り鳥の休憩場所になれたらいいかなって。それが……」

「初めての人との約束って?」

「げ、なんでそれを……」

「あなたわかりやすいもの。どうせ、人間を好きになっちゃって先に相手が死んじゃったんでしょ? そのときに妙な考えをもちゃった。そんなところでしょ? だから諦めているのね」


 ──でも大丈夫。いつかきっと……。


 思えば、それは彼女から僕に与えられた小さな呪いだったのかもしれない。





 ◇ ◇ ◇




「あ、起きた。君が眠るなんて珍しいね。もしかしてこの前のニンニクが効いたとか?」


 どこかそわそわした様子で美智留は見当はずれなことを言っていた。


「前も言ったけど、そういうの効かないんで」

「むう……わかってたもん。別に期待なんかしてなかったもん!」


 そうは言うが、美智留は頬を膨らましているし顔もそっぽ向いているしで明らかにふてくされていた。もしかしなくても半分くらいは本気で僕が死んでいると思っていたのではないだろうか……。

 さてどうしたものかと悩んでいると、美智留は何か思いついたのか。

 いや、決心がついたのか意外なことを呟いた。


「……める」

「え……?」

「もう諦める。私じゃあ君を殺せそうにないんだもん」


 そう言って、美智留はぐでーと草の上に寝転がった。

 そして、さらに一言。

 今までにないほど小さな声で呟いた。


「だから、私を君の眷属にしてよ」

「はい?」

「だーかーらー。約束したでしょ! 私は君を殺せないと死ねないんだから、だったら私も同じ吸血鬼にしてもらわないと困るじゃん」

「え……?」

「えっ……?」


 お互いに何言ってるのこいつ……みたいな感じで見合ってしまう。

 美智留がその顔をするのはおかしい気もするが、僕は一応彼女の真意を確認する。


「約束はしたけど、それはべつに……」


 別に君を死なせないだけのもので……。

 そうは美智留が言わせてくれなかった。


「約束破るのはダメでしょ?」


 迷いのひとつもなくそんなことを言うので、僕はおかしくて久しぶりに大声出して笑ってしまった。


「なによー。こっちは足りない頭使ってやっと考え付いたのに」

「なにをどう考えたら僕の眷属になるんだよ」

「だって、あなたを殺せないと死ねないし、でも私じゃああなたを殺せないし……でも放ってたら私なんかすぐお婆ちゃんになって死んじゃうんだよ? 約束守るなら吸血鬼になるしかないじゃない!」


 まっすぐな目をして、ビシッと人差し指をこちらに向けポーズを決める美智留。

 そうだった。

 この女の子はなんで死にたがるのか不思議なくらい、どこか抜けていて僕を殺そうと一生懸命になのだ。

 ほんと不思議なものだ……。

 そう感じたとき。

 僕の中で彼女の言葉が反芻した。


 ──でも大丈夫。いつかきっと……。


 ああ、そういうことか。

 どこか納得してしまった僕はどうかしてしまったのだろうか。

 美智留の提案に乗ることにした。

 けど、気がかりなことはいくつかある。


「わかったよ。でも、何年も姿変わらずに生きるのはなかなか……」

「あ、それなら大丈夫! うちさ移動式のお店、準備してるんだ。私がそれ貰うつもりだから、それで世界中回ればいいんだよ。たぶん、十年くらいで移動すれば大丈夫だよね?」

「あ……意外と考えてたのね」

「意外ってなによ」

「いや、なんでも」


 そうして、美智留は僕の眷属になることとなった。


 けれど、僕はまだ美智留の血を吸っていない。

 彼女にはまだ選ぶ時間がある。

 少しくらいは旅をしながら考えてもいいだろう。

 そんなことを考えながら、急く彼女に引かれて僕は生きる決意をした。



 その後。

 美智留の家で懐かしい彼女の写真を見つけたり。

 結局、美智留は僕の眷属として長いこと一緒に世界中を旅したり。

 意外と美智留が料理上手で店はうまくいったりするのだが。


 それはまた別のお話。





終わり。


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