衝撃
月末、それは第二番隊が一番忙しい時期である。
全方位死角なしの隊長のフロイドも、頼りになる副隊長のエイダンも、書類仕事は苦手だ。
というわけで、当然仲良く残業になる。
新婚で妻が妊娠中のレイは珍しく静かに書類を片付けている──ここで焦るくらいなら日頃から書類を溜めなければいい話なのだが、言っても仕方がない。
どうせ、来月も同じ状況を彼は作るのだ。
秘書官のマディソンは、気分転換にお茶を淹れてデスクに置く。
一番仕事を溜めているのは、もちろんフロイドであるが、書類仕事に慣れているのか話しながらもばさばさ捌いていく、普段からやっていれば(以下省略)。
「お茶よ」
「ありがとうございます……あ、これ」
新人隊員で、第二番隊歴がもうすぐ一年になるナイジェル・オリバーがマディソンの淹れたお茶を飲んで、ふっと笑みを見せた。
年相応の顔を見せるナイジェルは、マディソンの癒しである。彼は可愛い。もう一人の新人、レイ・グレインジャーとは大違いだ。
「気付いたのね。ベリルさんがくれたのよ、そのお茶」
ナイジェルのお気に入りらしい。
差し入れに持って来てくれた時、マディソンが彼女から聞き出した情報である。
あの可愛らしい少女もマディソンのお気に入りである。この汚れた世の中に咲く一輪の希望の花である。
大輪でないところがまた良し。目にも精神的にも優しい。マディソンがそう思うくらいだ、恋人のナイジェルは癒されまくりであろう。
ふわりと柔らかく笑う十九歳になったばかりの青年に、マディソンも釣られて笑ったところで──やきもち焼きのフロイドが会話に割り込んできた。
「マディ、ナイジェルと何を話してるんだ?」
この声は、嫉妬値Ⅵくらいだろうか。まだMAXではないが、少々面倒な値だ。
「隊長、手が止まってます。オリバーとは、彼の恋人の持ってきた差し入れについてお話しておりました。あなたが飲んでいるお茶がそうですよ」
「お、美味いな、このお茶。ナイジェル、彼女によろしくな」
「はい」
これで話が終われば平和な残業時間だったのだが──レイが爆弾を投げた。
「そういえばもう手は出したのか?」
ぴしり──空気が固まった。
「とっくに」
「出せるか」
「……出しました」
声が被った。
上から順に、フロイド、ナイジェル、そしてエイダンである。
「はあ? ……って、ちょっとぉおお!?」
マディソンが、声を荒げる。
「あ、ごめん。つい」
「すみません!!!」
マディソンに謝ったのは、フロイドとエイダンである。
ナイジェルはレイに「腰抜け」と罵られていた。
マディソンは三人を無視して、エイダンを凝視した。
絶賛片想い中の相手だ──親友の。
よもや、カレンをキープしつつ他の女とやっちまったのだろうか。
わなわなと怒りが沸き上がる。
この野郎、その気が無いなら週に二度も食事をするな!
「マゼロ副隊長、カレンは知ってるんですか?」
「え、あ……いや、その……知ってるも何も、相手は……カレンです」
「えええぇ!?」
初耳である。
この前の二人女子会ではそんなことを言ってなかった。
そして、ピンときた。
「もしかして──」ここ二日の出来事なのか。
マディソンの、吊り上がらない垂れ目に睨まれたエイダンが「すみませんでした」と頭を下げる。
なぜ謝るのだ、この野郎。
「……本気でないのなら、こっぴどく振ってやってくれませんか。あの子はああ見えて純粋だし、とても傷付きやすいんです」
どうせ傷付くなら早い方がいい。処置が早い方がいいからだ。
本人不在で勝手なことを言うのは良くないが、黙っていられない。
「僕は……いえ、はい、ちゃんとします……すみません……」
エイダンの返事に、マディソンの頭の中はカレンをどうやって慰めようかでいっぱいだ。
やっぱり第一支部はクソ野郎の吹き溜まりだ。
碌な奴がいない。
「マディ、お前の親友には俺がイイオトコ紹介してやるよ」
フロイドの言葉にエイダンが椅子を倒して立ち上がって、マディソンに縋るような視線を寄越してきたので溜飲が下がった。
なんだなんだ、そういうことか。
「結構です。カレンは自分の目でしかそういう判断しない子なので」
「そうか、必要になったら言えよ?」
「はい」
茶番である。
今、生まれた気持ちでエイダンには頑張ってほしい。
ナイジェルが、椅子を持ち上げるエイダンを何とも言えない目で見ている。
彼にぺっしゃんこの耳が見えるのはマディソンの幻覚だろうか。可愛いワンちゃんだ。
しかし、ほっこりしたのはマディソンだけである。
化物二人──レイとフロイドは、ナイジェルを揶揄うように見てる。
やめろ、化物共。
「なんだよ、一緒に暮らして三か月で何もねえのかよ。だっせえ」
「鋼の精神って言うよりも、男かどうかを疑うなあ」
「いえ、僕はすごい精神力かと……」
「…………」
煽るレイに、マジな本音を言うフロイド。そして締めには、要らないフォローをするエイダン。
ナイジェルの体力値はゼロだ。見ていられない。
「はいはい、皆! お喋りしてないで手を動かしなさい!」
仕事を終えたマディソンは、まだ幻覚が続いているナイジェルの肩を小さく叩いた。
「あなたは腰抜けなんかじゃないわ。好きな子を大事にするって、とても尊い、いえ、良いことよ。すぐに手を出す下半身野郎共より、ずっと素敵。女の私が言うんだもの、あんな奴等の言葉よりも信じていいと思わない?」
マディソンの後ろにいるであろう、下半身野郎共にも聞こえただろう。
きっとレイ以外の二人の耳が痛いはずだ(レイは反省なんてしない)。
「隊長、僕今日これから外出します」
エイダンは、フロイドから許可を貰うとマディソンとナイジェルを追い越して扉の外に行ってしまった──カレンのところに行くのだろうか。
マディソンはこの後、彼女に会いに行こうと思っていたのだが、やめた方がよさそうだ。
「んじゃ、俺帰る」
すっかり興味を失くしたレイも他の隊員達と一緒に扉の向こうへ消えた。
「隊長、少し離れててください」
マディソンの声にフロイドが下がる。
彼が執務室に戻るのを確認するとナイジェルが「あーあ」と溜め息を吐く。
「テイラー秘書官、二人きりになると隊長に殺されます」
「やあね、殺さないわ」
「いや、『俺が』です」
「?」
「大概ですね、本当。で、何ですか?」
がしがし頭を掻くナイジェルに、マディソンはムッとしながらも続きを言うことを優先した。
「あのね、さっき『良いこと』だって言ったことだけど半分違うのよ」
「……え」
「大事にされてるのは嬉しくても、あまりにも何もないと不安に思うこともあるの」
「不安に……」
「ええ」
ベリルも奥手な子なので、口では「誘惑する」なんて言っても出来ずに、耳を生やしている。
ワンコカップルは可愛いが決して悲しい思いはしてほしくない。
周りは微笑ましくても本人達は真剣なのだ。笑ってはいけない。
「頬っぺたにキスくらい、してみたら……どう、かしら?」
マディソンは、言ったと同時に思った──え、頬っぺたすらも未だなの?
こうは言ったものの、一線越える直前まではしていると思っていたのだ。
しかし、ナイジェルの真っ赤な顔を見て……察した。
若干ふらついている背中を見つめていると、ぎゅっと後ろから抱き締められた。
職場では禁止だと、口酸っぱく言っているのに聞きやしない。
「困ります、ヴァルコン隊長」
「いいよ、誰もいないし。なあ、今日部屋に泊まっていいか?」
「……」
「マディ、いいだろ?」
薄目で対応はまた失敗した。
きっと、マディソンはこれからもフロイドの『お願い』を断れない。
「……フロイドは、少しくらい見習った方がいいわ」
「考えておくよ」
──嘘だ、彼はそんなこと絶対に考えない。
マディソンの尖った口には、楽しそうに笑う唇が落ちてきた。




