過保護な婚約者※
ヒューゴが到着した時、彼等の両脚はあらぬ方向へ曲がっていた。
逃亡を防ぐ為にしたこととはいえ、いささか乱暴だ。
思わず「うげえ」と、品のない声を上げて顔を歪めてしまう。
周囲を確認すると、ぐったりした妹と、妹付きのメイドのメーナが視界に入った。
そして、視界に入れたくなくても入ってくるのは、恐ろしい形相で男をぶん殴っている妹の婚約者──レイ・グレインジャーである。
「レイ、ほどほどにしとけー」
返事代わりに嫌な音が聞こえる。夢に出そうだ。
がたがた震えているメーナの腕の中にいる妹──ニコルの様子を確認すると、気を失っていた。
頬が少し腫れて、首には指の痕とくっきりと歯形がある。
「んー、歯形じゃあ、仕方ないかあ」
レイがブチ切れている要因が分かったヒューゴは「馬鹿なことするなあ」と、倒れている男達と、レイに現在進行形でボコられている男を見る。
妹に危害を与えたのだから、両親や祖父母もレイの行動を責めないだろう。
グレインジャー夫妻もニコルを可愛がっているので、もしこの不埒な男達を殺したとしても綺麗に『なかったこと』になりそうではある。
……が、少々時期が悪い。
ヒューゴの学園の卒業が近いのである。
ヒューゴは長い溜め息を吐いた後、倒れている男の一人が持っていたナイフで自分の腕を傷付けた。
思ったよりもザックリいってしまい、見ていたメーナは悲鳴を上げた。
「メーナ、見た目程痛くないから泣かないで。おーい、レイー! そろそろストップー!」
メーナは泣き止まないし、レイも言うことを聞かない。
警邏隊が来る直前まで殴らせておくのは非常にまずい。
何がまずいって、殴られている男が死ぬ。
「まいったなあ」
脳筋と違って、こちらは知的紳士だ。
怒り狂っているレイを、止めに入れるほどヒューゴは強くないので困ってしまう。
どうにか妹にレイを止めてもらわねばならない。
「ニコル、起きろ。レイが殺人犯になっちゃうぞ」
腫れていない方の頬をぺちぺち叩く。
「……ん」
レイの名前を出すと、妹は反応を見せた。
朝が弱い妹を起こす時に有効な技は、気絶にも効くようだ。
「ニコル、起きた?」
「……れえ?」
「残念、お兄ちゃんでしたー」
「…………れーが、いー……」
「ごめんね、お兄ちゃんで」
「……れえ……らっこ……」
「はいはい、今呼ぶよ」
呂律がやられている。
ヒューゴも嗅がされたことがある薬品名が浮かび、ほっとした。
酔っている感覚に近くなるだけで、大事にはならない。
「レーイ! ニコルが起きたー! 『そんな奴、構ってないで抱っこして』だってさー!」
ヒューゴの言葉に、レイは真っ赤なボロ雑巾をぽーんと放り投げてやって来た。
やはりこの怪獣を止められるのは妹だけだ。
「ヒューゴ」
「大丈夫、ニコルは死んでない。起きたって言ったろ?」
ほら、と言って妹を渡す。
思春期的理由で身体的接触を断っていたレイだが今回は例外らしく、ニコルを恭しく受け取った。
「れー?」
「……悪い。俺のせいだ、お前から目ぇ離した……」
怪獣もあんな落ち込むことがあるのか──ヒューゴは、とても珍しいものを見た。
「ねえ、ニコルと一緒に家に戻ってくれない? ジェイスにニコル診てもらってほしいんだ。あ、メーナも連れてって。泣いちゃってるけど説明してもらわないと」
「分かった」
「さーて、俺はもうすぐやって来る警邏隊にこれの説明をしてやりますかー」
足元に転がっている男を笑顔で踏みつけるヒューゴと、ニコルをぎゅうぎゅう抱き締めているレイを前に、メーナの涙はなかなか止まらなかった。
冬季休暇で、軍学校から帰ってきたレイが兄のヒューゴと遊びに行くと聞いて、ニコルもすぐに「行きたい」と言った。
だって、久しぶりに会うのにレイは兄とばっかり遊ぶのだ。
ニコルにも構ってほしいと思うのは普通のことだ。
これは、決してやきもちを焼いたからではない(焼いてる)。
メーナも入れて四人でやって来た街は楽しかった。
普段できない買い食いも、露店の冷やかしも、何もかも全部が新鮮で面白い。
買い物と言えば、店の者がキングストン城に来るか、店舗を貸し切りにしてするものだから物珍しさにニコルは興奮した。
だから、つい──そう、『つい』だ。
三人の視界からほんの少しの時間だけ、ニコルは消えてしまった。
変な匂いがするごわごわする布で口と鼻を押さえられて、悪ふざけで首を噛まれた。
噛んだ本人はちょっとした冗談のつもりだったのだろうが、やられた方は堪らない。
底なしに溢れる恐怖と不快さで涙が滲み、レイに教わった護身術とやらを披露したら今度は頬を張られた。
叩かれた衝撃で首が取れるかと思ったと同時に、普段はとても淑やかな十歳年上のメーナが大声を上げた。
彼女はニコルの婚約者の名前を呼んでいた気がするが、記憶が曖昧だ。
ニコルの記憶はここで一旦途切れた。
そして、目を開けた時ニコルの名前を呼んだのは兄だった──違う、レイが良い。レイに抱っこしてほしい。
兄は、ニコルに「はいはい」と言って願いを叶えてくれた。
久しぶりにレイに抱き締められたニコルは、不謹慎なことを思いつつ、また視界を暗転させた。
ニコルが目が覚めたのは、それから二日後の真夜中だった。
「喉乾いた……」
夜中なので、メーナを呼ぶ鈴は鳴らさず自分で喉の渇きを癒すことにした。
しかし、部屋のドアが開かない。
「んん?」
ドアノブをガチャガチャすると、今度は勢いよくドアが開いた。
次の瞬間にはニコルの体は浮いて、レイの腕の中にいた。
「ニコ!!!」
「わあっ」
力一杯抱き締められて、苦しい。
「お前、起きんのが遅えんだよ!!」
「え、そんなに寝てた?」
「……」
「レイ?」
「ニコが……」
「うん?」
「…………もう、起きねえかと思った」
ニコルには『眠り過ぎて怠い』くらいの感覚しかないのに、まったく大袈裟なことを言う婚約者である。
「仕方ないなあ」
やれやれ、頭を撫でてあげよう。
──残りの休暇中、レイがニコルにくっ付き虫だったのは言うまでもない。
誘拐(未遂)事件は、最初からニコル狙いだったそうで城から着けられていたらしい。
しかし、世間的には破落戸がヒューゴに酷い傷を負わせた為、それをレイが助けたという話になっている。
「女の子が、未遂とはいえ誘拐なんて……まあ、ほら、下世話な連中もいるからね。一応こういうことにしとこう、って」
「?」
意味は分からないが、祖父母も両親もグレインジャー夫妻も兄の言葉に頷いていたので、ニコルも分かったフリをして頷いた。
この件では、レイは珍しく父に怒られなかった。
「あんなレイ初めて見た」
すごい焦っていたし、声は泣いているようだった。
しかし、泣いていたというのは、レイは否定するし、兄もはぐらかす。
「ね、レイはあの時、」
「覚えてねえ」
泣いたの? と続くはずだった言葉は遮られた。
「嘘吐き」
「覚えてねえって言ってんだろ」
嘘だ、レイは絶対に覚えている。
だからニコルを街に連れに行きたがらないのだ。
事件以前は二つ返事で連れて行ってくれたのに。
「レイと街に行きたい」
父と兄からは「レイに聞きなさい」と言われているので、レイの許可が欲しい。
「要人警護が足りねえんだ、来週まで待て」
事件後からどこへ行くにも、ニコルの周りをがっちり固めるようになった黒服集団──嫌だ、あんなのがいたのでは、楽しさは半減どころか全滅である。
それに、あんなのは『デート』とは呼べない。
要人警護を鍛えるとかで、レイが彼等を使えなくしてしまったので、今日なら街歩きを楽しめそうなので、絶対に今日行きたい。
「嫌! 今日行きたいの。レイがいるなら要らないでしょう?」
来週では意味がない。
ニコルは、二人っきりでデートがしたいのだ。
「ダメだ」
「レイの意地悪!」
「何とでも言え、ダメなもんはダメだ」
「レイなんか嫌い! ……に、なる」
「やめろ」
「……」
「なるな」
「……」
「ニコ、おい!」
ぷんとそっぽを向いてしまったニコルに、レイは溜め息を吐いた。
──まったく、なんて我が儘な婚約者だ!
「……今回だけだからな」
誘拐(未遂)に遭ってもニコルは街に行きたがり、ニコルの「嫌いになる」攻撃で、レイの『過保護』は緩くせざるを得ないのであった。
ヒューゴ・キングストン(十八)
レイ・グレインジャー(十六)
ニコル・キングストン(十五)




